ムガル帝国の成立とインド=イスラーム文化[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

今回は、ムガル帝国の歴史について学びます。インドでは、13世紀に始まるデリー=スルタン朝の頃からイスラーム文化との融合が進んできましたが、16世紀にインド全域を占めることになるムガル帝国の時代には、中央集権化の進展とともにイスラーム教との文化的融合がより一層発展し、ムガル帝国に特有の建築や絵画が生まれるようになりました。こうした異教との融和は文化面に留まらず、ムガル帝国第3代皇帝アクバルの時代には政策面にもそうした傾向が見られます。ここでは、ムガル帝国の成立から衰退期までの政策と文化に注目します。それでは、見ていきましょう。

ムガル帝国の繁栄と衰退

ムガル帝国の成立期

13世紀初めから16世紀前半までの間、インド北部ではデリー=スルタン朝と総称される5つの王朝が興亡し、南部ではチョーラ朝パーンディヤ朝(前3世紀頃~13、14世紀)、ヴィジャヤナガル王国(1336~1649年)などが各地で興隆していた。このように南北に分かれて発展を遂げていた当時のインドであったが、16世紀に入ると新たな動きを見せ始める。

16世紀初め、ティムールの孫にしてティムール朝の王子であったバーブルウズベクのティムール朝攻撃に際し、北インドへの侵攻を開始した。度重なる侵攻を経て、パーニーパットの戦い(1526年)でデリー=スルタン朝最後の王朝であるロディ―朝を破ると、これより19世紀半ばまで続くインド勢力となるガル帝国がここに創始された。

アクバルの帝国支配とムガル帝国の全盛期

帝国の建国後、初代皇帝バーブルと続くフマーユーンの治世には内紛や対立する王朝との抗争により、その支配は依然不安定な状態であったが、第3代アクバルの時代からムガル帝国の支配基盤は安定するようになる。まずアクバルは、ムガル帝国を一時危機に追いやったスール朝の勢力を根絶させると、都をデリーからアグラに遷都し、中央集権的な統治文化的に寛容な政策を整えて帝国支配の土台を築いた。彼の治世から、後のジャハンギールシャー=ジャハーンが皇帝を務めた17世紀前半までがムガル帝国の全盛期と考えられている。

アクバルの治世の特徴は大きく分けて、以下の二つが挙げられる。

  1. 中央集権化に向けた統治機構の整備と支配階級の組織化
    帝国統治に際し、アクバルは帝国の支配階層組織化のための位階制として、マンサブダール制を整備した。マンサブダール制とは、維持すべき騎兵・騎馬の数とそれに応じた給与によって支配層を等級付けし、それぞれの官僚に10~5000までの位を持つ官位「マンサブ(禄位)」を与える仕組み。支配層は給与として土地の徴税権を与えられていた(ジャーギール制)。
  2. ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和策推進
    インドのイスラーム化の傾向は11世紀頃にはすでに見られていたが、アクバルは中央集権的な支配を整えつつも、率先して宗教的に寛容な姿勢をとったため、ムガル帝国支配下のインドではインド=イスラーム文化が開花した。アクバルは、自らヒンドゥー教徒の女性と結婚しただけでなく、非イスラーム教徒に対する人頭税(ジズヤ)を廃止するなど、ヒンドゥー教徒との関係改善に努めたが、このような宗教的な寛容さは帝国の安定した基盤を築くのに重要な意味を持った。

〔ムガル帝国の領域〕
世界の歴史まっぷHPより)

アウラングゼーブ帝の治世と帝国衰退

以上に挙げたアクバル帝の時代を経て、第5代皇帝シャー=ジャハーンの治世までにムガル帝国はその支配と文化両側面において全盛期を迎えた。続く第6代皇帝アウラングゼーブ帝(位1658~1707年)の時代には、ムガル帝国はインドのほぼ全域という過去最大の領土を支配下に置くこととなったが、それと同時に、彼の治世にムガル帝国の支配が大きく転換することとなったことに注目しなければならない。

アクバル以降のムガル帝国では宗教融和策が支配安定の一つの鍵となっていたが、一方で、アウラングゼーブ帝は非イスラームに対して厳しい態度を示した。厚いイスラーム信者であった彼は、ヒンドゥー寺院の破壊人頭税の復活を実施し、シク教徒・ヒンドゥー教徒への弾圧を行った。こうした中で、帝国内では財政不調に加え、シヴァ―ジー主導によりヒンドゥー教国家として帝国からの独立を目指すマラーター王国(1708~1818年)の登場、シク教徒の反乱が起こり、ムガル帝国の支配は弱体化の一途を辿った。
アウラングゼーブ帝が死去すると、ムガル帝国の支配が及ぶ地域も狭まり、帝国は実質解体してしまう。マラーター王国を始めとする地方勢力や、インド各地の独立政権、18世紀にはイギリス・フランスの東インド会社などのヨーロッパ勢力までもがムガル帝国での覇権争いに乗り出すようになり、1858年、イギリス東インド会社解散とともに第17代皇帝バハードゥル・シャー2世治世のムガル帝国滅亡するまで、インドでは戦乱期が続いた。それ以降は、イギリスの植民地としてのインド帝国という新しい時代に突入する。

