歴史問題読解〜時代のまとめ(遺跡・法令・鎖国他)〜[中学受験社会過去問解説シリーズ]

今回は2021年度の栄東中学校の社会の過去問を一部修正して社会の問題の解き方、歴史問題の解き方、時代のまとめについて説明していきたいと思います。 

問題

次の各問いに答えなさい。 

問1

弥生時代に関する文として正しいものを、次のア〜エから1つ選び、記号で答えなさい。

ア、大陸から東北地方に稲作が伝えられ、そこから全国に広がっていった。
イ、弥生時代の代表的な遺跡には、東京都の大森貝塚がある。
ウ、人々は村のまわりを濠で囲む環濠集落を作り、敵の侵入に備えた。
エ、人々は協力して稲作をおこなったため、身分の差は全く存在しなかった。

【解答】ウ 

まずは弥生時代の特徴的なものをおさえておきましょう。 

  • 稲作…朝鮮半島に近い九州地方から伝わった水稲耕作は、弥生時代の大きな特徴です。しかし、北海道には弥生時代になっても稲作が広がらず依然として狩猟中心の文化が継続していました。これを続縄文文化とよんでいます。 
  • 弥生土器…縄文土器は縄目模様が特徴的なのに対し、弥生土器は簡素になり、縄文土器より薄く、用途により形が変わり種類が豊富です。多く見られるのは大きな壺型の土器で、米の貯蔵に使われました。他にも煮炊き用の甕形土器や物を盛る高杯などがありました。
  • 高床倉庫…湿気やネズミの害から収穫した稲などの作物を守るために作られた床の高い倉庫 

[高床式倉庫]

  • 環濠集落…倉庫と住居(弥生時代は縄文時代と同じく竪穴住居であった)が集まった集落。敵の侵入にそなえ周りを濠で囲った。稲作により農耕社会として成熟し始めると集落により貧富の差が出て戦争に発展したり、集落内でまとめる者と従う者が出来はじめたと考えられています。
  • 有名な遺跡…吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、登呂遺跡(静岡県)

以上をふまえ、それぞれ選択肢のどこが違うのか説明していきます。 

ア、大陸から東北地方に稲作が伝えられ、そこから全国に広がっていった。
⇨東北地方ではなく九州地方から広がりました。

イ、弥生時代の代表的な遺跡には、東京都の大森貝塚がある。
大森貝塚縄文時代の代表的な遺跡です。

 

エ、人々は協力して稲作をおこなったため、身分の差は全く存在しなかった。
⇨集落内で身分差はできはじめていたと考えられています。更に戦闘の形跡なども遺跡に残っています。

問2

奈良時代に関する文として正しいものを、次のア〜エから一つ選び、記号で答えなさい。

ア、唐から来日した鑑真は、日本の僧の制度を整え、唐招提寺を建てた。
イ、農民には兵役が課され、三年間都の守りにつく防人などに任じられた。
ウ、三世一身の法が出されると、貴族や寺社は、税のかからない荘園とよばれる私有地を増やしていった。
エ、仏教の力で国を治めるため、天皇は僧が一般の人に仏教の教えを広めることを命じた。

【解答】ア 

それぞれ選択肢のどこが違うのか説明していきます。

イ、農民には兵役が課され、三年間都の守りにつく防人などに任じられた。
⇨防人は都ではなく、九州の警備です。奈良時代の税についてきちんとおさえておきましょう。

兵役 

衛士…宮城や京内の警備/防人…3年間九州の警備にあたる 

 

収穫の3%を稲で納めた 

調 

特産物を納める 

 

都で政府の命じる労役の代わりに布・綿・米・塩などを納める 

ウ、三世一身の法が出されると、貴族や寺社は、税のかからない荘園とよばれる私有地を増やしていった。
三世一身の法(723・養老6年)とは、新しく開墾した地は三世(子・孫・曽孫)にわたりその私有を認め、以前開墾された土地を利用して開墾する場合は本人一代の私有を認めるという法です。
しかし、この法は不十分だったということもあり、743年(天平15年)には自ら開墾した土地の私有を永代に渡って保障する墾田永年私財法が出されました。貴族や寺社が荘園を私有しはじめたのは三世一身の法ではなく墾田永年私財法です。

エ、仏教の力で国を治めるため、天皇は僧が一般の人に仏教の教えを広めることを命じた。
⇨一般の人に仏教が広まるようになったのは鎌倉時代の鎌倉仏教からです。奈良時代では寺院内以外で教えを広めることを禁じ、仏教は貴族中心のものでした。

