大航海時代とヨーロッパ世界の拡大[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

近代ヨーロッパ世界の成立期において、最も重要な時期である大航海時代。東方世界への関心や宗教的な活動、科学技術の発展を背景に起きたヨーロッパ世界の拡大運動は国と国の激しい覇権争いを招きました。ここでは、この大航海時代について詳しく学習しましょう!

大航海時代とヨーロッパ世界の拡大

ヨーロッパ世界の拡大

大航海時代の背景

<大航海時代の背景まとめ>

  1. 東方世界のもの(香辛料など)の需要が高まる
    十字軍以降、東方の貿易が進展した。特に香辛料(胡椒など)は様々な国や商人を経由してヨーロッパに輸出されるため、実際の値段よりも高額で取引されていたため、直接取引を行いたかった。
  2. 東方世界への興味(『東方見聞録』-マルコ=ポーロ)
    東方見聞録(『世界の記録』)に登場する日本は黄金の国・ジパングとして知られている。
  3. レコンキスタ(『プレスター=ジョン伝説』)
    イベリア半島(スペイン、ポルトガル)では十字軍の動きに伴い、レコンキスタ国土回復運動)が盛んになった。当時、ヨーロッパには、東方に使徒ヨハネ(ジョン)が建国したキリスト教の国があるという伝説(『プレスター=ジョン伝説』)があったため、この国とともにイスラム教国を挟み撃ちにしようとする狙いがあったとされる。
  4. 宗教的狙い
    キリスト教の布教
  5. 西方の貿易ルート開拓が検討される
    当時アジアとヨーロッパの間にはオスマン帝国があり、オスマン帝国以西の国は西方の貿易ルートを見出そうとした。
  6. 科学技術の発達(羅針盤造船技術の発達地球球体説トスカネリ
    羅針盤、造船技術の発達は長距離の航海を可能にした。また、トスカネリの地球球体説はコロンブスの大西洋航海を後押しした。というのも、当時、地球はお盆のように平らなものだと考えられており、東方地域と交易をするには東に行くしかなかった。

〔マルコ=ポーロ〕

ポルトガルの東インド航路の発見

ポルトガルといえば、西班牙と表記されるスペインよりもまだ西にある国。レコンキスタ、羅針盤や造船技術の発達に後押しされ、香辛料を手に入れるために海路の開拓を始めた。

1415年 エンリケ航海王子 セウタ(アフリカ北西部のベルベル人の土地)攻略
1445年 エンリケ航海王子の派遣船 ヴェルデ岬(アフリカ大陸西端)到達

ジョアン2世がエンリケ航海王子のアフリカ西岸探索を引き継ぐ

1488年 バルトロメウ=ディアスが喜望峰到達
1495年 ジョアン2世死去
1498年 ヴァスコ=ダ=ガマ インド カリカット到達

〔グット・ホープ→喜望峰〕

★余談

  1. エンリケ航海王子は航海しない。
    航海王子と名前がついているだけあって、さぞかし数々の航海に出たのだろう、と思いませんか?実は、エンリケ王子、船酔いが酷くてアフリカ西岸探索のほとんどを船ではなくポルトガルの南西部・ザグレスという所にある研究所で過ごしたそうです。
  2. バルトロメウ=ディアスとジョアン2世
    バルトロメウ=ディアスがジョアン2世の治世に喜望峰に到達しました。ここで注目したいのは『喜望峰』という名前です。命名したのは、ジョアン2世です。バルトロメウ=ディアスではありません。ちなみに彼はこの岬に当初『嵐の岬』と名付けていました。
  3. ヴァスコ=ダ=ガマとアフリカ
    ヴァスコ=ダ=ガマはインドに行く途中、アフリカのマリンディとモザンビークに立ち寄りました。特にモザンビークはその後のインド航路の中継地点として重要な拠点になりました。

