中学受験・歴史 戦争の時代~明治から昭和初期の戦争 その2

江戸時代の鎖国が終わり、明治時代以降は日本も世界に勢力を伸ばそうと国際的な戦争の舞台に登場するようになります。前回の記事では、日清戦争・日露戦争について、覚えておくべき点をまとめました。

今回は、第一次世界大戦以降の戦争についてまとめていきます。戦争が起こるには理由があります。ただ年号だけを覚えるのではなく、背景やきっかけ、日本の行動、結果がどうなったか、など、しっかり流れを押さえるようにしましょう。

第一次世界大戦(1914年~1918年)

背景

帝国主義をとっていた欧米列強の国々の中では、植民地獲得戦争が激化していました。そのような状況の中で、ドイツとオーストリア、イタリアの間で三国同盟が結ばれ、一方、イギリス・フランス・ロシアの間では三国協商が結ばれます。お互いがにらみ合いを続け、小競り合いを繰り返していましたが、ある事件をきっかけに全面戦争に突入します。

きっかけ

その事件とは、「サラエボ事件」(1914年)です。セルビアの青年が、サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都)を訪れていたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺します。怒ったオーストリアは、セルビアに宣戦布告します。

この事件がきっかけとなって、ドイツ・オーストリアなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国に分かれて戦う形になりました。戦火はヨーロッパ中に広がり、莫大な人員と物量を費やす、それまでにない大きな戦争となりました。これが、第一次世界大戦です。

アメリカは当初中立を保っていましたが、1917年にドイツが無制限潜水艦作戦を開始すると、連合国側について参戦します。ロシアは、1917年、皇帝による政治や戦争に反対してレーニン指導のもとロシア革命が起こり、世界で最初の社会主義政府が作られました(1922年には、ソビエト社会主義共和国連邦、ソ連が成立します)。

日本の行動

日本は中国に勢力を伸ばそうとします。中国では1911年に革命が起こり、翌年には中華民国が成立しました。第一次世界大戦がはじまると、日本は中国に勢力を伸ばすため、日英同盟を口実に連合国側について参戦し、中国の青島にあったドイツ基地を攻撃し、青島を占領しました。1915年、日本は世界の目がヨーロッパに向いている間に中国に「二十一か条の要求」をつきつけ、要求の大部分を認めさせました。これは、日本の中国に対する権益を拡大するための要求でした。当然のように、中国では排日運動が盛んになり、欧米も日本のやり方を非難しました。

結果

初めは中立を守っていたアメリカが、1917年に連合国側につくと、同盟国側の勢力は弱まり、1918年、ドイツが降伏しました。ここに、30カ国以上が参戦し、4年あまり続いた第一次世界大戦は終わりました。

第一次世界大戦の終戦とともに、講和会議が開かれ、条約が結ばれます。1919年、パリ講和会議が開かれ、ベルサイユ条約が結ばれました、日本の代表は、西園寺公望(内閣総理大臣をつとめたこともあります)です。

この条約では、戦勝国の利益が優先され、敗戦国のドイツは全植民地と本土の一部を失い、さらに多額の賠償金を支払うことになります。軍備の縮小も命じられました。日本は、中国にあったドイツの権利を引き継ぎました。

また、この世界戦争の反省から、1920年に国際連盟(本部:ジュネーブ)が発足しました。しかし、敗戦国のドイツと社会主義国のソ連は当初参加が認められず、アメリカも議会の反対などにより、参加しませんでした。このため、国際連盟は強力な組織となることができませんでした。このことはしっかり押さえておきましょう。

日中戦争(1937年~1945年)

第一次世界大戦中から、日本は中国に勢力を伸ばそうとしていました。その後、日本の中国侵略が本格化していき、ついには日中戦争へと突入することになります。

背景

1931年に、柳条湖事件が起こります。満州鉄道が爆破されるという事件だったのですが、日本はこれを中国の仕業である(関東軍:満州にいた日本軍が起こした事件とされていますが)として攻撃を開始し、満州全土を占領してしまいます。この一連の事件を「満州事変」と言います。

