今回は南北アメリカ大陸の古代文明について学びます。南北アメリカというと、ペルーのマチュピチュや、オルメカ文明の巨大な石像などを一度は見聞きしたことがあるのではないでしょうか。ここでは、古代のアメリカで栄えた文明の年代・地域・特徴を整理して、得点に繋げられるようにするのが目標です。最後の練習問題で満点を取れるように頑張りましょう!!
古アメリカ文明
Contents
南北アメリカ文明とは?
古アメリカ二大文明 ――メソアメリカ文明とアンデス文明
アメリカ大陸は1492年にコロンブスによって発見されて以来、「新大陸」と呼ばれヨーロッパ諸国に認知されるようになったが、そこに暮らすインディオと呼ばれる先住民たちの築いてきた文明の発端は前1200年ほどまで遡ることができる。
古アメリカの文明は大きく二つの地域に分けて発展してきた。一つはメソアメリカと呼ばれる、メキシコ北部から中央アメリカ北部にかけての熱帯・亜熱帯地域である。この地域では、最も古くはオルメカ文明が、その後各地でティオティワカン文明やマヤ文明などが栄えた。もう一つは、アンデス地帯である。南米のペルーからボリビアにかけて、アンデス山脈周辺に広がる海岸地帯と山岳地帯では、地域ごとに様々な文明が築かれたが、中でもナスカ文化やインカ帝国といった高度な文明がよく知られる。
南北アメリカ文明の特殊性
古アメリカ文明はその土地の気候や文化を活かした独自の発展を遂げてきた。ここでは、メソポタミアやエジプト、中国の古代文明との違いに注目して南北アメリカ文明の特徴を確認する。
- 非大河灌漑文明としての発展
古代文明の多くは大河川流域での灌漑農業により繁栄したが、メソアメリカ文明は大河を必要とせず、この地域では中・小規模の河川や湖、湧き水などを利用した灌漑農業と焼畑農業が行われていた。
また、人々はトウモロコシやジャガイモなどの集約農業を生活の基盤としていた。食物に関しては、他にもサツマイモやカボチャ、トマト、トウガラシ、カカオを含む100種類以上の植物が前8000年頃から栽培されており、アメリカ大陸原産の栽培植物は後のヨーロッパの食文化にも大きな影響を及ぼした。 - 小型家畜の飼育
南北アメリカ大陸では、その他の地域のような馬や牛、ラクダなどを使用した牧畜は行われず、メソアメリカ地域ではメキシコを原産とする鳥である七面鳥や犬などの小型動物を家畜として飼育していた。アンデス文明の山岳地方では、リャマやアルパカをつかった牧畜が行われ、こうした小型家畜は衣料や食肉としても利用された。 - 鉄器の不使用
鉄器は古代オリエントのヒッタイト人によって初めて作られたが、新大陸発見まで他の地域との交流を持たなかった南北アメリカ大陸では鉄器が使われることが一切なかった。金・銀・青銅器は存在したが、装飾品や儀式器に使用されていた。また、大型家畜を持たなかったため、車輪も用いられることはなかった。そうした中で古代アメリカ大陸の人々は、石器と人力によって都市や巨大石像を作り上げるだけの高度な土木技術を持っていたことがわかる。
メソアメリカ文明
〔南北アメリカ文明 地図〕
オルメカ文明
- 時期:前1400~前400年頃
- 地域:メキシコ湾岸低南部
- 特徴:
支配者の顔を刻んだ巨石人頭像や土製の神殿ピラミッドなどの洗練された土木工事が特徴的。
マヤ文明
- 時期:前1000年~16世紀頃
- 地域:ユカタン半島・グアテマラ
- 特徴:
マヤ文字を使用し、暦や天文観測などを記録した。また、二十進法による記数法を発展させた。神殿ピラミッドの建設など高い土木技術を誇るマヤ文明はスペイン侵略まで発展した。
〔ウシュマル遺跡(750~1100年)〕
ティオティワカン文明
- 時期:前100年~後600年頃
- 地域:メキシコ中央高原
- 特徴:
大都市テノチティトランを中心に栄え、4~5世紀に全盛期を迎えた。テノチティトラン(現メキシコ市)は14世紀前半にメシーカ Mexica(アステカ)人によって都として建設され、アステカ王国の首都となった。
アステカ文明
- 時期:1428年~1521年
- 地域:メキシコ高原(メキシコ湾岸~太平洋湾岸)
- 特徴:
周辺都市との同盟により、都をテノチティトランに置くアステカ人の王国、アステカ王国が建国された。アステカ王国ではアステカ文字が使用され、軍事的神権政治が行われていたが、1521年にスペイン人のコルテスによって征服されるとアステカ文明は潰えた。
アンデス文明
アンデス地帯は、砂漠地帯や山岳地帯、アマゾン川源流の熱帯雨林地帯など様々な自然環境が広がる地域である。人々は灌漑農業を行いつつ、トウモロコシが採れない高地ではジャガイモを主食として生活した。現在でも、アンデス地方ではジャガイモは干してチューニョという保存食に加工されている。
アンデス文明で最も古くに築かれた文化は前1000年頃に興ったチャビン文明で、これは「アンデス文明の源」とも呼ばれている。その後、地上絵で有名なナスカ文明、ボリビアの祭祀都市であるティアワナコ文明、ペルー南高地ではワリ文明などが各地で栄えた。中でも、15世紀から台頭するようになったインカ文明は南北に広がる広大な領土を築いた。
インカ文明
- 時期:1201年~1533年
- 地域:アンデス高原(エクアドル~チリ)
- 特徴:
インカ帝国はケチュア族によってペルーに建設され、都クスコを中心とする駅伝制を整備した。15世紀には領土を広げ、大統一王国となった。インカ9代王の離宮としてクスコの北西につくられたマチュ=ピチュからはインカ帝国の石造建築技術の高さがうかがえる。インカ帝国では文字が用いられなかったが、文字の代わりにキープ(結縄)によって数字が表された。他の古アメリカ文明と同じく、人々は太陽を崇拝した。
〔マチュ=ピチュ〕
確認問題
- メキシコ高原から中央アメリカ一帯にかけて栄えた文明を何と呼ぶか。
- マヤ文明は何半島を中心に栄えたか。
- アンデス文明の高地でトウモロコシの代わりに主食とされている食物は何か。
- 1521年にスペイン人コルテスによって征服されたのはどこか。
- インカ帝国で、数字を表すために使用されていたものは何と呼ばれるか。
- アステカ王国の首都を答えよ。
- マヤ文明で使われていた絵文字は何と呼ばれるか。
- 南北アメリカ文明において、使用されなかったものとして有名なのは何か。
- 新大陸がコロンブスによって発見されたのは何年か。
- アンデス地帯で牧畜のために使われた家畜は何か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(解答)
- メソアメリカ文明
- ユカタン半島
- ジャガイモ(チューニョ)
- アステカ王国
- キープ(結縄)
- テノチティトラン
- マヤ文字
- 鉄器/車輪
- 1492年
- リャマ/アルパカ
→続きはこちら 中国の分裂と内陸アジア・東アジア世界の形成
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参考文献
- 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
- 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
- 世界の歴史まっぷ
- 最終閲覧日2020/4/26
- いらすとや
- 最終閲覧日2020/4/26
こんにちは。
私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。