インド=イスラーム文化

インド=イスラーム文化とはインド古来のヒンドゥー教の文化とイスラーム文化が融合して形成されたもの。インドでのイスラーム教の受容はデリー=スルタン朝の頃から行われていたが、16世紀ムガル帝国の時代に最も栄華を極め、その様子は美術、建築、宗教、言語などの様々な面で文化の融合を見て取ることができる。

  • ムガル絵画の誕生
    ムガル帝国では、宮廷にイラン出身者やインド各地の画家が招かれて絵画が作られた。こうして制作された多数の絵画は、イランで発達したミニアチュール細密画の影響を受けた装飾的で細密な表現という特色を持ち、主に宮廷生活肖像画などの作品が残されている。後に、ムガル絵画の影響を受けて、民衆生活と結びついた絵画であるラージプート絵画が生まれた。

〔ムガル絵画(ムガル帝国細密画)〕
世界の歴史まっぷHPより)

  • ウルドゥー語の誕生
    ムガル帝国の公用語であったペルシア語にヒンディー語の文法を融合させた、ウルドゥー語が誕生した。ウルドゥー語は、現在のパキスタンの公用語となっている。
  • 新たな信仰の創始
    15~16世紀にかけて、宗教においてもヒンドゥー教とイスラーム教の融合を説く者が現れた。15世紀には、カビールという宗教家がインド古来のバクティ信仰とイスラーム教のスーフィズムを結び付ける宗教思想を唱えた。続いて16世紀初めにシク教を創始したナーナクは、カーストの区別の批判、偶像崇拝の否定などのヒンドゥー教改革を掲げた。シク教徒たち16世紀の間に結束力を高め、後にアウラングゼーブ帝に対し反乱を起こした。
  • タージ=マハルの建設
    インド=イスラーム文化を象徴する建築物として、最も有名なのがタージ=マハルである。タージ=マハルは、第5代皇帝シャー=ジャハーンの時代に愛妃ムムターズ=マハルの墓廟としてアグラに造営されたもので、チャトリという丸いドーム状の屋根を持つ小さな塔などのインド様式特有の構造を持ちながら、全体としてペルシア建築の影響を強く受けた建築として知られ、同じく世界遺産に登録されている、ファテープル=シークリー(アクバルがアグラの後に建設した新都)の建造物群と並んで、インド=イスラーム文化を代表する建築となっている。

〔タージ=マハル〕
世界遺産オンラインガイドHPより)

確認問題

  1. 1526年、パーニーパットの戦いでロディ―朝を破ってムガル帝国を建国した人物は誰か。
  2. 1206年~1526年までデリーに都を置き、インド北部を治めた5つの王朝を総称して何と呼ぶか。
  3. ムガル絵画はペルシアの影響を受けて生まれたが、イラン圏の何から影響を受けたのか。
  4. ムガル帝国の最大版図を実現した第6代皇帝の名を答えよ。
  5. ムガル帝国後期に、シヴァージー主導でデカン高原に独立したヒンドゥー教国は何か。
  6. アクバルが支配階層の組織化のために整備した位階制を何と呼ぶか。
  7. アクバルが宗教的融和策として廃止したものは何か。
  8. ムガル帝国で生まれた、ペルシア語とヒンディー語の融合した言語は何か。
  9. 16世紀初め、ナーナクが創始した宗教は何か。
  10. 第5代皇帝シャー=ジャハーンが愛妃の墓廟としてアグラに造営した、インド=イスラーム文化を代表する建築は何か。

・・・・・・・

(解答)

  1. バーブル
  2. デリー=スルタン朝
  3. ミニアチュール(細密画)
  4. アウラングゼーブ帝
  5. マラーター王国
  6. マンサブダール制
  7. 人頭税(ジズヤ)
  8. ウルドゥー語
  9. シク教
  10. タージ=マハル

→続きはこちら 大航海時代とヨーロッパ世界の拡大

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参考資料

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 世界遺産オンラインガイド
    • 最終閲覧日 2020/9/28
  • 世界の歴史まっぷ
    • 最終閲覧日2020/9/28

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。