【中学受験・社会】 日本の農業のターニングポイント~江戸時代の農業の進化とその理由~

江戸時代、農業の技術が飛躍的に発展した時代です。‍特に稲作は、それまでの時代と比べて非常に大きな進化を遂げました。‍今も私たちの食卓に毎日のように並ぶお米。

このお米にとっての大きなターニングポイントであっ‍た江戸時代のことは、きちんと理解しておきたいところです。‍それでは、どのような進化がなぜ起きたのか、まとめていきましょう。

新田開発

江戸時代の暮らし

大名たちが領土の拡大を目指して戦いを繰り広げていた戦国時代、太閤検地が行われ土地制度が大きく変わった安土桃山時代を経て、江戸時代には大規模な新田開発が行われていきます。

そもそも、なぜ新田開発が必要だったのでしょうか?それ以前の時代と同じように、江戸時代も年貢が社会の中で重要な役割をはたしていました。大名たちは年貢として納められたお米を売って、収入を得ていました。

ちなみに、各地を治める大名が持つ領地の広さを石高(こくだか)で表しますが、この石高で使われる単位「一石」は、1人が1年間で消費するお米の量のことです。現代の日本を生きる私たちにはイメージがつきにくいですが、当時はお米は社会の中でとても大きな存在だったのです。

そのような社会では、お米の収穫量(=年貢)が非常に重要になることは想像に難くないでしょう。江戸時代には他の大名が治める領地に攻め入ることもできなくなっていたので、お米の収穫量を増やすためには新しい田んぼをつくっていくしかありません。結果、幕府も大名も、大規模な新田開発を行うことになります。

農具の発明

たくさん田んぼを作ったら、当然そこで働く人が必要になります。‍人が働かなくてはお米はいつまで待ってもできないのです。‍しかし、人の数は急には増えません。‍そこで必要になったことが、農作業の効率を上げることでした。‍農作業の効率が上がれば、それまでと同じ人数でもより多くの田んぼを管理することができま‍す。‍

そのような理由で登場したのが、備中(びっちゅう)ぐわや千歯(せんば)こきといった進化した農‍具です。‍それぞれがどのような役割のものだったのかはきちんと押さえておきましょう。‍

  • 備中ぐわ…土を耕す道具。鉄でできていて重さがあるため、土を深く耕すことができる。刃先が‍分かれているため、土が刃先につきにくいという利点もあった。‍江戸時代よりも前から西日本では使われていたが、この時代に全国的に急速に普及した。‍
  • 千歯こき…稲を脱穀(だっこく)する道具。鉄の歯の間に稲を入れて引き抜くと籾(もみ)が落ちる‍ようになっている。‍
    ※籾とは、稲になっている実の部分。この部分から籾殻を取り除くと玄米になり、玄米の茶色い‍皮の部分(=ぬか)を取り除くと精米になる。今の私たちが普段食べて「白米」と呼んでいるもの‍は精米のこと。‍

このような農具を使用することで、農作業の効率は非常に上がっていきました。‍千歯こきは、作業効率を10倍以上も高めたそうです。‍お米を作る農民たちにとっても、より多くのお米を作ることは生活のために大切なことでした。ですから、どんどん良い農具が普及していったのです。

肥料の発達

お米を沢山作るためには、栄養も重要です。‍そのため、この時代には肥料も発達していきました。‍それ以前にも人の糞尿や草木を燃やして灰にした草木灰(そうもくばい)などが使われていました‍が、江戸時代から新たに、油かすと干鰯(ほしか)が登場します。‍

なぜ、新しい肥料が登場したのでしょうか。‍その背景には、江戸時代に発達した貨幣経済と交通網の整備があります。‍江戸時代は、江戸や大阪、京などの大都市が生まれた時代でもあります。‍農民たちは大都市に商売に行くようになりました。‍

大都市には沢山の人が住んでいるため、当然そこで生まれるゴミの量も多くなります。‍そこで注目されたのが油かす。‍油かすとは、主に菜の花の種(=菜種)を絞ったあとの残りかすのことを言います。‍菜種を絞ると油が出てきます。この油が、照明を灯したり食べ物を揚げたりするために使われて‍いたのです。‍

本来不要になるはずだった残りの部分が肥料として重宝され、販売されていたわけです。‍江戸時代は今以上にリサイクルが進んでいた時代だと言えますね。‍

もう一つの肥料が干鰯です。‍干鰯とは、イワシを日干しにしたものです。‍当時は今と違って冷蔵庫も冷凍庫も無かったので、獲ったイワシを生のままに置いておけばすぐ‍に傷んでしまいます。‍そのため、干して食べることが多くありました。‍しかし、干鰯が肥料として良いと分かると、肥料用として取引されるようになりました。‍

そのように、お金という存在が確立され、人がそれまでよりも楽に移動できるような交通網が整備‍され、商品が流通する仕組みができていたからこそ生まれたのが、油かすと干鰯だったのです。‍

まとめ‍

江戸時代に農業がどのように進化しどう発展したか、整理できたでしょうか。‍もちろん、稲作以外の農業にも農具や肥料は活用されました。‍

一方で、これだけ進化していても災害対策や害虫対策は進んでいませんでした。‍そのため幾度となく飢饉があったことも忘れてはいけません。

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1995年生まれ。東京都出身。

中高一貫の女子校出身で、高校時代は部活動で部長を務める他、学外で学生団体を立ち上げるなど活動。活動歴を活かせるかもしれないと、高校2年生からAO入試を視野に入れる。同時に、一般入試では早稲田大学を目指して勉学に励む。受験期の国語の偏差値は70以上で、センター模試では現代文・古文は常に満点。AO入試で慶應義塾大学総合政策学部に入学後は、研究会活動のほか、大学受験予備校や書店でのアルバイトに励む。専門分野はジェンダー学、倫理学(主にケアの倫理)、労働法。大学卒業後はコンサルティングファームなどを経て独立し、現在は予備校講師やライター、個人コンサルタントとして活動中。書店と映画館と美術館と歌舞伎座をこよなく愛し、芸術文化全般に関心を持っている。