十字軍と中世ヨーロッパの社会<[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

前回はローマ帝国分裂後の東西ヨーロッパ世界形成期について学びました。今回は、中世の西ヨーロッパ社会の発展において重要な出来事の一つである十字軍遠征について、そして教会大分裂(大シスマ)、最後に商業の発展に伴って形成された中世都市について要点をまとめました。西ヨーロッパでは、世界中世にはすでに強大ないくつもの君主国が成立していましたが、諸国各々の政治を学ぶ前に西ヨーロッパ全体の社会の動きを知っておくと効率的に学習できるので、今回の内容をしっかりと身に付けて次のステップへと進みましょう!

中世ヨーロッパ世界
Part1 中世ヨーロッパ世界の形成
1.西ヨーロッパの形成
2.東ヨーロッパ世界の形成
Part2 十字軍と中世ヨーロッパの社会
1.十字軍による聖地回復運動
2.教皇権の衰退と教会大分裂
3.商業の発展と中世都市
Part3 中世西ヨーロッパ諸国の発展
1.イングランド
2.フランス
3.スペイン・ポルトガル
4.確認問題

Part2 十字軍と中世ヨーロッパの社会

十字軍による聖地回復運動

人口の増加宗教的情熱の高まりを背景に、西ヨーロッパ世界では11世紀末から13世紀の間にかけて十字軍による7回の遠征が行われた。

十字軍とは?

十字軍

イスラーム教勢力に対し、聖地イェルサレムの奪還という宗教的な目的の下行われた、西ヨーロッパのキリスト教徒による軍事活動。これは、1095年ビザンツ帝国皇帝からの援助要請に応える形でローマ教皇の呼びかけによって始まり、1270年の第7回十字軍がイスラーム勢力の反撃を受けたことで失敗に終わった。
1291年には、西アジアにおけるキリスト教勢力は全てイスラーム教徒に敗れ、十字軍の時代が完全に終了したが、十字軍の度重なる大規模遠征によって地中海地域の勢力は一変し、ドイツ・フランス・イングランドなどのアルプス以北の君主国を含む新たな政治圏が形成された。また、ビザンツ帝国やイスラーム圏の文物が流入するようになるなど、十字軍が中世の西ヨーロッパ社会に与えた影響は大きかった。

十字軍の経緯

第1回 

1096-99年

  • セルジューク朝の侵攻を受けたビザンツ帝国の皇帝アレクシオス1世からの援助要請に応えた教皇ウルバヌス2世の呼びかけで形成された。
  • 異教徒からの聖地奪還という宗教的目的を民衆に与えた。
  • 98年にはアンティオキアを、翌年にはイェルサレムを占領し、イェルサレム王国を建国。アルメニア~シリア地方に十字軍諸国家を建設。
第2回 

1147-49年

  • イスラーム勢力の反撃を受けて組織。
  • 戦略や協調性の面で失敗し、大損害を負う。
第3回 

1189-92年

  • アイユーブ朝サラディンによるイェルサレム陥落を受けて召集。
  • 皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、オーストリア公レオポルド5世、イングランド王リチャード1世が参加したが、失敗。
第4回 

1202-04年

  • 前ヴェネツィア皇帝の息子の要請により、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを占領。
    (ビザンツ帝国、一時的に滅亡)
  • 1204年ラテン帝国建国。以降、十字軍縮小。

→聖地奪還という本来の目的から反れた。

ローマ教会とコンスタンティノープル教会の間の東西分裂が決定的になる。

第5回

1228-29年

  • 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の主導により、アイユーブ朝の内紛に乗じてイェルサレムを一時回復する。
第6回

1248-54年

  • フランス王ルイ9世の主導でイスラーム勢力の中心であったアイユーブ朝エジプトを攻撃。
  • マムルーク軍に敗れ失敗、ルイ9世自身が捕虜となった。
第7回 

1270年

  • 最後の十字軍。
  • フランス王ルイ9世がチュニス攻撃を目指し、再び十字軍を組織。
  • チュニスで疫病にかかり、ルイ9世死亡。

十字軍の影響

  • 修道騎士の誕生
    十字軍が始まると、修道士であると同時に騎士としての役割も持った戦闘的な修道会(騎士修道会)が現れた。ドイツ・ヨハネ・テンプルの三大騎士団が代表的であり、特にイェルサレムを本拠地としていたテンプル騎士修道会は、パレスチナへの巡礼の保護を目的とした軍事や金銭輸送など多様な任務を担い、莫大な富を得た。12世紀末に公認されたドイツ騎士団は東プロイセンへの布教を目的とする東方植民を進める中でドイツ騎士団領を形成した。

〔テンプル騎士団〕

  • ユダヤ人の迫害
    ヨーロッパでは古来より反ユダヤ感情が見られたが、ユダヤ人の迫害は十字軍運動の盛り上がりと共に始まったとされている。十字軍に参加した民衆はイスラーム教徒だけでなくユダヤ人もみな敵とみなし、イェルサレムのユダヤ人に留まらずヨーロッパの国内に暮らすユダヤ人たちをも襲撃した。第1回十字軍が組織された1096年の夏には、ドイツのライン地方でたくさんのユダヤ人が殺害された。生き残ったユダヤ人たちは、ユダヤ人が多く居住する隣国ポーランドへと逃げ込んだが、ポーランドはそれ以来、第二次世界大戦の時代までヨーロッパ最大のユダヤ人居住国となった。

