中学受験・歴史 戦争の時代~明治から昭和初期の戦争 その1

明治時代に入ると、国際的な戦争の舞台に日本が登場してきます。江戸時代の鎖国が終わり、日本も世界に目を向けるようになります。中でも、日清戦争と日露戦争は、かなり細かい知識も必要になる、混乱しやすい戦争です。でも必須ですから、今回は、その2つの戦争について、覚えておくべき点をまとめておきます。背景やきっかけ、結果がどうなったか、しっかり流れを押さえるようにしましょう。

日清戦争(1894年)

背景

日清戦争が起こった背景としては、もともと日本と清との間に、朝鮮をめぐる争いがあったことを思い出してください。清は、朝鮮を属国と考えていました。一方で、日本は、ロシアの南下政策が気になっていました。もし、朝鮮がロシアの勢力下にはいってしまえば日本にとって脅威になるというわけです。

きっかけ

日本は朝鮮での影響力を強めていこうとします。そんな状況のときに、「甲午農民戦争」が起こります(1894年)。東学党の乱とも呼ばれます。東学党とは、宗教団体の一種で、排斥主義の考えを持っており、日本の朝鮮進出に激しく反抗していました。この反乱はやがて朝鮮全土に広がっていきます。

この乱を抑えきれなくなった挑戦は、清に鎮圧を頼みます。ですが、このまま清が鎮圧すれば、清の影響力が強まってしまいます。そこで、日本も、日本の公使館を守るなどの理由で鎮圧に乗り出します。

この乱はすぐにおさまるのですが、問題はそのあとです。日本も清も口実をつけて朝鮮にとどまり続けました。これがきっかけで日清戦争に発展していくのです。

結果

この戦争は8カ月で終結しました。軍隊を強化していた日本が勝利し、下関条約が結ばれます(1895年)。日本の代表は、伊藤博文陸奥宗光でした。条約の主な内容は、清は朝鮮の独立を認めること、清から領土(台湾・澎湖列島・遼東半島)を譲り受けること、多額の賠償金(2億両、約3億円)を支払うこと、などでした。

日露戦争

背景

日清戦争での日本の勝利を好ましく思っていない国がありました。ロシアです。ロシアはドイツ、フランスとともに、下関条約で日本が清から得た遼東半島を清に返還するように求めてきました。これを「三国干渉」といいます。ロシアはその後、清に租借地(ある国が条約で一定期間他国に貸し与えた土地のこと)を次々に得て、遼東半島に進出して満州に軍隊を置き、朝鮮にも勢力を伸ばそうとしていました。

また、清はかつては「眠れる獅子」と呼ばれ、その国力を恐れられていましたが、日本に負けた後はその弱さが表に出てしまい、欧米各国が次々と進出し、租借地を広げていくのです。

きっかけ

その状況の中、義和団の乱が起こります(1900年)。義和団は一種の宗教団体で、外国の勢力を追い払おうとして立ち上がりました。清の政府もこれを指示するようになり、欧米列強に宣戦布告します。これに対して、日本、ロシアなどの8カ国が出兵して鎮圧しました。その結果、清にはますます列強が進出するようになります。

この事件のあと、諸国が兵を引き上げる中で、ロシアは清にとどまり続け、満州を占拠し、南下政策を進めようとします。そのため、日本とロシアは満州と朝鮮をめぐって対立しました。ロシアの進出に不安を感じていた日本は、同じようにロシアに不安を感じていたイギリスと日英同盟を結びます(1902年)。この条約をバックに、日本はロシアと全面対決することになり、1904年に日露戦争が始まりました。

日本は、東郷平八郎の連合艦隊が、ロシア最強と呼ばれたバルチック艦隊(歴史好きの方はご存知かもしれませんね)をやぶるなど、華々しい戦績を上げる一方で、戦争を続けるだけの国力はありませんでした。戦争をする資金や兵器、弾薬も足りなくなり、アメリカやイギリスから借金をしたため税金を増やし、国民の生活も苦しくなりました。また、ロシアも国内問題(皇帝に対する革命運動)を抱えており、戦争を続けることは困難になっていました。

結果

日本はアメリカの大統領、セオドア・ルーズベルトに間に入ってくれるよう頼みました。1905年、ポーツマス条約が結ばれます。条約の内容は、日本の韓国での優越権をロシアが認めること、旅順・大連は日本が租借すること、ロシアは南満州鉄道を日本に譲ること、南樺太は日本が領有すること、などでした。日本側の代表は、当時の外務大臣、小村寿太郎です。

実質的な日本の勝利でしたが、賠償金をとれないなど、日清戦争ほどの戦果を挙げられなかったことに不満を持った一部の国民が怒りを募らせ、日比谷で交番を焼き打ちするなどの事件が起こりました。

日清戦争と日露戦争の注意点

背景もきっかけも条約も混乱しそうなこの二つの戦争は、かかわった国、条約、人名などをしっかり整理しておきましょう。

  • 日清戦争は朝鮮をめぐる争い、日露戦争は清をめぐる争い
  • 日清戦争のきっかけは甲午農民戦争(東学党の乱)、日露戦争のきっかけは義和団の乱
  • 日清戦争の条約は下関条約、日露戦争の条約はポーツマス条約
  • 条約締結のときの日本の代表は、日清戦争は伊藤博文と陸奥宗光、日露戦争は小村寿太郎

ちなみに、受験生なら必ず知っておかなければならない年号の問題ですが、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦は1894年から10年ごとに起こっています。日本は25年くらいの間に3回も戦争をしていることになります。忙しい「戦争の時代」だったのです。

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一橋大学卒。 中学受験では、女子御三家の一角フェリス女学院に合格した実績を持ち、早稲田アカデミーにて長く教育業界に携わる。 得意科目の国語・社会はもちろん、自身の経験を活かした受験生を持つ保護者の心構えについても人気記事を連発。 現在は、高度な分析を必要とする学校別の対策記事を鋭意執筆中。