ポルトガルの植民地と貿易

  • カブラル
    1500年、西回り航路(大西洋→太平洋経路)でアジアに向かう途中ブラジルに嵐で立ち寄る。
    →ポルトガル領を宣言(トルデシャリ条約によりブラジルまでがポルトガル領となる)
  • アジア

    1505年  セイロン島の占領
    1509年 インド総督アルメイダ ディウ沖海戦でマムルーク朝艦隊を破る
    インド総督 アルブケルケの時代
    1510年 ゴアを占領
    1511年 マラッカ王国 滅ぼす
    1512年 モルッカ諸島へ進出→香辛料の独占
    1517年  広州→1543年 種子島→1550年 平戸→1571年 長崎へ来航
    1557年  明からマカオの居住権を得る→中国の生糸日本のの中継貿易
    16世紀〜  都のリスボンが繁栄

新大陸の発見

この時代に海路の開拓を始めたのはポルトガルだけではない。ここでは、アジアを目指し、航海にでた人々をみてみよう。

<世界の海路を開拓した人々>

  • コロンブス(イタリア・ジェノバ出身)
    1492年、新大陸発見。
    スペインのイサベル女王にから支援を受け、西回りのインド航路を開拓する目的でパロス港からサンタマリア号という船に乗って出航。西インド諸島サンサルバドル島に到着。

〔コロンブス〕

  • カボット父子(イタリア人)
    15c末 イギリス王ヘンリ7世の援助で北米東海岸を探検。
  • バスコ=バルボア(スペイン人)
    1513年 パナマ地峡横断→太平洋発見
  • アメリゴ=ベスプッチ(イタリア人)
    1500年 コロンブスによって西インド諸島とされた陸地が新大陸であることを確認。ベスプッチの名前がアメリカの由来となった。

<新大陸の発見後の世界地図>

  • 1493年 ローマ教皇により教皇子午線(植民地分界線)が引かれる。
    →世界をスペインとポルトガルに二分。ポルトガルのジョアン2世はこれに不満に思い、スペインと協議。
  • 1494年 トルデシャリ条約で再度両国の勢力圏の線が引かれる。

マゼランと世界周航

  • マゼラン(マガリャンイス、ポルトガル人):1519年~1522年、マゼラン隊の世界周航(スペイン王カルロス1世の命)
    《マゼラン隊の旅》
    マゼラン海峡を抜け太平洋を横断。フィリピン諸島到着するも、原住民によってマゼラン死去。マゼランの部下がモルッカ諸島で香辛料をゲットし、スペインに帰国。→世界一周達成
    ※ポルトガル人だが、出資者はスペイン。
  • モルッカ諸島
    別名・香辛料諸島。1529年にスペインとポルトガル間でサラゴサ条約が結ばれたことでスペインはモルッカ諸島から完全に撤退した。
  • サラゴサ条約
    トルデシャリ条約は大西洋、サラゴサ条約は太平洋に引かれたスペインとポルトガルの勢力圏を表す線。


〔マゼラン海峡:太平洋と大西洋が繋がる〕

続きはこちら→ スペインの新大陸征服と大航海時代のヨーロッパ世界

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参考

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、 山川出版社、 2018年
  • 八尾師誠監修 川音強著『改めて知る 国ごと,地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版―上巻―』、清水書院、2015年
  • 八尾師誠監修 川音強著『改めて知る 国ごと,地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版―中巻―』、清水書院、2015年
  • いらすとやHP 最終閲覧日2020/04/22

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大分舞鶴高校を卒業し1浪して東京女子大学へ進学。 浪人時は高校時代に憧れた東京への進学をモチベーションに、世界史・国語・英語の学習に励み、その結果、センター試験にて世界史満点の快挙を成し遂げる。 現在、大学では産業心理学を専攻し、社会人の社内の人間関係やストレス・鬱発症者の職場復帰プランケアの研究を行っており、卒業後はマスメディア業界への就職を予定。趣味は、幼少期の豊富な習い事経験から、声楽・バレエ・ピアノ・生花と多彩。