時代背景とセットで覚えるように努めよう!日本の制度・法律史【江戸時代〜大正時代編】

時代背景とセットで覚えるように努めよう!日本の制度・法律史【江戸時代〜大正時代編】

本記事は日本の制度・法律史【〜安土桃山時代編】の続きの記事になります。このシリーズでは日本で作られた制度や法律について,その時代背景と共に解説していくものです。シリーズを通して読むことで歴史の全体像を理解したり,個々の記事を読むことで受験に向けた深い知識を取得したりと,合格に向けて活用していただけますと幸いです。

江戸時代

それではまず前回の続きである江戸時代の説明から始めていきましょう。全国を統治した秀吉が朝鮮出兵に失敗して亡くなった後,関ヶ原の戦いで豊臣家を破った徳川家が全国支配の実験を担うようになりました。この江戸時代は,支配を固めていった前期・徐々に力が弱まった中期・幕府が衰えてしまった後期の3つに分割して覚えるといいでしょう。

まず前期について,家康の治世を見ていきましょう。まず彼は江戸に置かれる幕府と大名が治める領地である藩によって全国を統治するという幕藩体制を敷き,支配を地方にまで広げていくことを狙いました。また反乱が起きにくいように,徳川と仲の良かった大名を江戸や大阪といった要地の近くに置き,そこまで仲がいいわけではない大名を遠くに置きました。加えて彼は武家諸法度というルールで城の建築や大名同士の結婚などを禁じることでも大名を監視しました。このほか禁中並公家諸法度により天皇や貴族,寺社の行動も制限することでより幕府の支配を確立したものにしました。

その後幕府の支配は家光によって更に確保されました。特に1年おきに江戸と領地を行き来させることで大名に出費を強い,反乱のための能力を削ぐという参勤交代の制度や,百姓の家を5戸ずつグループ分けして共同責任を負わせることで悪事が起きないようにする五人組の制度は覚えておきたいところです。そして家光はより一層の支配のため,信者が団結して幕府に逆らわないようにキリスト教信仰禁教令を出し,やがては海外との一切のやり取りを禁止する鎖国によって,幕府による支配はより統制されたものになりました。

続いて中期を見ていきましょう。まず見ていくのは5代将軍綱吉の政治です。彼の頃には鎖国により平和な社会が築かれていたので,儀礼や法制によって社会の安定化を目指す文治政治と呼ばれる政治が展開されました。彼は特に中国発祥の学問である儒学の中の朱子学に着目して,幕府への忠誠を強めるために寺院の建築などに力を入れましたが,そのせいで幕府のお金がどんどん無くなっていってしまいました。また綱吉は生類憐みの令というきまりによってあらゆる動物を守ろうとしましたが,そのせいで人々は窮屈な暮らしを強いられるようになりました。

そしてその後の6代・7代将軍についてですが,彼らの時代では新井白石という儒学者が活躍しました。彼は後に正徳の治と呼ばれる政治を行い,綱吉の代に増えてしまった質の悪い貨幣を無くしていったり貿易を制限したりして,経済の安定を図りました。

その次に注目しておきたいのは8代将軍の吉宗の政治です。吉宗は財政を立て直すためにたくさんの施策を講じたのですが,このことが享保という年号の時に行われたことから吉宗の政治は享保の改革と呼ばれます。彼はまず公事方御定書によって,公正かつ速やかな判決のための裁判の基準をまとめました。また吉宗は目安箱と呼ばれる投書箱を設置し,民衆の不満や意見を直接政治に反映させるためのシステムを作りました。加えて上げ米の制によって,大名に米を献上させる代わりに参勤交代を楽にすることを実施し,財政を整えようとしました。吉宗の政治は成功するものの,農作物が上手く育たないききんが発生するとたくさんの一揆が起こり,治安が悪くなってしまいました。

続いて後期についてですが,後期は政治が安定せずたくさんの政治家とたくさんの制度が登場します。はじめに取り上げるのは9代・10代の老中として働いた田沼意次です。田沼は経済を成長させるために株仲間と呼ばれる商工業者のグループを作るよう働きかけ,そこに特権を与える代わりに税をたくさんもらうという政治を行いましたが,わいろ政治と批判されてしまいました。田沼はまた干拓・開拓などを進めて生産力をあげようとしましたが,天明のききんや浅間山の噴火などで一揆や打ちこわしが増え,失脚してしまいました。