問3

次のア〜オのできごとがおこった場所を、東から順にならべかえ、2番目と4番目にくるものを、それぞれ記号で答えなさい。

ア、山城の国一揆がおこった。
イ、源実朝が暗殺された。
ウ、藤原純友の乱がおこった。
エ、中尊寺金色堂が建てられた。
オ、加賀の一向一揆がおこった。

【解答】2番目イ/4番目ア 

それぞれおこった場所と内容について説明していきます。 

 ア、山城の国一揆がおこった。
⇨1485年(文明17年)に山城国(現京都府南部)で地侍らが中心となり、農民らも加わった一揆。畠山政長と畠山義就の両軍が争っていたが、両軍を撤退させ、以後8年間守護による統治ではなく自治を通しました。

イ、源実朝が暗殺された。
⇨1219年(建保7年)鎌倉(現神奈川県)にある鶴岡八幡宮で暗殺されました。

[鶴岡八幡宮]

ウ、藤原純友の乱がおこった。
⇨藤原純友は、941年(天慶5年)、瀬戸内海で朝廷に反乱をおこしました。

エ、中尊寺金色堂が建てられた。
⇨1124年(天治元年)奥州藤原氏初代清衡平泉(現岩手県南西部)に建てました。源頼朝に命を狙われた源義経が弁慶らとともに奥州藤原氏を頼って中尊寺に向かい最期をむかえた場所です。

オ、加賀の一向一揆がおこった。
⇨長享2年(1488年)頃から天正8年( 1580年)、加賀国(現石川県)の守護大名 富樫政親が一向宗浄土真宗一向派のこと)に対して弾圧を行い、それに反発した一向宗門徒らの一揆です。

問4

江戸時代に関する文として正しいものを、次のア〜エから1つ選び、記号で答えなさい。

ア、幕府はキリスト教を禁止するために、イギリスやポルトガルとの貿易を禁止した。
イ、新井白石は、貨幣の質を落として物価の安定に努めた。
ウ、対馬藩は、琉球王国との貿易の窓口になった。
エ、幕府は、民衆に対していずれかの寺院の信者になることを強制した。

【解答】エ 

それぞれ選択肢のどこが違うのか説明していきます。 

ア、幕府はキリスト教を禁止するために、イギリスやポルトガルとの貿易を禁止した。
幕府はキリスト教を禁ずるが、貿易は推奨するという姿勢でした。しかし、禁教はうまくいかず来航を禁止することになります。ですが、イギリスはオランダとの競争に負け自ら撤退しているので幕府からは禁止してはいません。幕府から来航禁止にしたのはスペインポルトガルです。

鎖国までの流れもきちんとおさえておきましょう。 

1609 

オランダ人に通商許可 

1612 

幕府、直轄領に禁教令 

1613 

イギリス人に通商許可。全国に禁教令 

1616 

中国船を除く外国船の来航を平戸・長崎に制限 

1623 

イギリス、オランダとの競争に敗れ平戸商館を閉鎖して退去 

1624 

スペイン船の来航を禁止 

1631 

奉書船制度始まる 

1633 

奉書船以外の海外渡航禁止 

1634 

海外との往来や通商を制限 

1635 

日本人の海外渡航および帰国を前面禁止 

1639 

ポルトガル船の来航を禁止 

1641 

オランダ商館を出島に移す 

イ、新井白石は、貨幣の質を落として物価の安定に努めた。
⇨6代将軍徳川家宣は前将軍徳川綱吉の政治をさせた柳沢吉保を排除し、儒学者の新井白石を起用しました。新井白石は老中ではないので気をつけましょう。では新井白石が行った政策をおさえておきましょう。

  • 生類あわれみの令の廃止…5代将軍徳川綱吉が出した令。動物の殺生を禁止したことが有名ですが、動物だけでなく嬰児・傷病人の保護も含まれていました。
  • 新貨鋳造…5代将軍綱吉の代に、荻原重秀が貨幣の質を落とす政策を打ち出し、貨幣価値が下落、物価が高騰しました。荻原重秀の政策を受け、新井白石は貨幣の質を元に戻そうとしましたがうまくいきませんでした

他にも儒学者であった新井白石は賄賂をきらい、クリーンな政治を目指そうとしましたが、6代将軍徳川家が短命であったこともあり新井白石の政治も長くは続かず効果も出せずに終わりました。 

ウ、対馬藩は、琉球王国との貿易の窓口になった。
⇨琉球王国との窓口となったのは島津家を当主とする薩摩藩(現鹿児島県)です。

エ、幕府は、民衆に対していずれかの寺院の信者になることを強制した。
寺請制度の内容になります。寺請制度とは寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度でした。

問5

江戸時代の末期に、萩の松下村塾で学んだ人物としてあてはまらないものを次のア〜エから1つ選び、記号で答えなさい。 

ア、高杉晋作
イ、伊藤博文
ウ、西郷隆盛
エ、山県有朋

【解答】ウ 

松下村塾とは長州藩(現山口県)にあった私塾です。吉田松陰が塾生を指導し、多くの幕末の志士らに影響を与えました。その門下生が高杉晋作、伊藤博文、山県有朋らです。西郷隆盛は薩摩藩(現鹿児島県)出身なので松下村塾では学んでいません。 

[西郷隆盛]

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