そして、1932年、日本は満州国を建国します。満州国の実権は日本が握っていたため、日本の植民地とあまり変わりませんでした。その後、中国が満州事変は日本の侵略であるとして、国際連盟に訴えたため、リットン調査団が派遣され、調査し、結局日本に不利な報告を提出します。その報告に基づき、国際連盟は、満州国の不承認などを決議します。これに抗議した日本は国際連盟を脱退します(1933年)。日本は国際社会から孤立し、さらなる軍備強化に走り、軍国主義への道を歩むようになります。

きっかけ

日本は満州だけでなく、中国全土を支配しようと試みます。そんな中、1937年、盧溝橋事件が起こります。北京近くの盧溝橋付近で発砲事件が起こったことにより、日本と中国は交戦状態になりました(どちらが先に発砲したのかについては諸説あります)。これが、日中戦争に発展していきます。

経過

日本軍は首都南京を占領し、次々と主要都市を占領していきますが、中国は首都を移しながら抗戦し、戦争は長期化します。この戦争とこの間の日本の政策は欧米の権益を脅かすものとなったため、アメリカは経済制裁を加えます。石油などの輸出に制限をかけることにしたのです。当時日本は石油の輸入をアメリカに頼っていました。

この当時、日本では、政府が国民を戦争に動員するため、国家総動員法(1938年)を定めたり、政党を解散させ、政府の方針に協力するための大政翼賛会が作られました(1940年)。労働組合も解散させられるなど、国民の生活においても、戦争に協力する体制がとられるようになります。このあたりは、戦争に突き進む際、国民を戦争に動員するため、どのようなことが行われたか、年号も含めてしっかり覚えておきましょう。

太平洋戦争への発展(1941年~1945年)

1939年、ドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに、第二次世界大戦が始まりました。翌年、日本はドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結びます。

きっかけ~日米の対立と太平洋戦争の始まり

アメリカの経済制裁後、日米の交渉は成果が出ませんでした。1941年、日本はソ連と日ソ中立条約を結んで北方の安全を測り、同時に東南アジアにある石油やゴムなどを手に入れるため、インドシナ南部にも軍を送りました。アメリカは日本への石油輸出を禁じ、中国や東南アジアからの兵の引き上げを求めたため、日米の対立は深まっていきました。そんな中、首相となったのが陸軍大臣の東条英機でした(1941年)。

結局、1941年、真珠湾攻撃をきっかけに、太平洋戦争が始まりました。日本は中国とアメリカの二国を相手に戦争をすることになったわけです。開戦当初は日本の連戦連勝でしたが、1942年のミッドウェー海戦でアメリカに敗北してから、戦況は一変します。

結果

1945年3月には沖縄戦、8月には広島、長崎に原子爆弾が投下され、日本はポツダム宣言を受諾し、8月15日、天皇が降伏を日本国民に発表し、9月2日に降伏文書に調印しました。こうして、長く続いた日中戦争と第二次世界大戦が終わりました。

戦争の歴史は年号も大切

満州事変のきっかけとなる柳条湖事件と日中戦争のきっかけとなる盧溝橋事件は混同しやすいので、年号をもとに、その事件のあとの展開をしっかり押さえておきましょう。また、戦争は並行して起こっているものもありますので、「なぜその戦争が起こったのか」という理由を理解しておかなければなりません。

この一連の出来事、戦争は、現在の日中韓の関係に暗い影を落としています。8月の原爆記念日や終戦記念日が近づくと、この時代の歴史を振り返る報道番組も多く放送されますから、ぜひその時期に理解を深めましょう。

戦争の時代は、入試では並び替え問題として出題されることも多いところです。年号もおろそかにせず出来事の因果関係をしっかりたどりながら、正確に覚えるように心がけましょう。

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