教皇権の衰退と教会大分裂

第1回十字軍を組織したウルバヌス2世に続いて、1198年に教皇となったインノケンティウス3世は神聖ローマ皇帝やイングランド王ジョン、フランス王フィリップ2世を屈服させるなどの成果をあげ、教皇権の最盛期を築いた。しかし、彼の築いた絶頂期を終えると、西ヨーロッパ社会では14世紀初めには大飢饉、14世紀半ばには黒死病(ペスト)の流行などが発生し、封建社会が崩壊し始めた。また、このような背景の中でアナーニ事件に始まる教皇権の衰退は14世紀の社会に大きな混乱をもたらした。

<教皇の権威失墜と大シスマ>

1303 アナーニ事件
フランス王フィリップ4世が、聖職者への課税を巡って対立していた教皇ボニファティウス8世をアナーニで捕える。ボニファティウス8世はまもなく憤死。→強大な君主国に対する教皇権の優位性が失われる。
1309-77年 「教皇のバビロン捕囚」
フィリップ4世が南仏に位置するアヴィニョンに教皇庁を移す。→イタリアでの反発・人民主権説(オッカムのウィリアム)などが起こる。
1378-1417年 教会大分裂(大シスマ)
イタリア人の教皇ウルバヌス6世(ローマ)とフランス人の教皇クレメンス7世(アヴィニョン)の二人の教皇が並立状態に。

→ヨーロッパ諸国の政治的分裂により、大シスマは長期化。1409年ピサ公会議ではさらに3人目の教皇が選出され、さらなる混乱を招いた。

1414-18年 コンスタンツ公会議
ドイツ皇帝ジギスムントの布告によって開催。

  • 公会議の指名したマルティヌス5世が新たな唯一の教皇として承認され、大分裂は収束した。
  • イングランドの大学教授ジョン=ウィクリフが異端として断定された。また、彼の説を支持し改革派を率いたとして神学者ヤン=フスもまた有罪と見なされ、火刑に処された。
    ※フスの支持者たちはその後、教会と帝国に対して反乱を起こした。(フス戦争 1419~36年

商業の発展と中世都市

中世ヨーロッパにおける商業の発展

ヨーロッパでは、12世紀頃までに人口の増加に伴う食糧や農地の需要が高まり、農村生活は市場を中心として組織されるようになっていった。またその中で、10世紀頃よりも規模が増大した荘園では、それまで農民と領主との間で交わされていた賦役や現物地代が貨幣地代へと転換するなど、中世ヨーロッパでは商業の発展の結果として貨幣経済が広まった。さらに、共同事業や契約、大規模事業といった、近代資本主義の起源となるような経済取引の仕組みが構築されたのもこの時期であった。

地中海商圏と北海・バルト海商圏

12世紀~13世紀にかけてのこのような経済の発展と、十字軍の活動による遠隔地貿易の発展農業生産力の向上によって市場に集まった商人や職人たちは、そこに定住することで町や都市を生むこととなった。特に遠隔地貿易で活躍したのはイタリア人ユダヤ人の商人が多く、ヴェネツィアジェノヴァなどの交易都市は中世においても、香辛料絹織物などを取り扱う東方貿易(レヴァント貿易)で利益を上げていた。北方では、北ドイツリューベックハンブルクフランドル地方アントウェルペンや、ブリュージュイングランドロンドンブリストルなどが、木材毛皮などの生活必需品の取引で栄えた。

また、これらの商圏を結ぶフランス内陸部のシャンパーニュ地方では大規模な定期市が開催され、商業の中心地として繁栄した。

〔中世の遠隔地商業〕

世界の歴史まっぷHPより引用)

新たな商業社会と自治都市

  • 自治都市の形成
    社会の変化の中で商人や職人といった都市民が現れると、イタリアやフランス、フランドルの都市民たちは、都市領主からの特許状を得て法人団体を形成した住民の宣誓共同体からなる自治的共同体(コミューン)を形成するようになった。ドイツでは帝国都市皇帝・国王に直属する都市)と自由都市司教座都市が発展したもの。バーゼル・シュトラスブルク・シュパイアー・ヴォルムス・マインツ・ケルン・レーゲンスブルクの7都市を指す。)の二種類の形で自治都市が形成され、これらの都市はほぼ完全な自治権を持っていた。こうした自治都市は皇帝の軍事力に対抗し、共同の利益を確保するために都市同盟を結んだが、12~13世紀に結成された北イタリアロンバルディア同盟が神聖ローマ皇帝軍を破り、13~17世紀の北ヨーロッパで結成された通商同盟ハンザ同盟がデンマークを破ったことから、都市同盟が大きな力を持っていたことがわかる。
  • ギルドの形成
    商業が活性化した中世都市の産業はギルドと呼ばれる共同・同業組合組織によって高度に組織化されていた。13世紀頃に生まれた職業別の同職ギルドでは、熟練の親方を頂点とする階級秩序が存在し、親方の下で職人徒弟が働く仕組みとなっていた。13世紀末に同職ギルドは、当時、都市の市政を独占していた商人ギルドに対して、市政への参加を求める政治闘争を起こし(ツンフト闘争)、その結果いくつかの都市では手工業者の市政参加が可能になった。

〔中世の自治都市〕

→続きはこちら 中世西ヨーロッパ諸国の発展

おすすめ記事

参考資料

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 世界の歴史まっぷ
    • 最終閲覧日2020/8/3

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。