続いて登場するのは寛政の改革と呼ばれる政治を行った松平定信です。彼は贅沢やわいろを取り締まる倹約令,ききんに備えて大名に食料を蓄えさせる囲米の令,徳川にとって仲の良い大名の借金を帳消しにする棄捐令,朱子学以外の学問を禁じる寛政異学の禁などたくさんの試みを行いましたが,厳しすぎるため失敗してしまいました。

この後を引き継いだのが水野忠邦です。彼は天保の改革と呼ばれる政治を行い,より倹約でより風紀に厳しい政治を目指しました。具体的には,松平と同様に水野も倹約令を出して民衆の生活を縛ったり,物価を下げるために株仲間を解散させたり,人返し令によって出稼ぎに出ていた農民を農村に帰らせて江戸の貧民の増加を防ごうとしたりしました。しかし水野の政治も厳しすぎたためわずか2年で失脚してしまいました。

そして江戸時代は最終的に外国への開国をもって終わってしまいます。日本に近づいてくる外国に対して幕府ははじめ異国船打払令を出し,鎖国を守ろうとしました。しかしイギリスやアメリカが力のある大国だと知ると異国船打払令は緩くなり,日本は結果として鎖国を止めて開国し、関税自主権がなく領事裁判権を認める内容の条約を結ばされることになってしまいます。そのような幕府にはついていけないと感じた人達が天皇を中心とした政治を進めようとするなかで,15代慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還によって政権は朝廷に返上され,明治時代が始まります。

明治時代

それではここからは明治時代について取り扱います。江戸時代の終わりに政権が天皇に返され,天皇を称えるメンバーによる政治が行われるようになったのですが,明治時代は大きく前半と後半に分けて覚えていくといいでしょう。まずはこの新政府が行ったことを見ていきましょう。はじめに彼らは五箇条の御誓文という文章で,政治を動かす上での基本方針と,一揆やキリスト教の禁止など国民が守るべき内容が示されました。その後新政府は国の一元管理のために,版籍奉還という制度によって,これまではそれぞれの藩が支配していた土地(版)と人(籍)を国に返上するよう命じました。しかし結果として藩の中での支配体制が残ってしまったので,政府は廃藩置県によって藩というものを廃止し,代わりに国の役人を派遣することで統治が確立されました。また新政府は江戸時代に存在していた身分制度を皇族・華族・士族・平民の4つに分け直し,四民平等を訴えながら解放令によって異なる身分同士の結婚を認めたり,武士や貴族の特権だった苗字を名乗ることが平民にも許可されたり,天皇の前では国民は等しく平等であるとされました。その一環として出されたルールが廃刀令であり,帯刀が禁じられ武士の特権は失われていきました。加えて新政府は日本を欧米のような強い国にするために20歳を迎えた男子を3年間軍隊に入れるという徴兵令を出したり,産業革命が進んだ欧米から技術を取り寄せて官営模範工場を建てて産業の道標としたりしました。更には地租改正により税金を米ではなく金券で徴収することを定め,年貢の安定した徴収を目指しましたが,民衆の負担は江戸時代と大差なかったので不満を買ってしまいました。いまの義務教育の基盤となる学制が作られたのもこの明治時代で,6歳以上の男女はすべて小学校に通うこととされました。

これらの政策によって力をつけていった日本ですが,やがて民衆の間で政府の重要なポストが特定の藩の出身者で固められていることが藩閥政治と批判されるようになります。その不満は西南戦争という形で爆発してしまうのですが,その後誰しも等しく政治参加の機会を与えるための議会を開こうという動きが高まります。この動きの成果として出されたものが民撰議院設立の建白書であり,この書類を板垣退助らが政府に提出し,国民の政治参加を訴えました。そうして国民の政治参加を獲得するために起こったのが自由民権運動なのですが,この結果達成したのが国会のもととなる帝国議会の開設です。そして国会の開設のために行われたのが大日本帝国憲法の制定です。政府はドイツなどの憲法を参考に,天皇が主権を持ち,議会や内閣は天皇のためにあり,国民の権利は法律で縛られるという憲法が作られました。この憲法のあり方はよく日本国憲法と比較されるので,セットで違いを覚えておきましょう。またこの議会や憲法が成立した時期に教育勅語というものが発布され,天皇や日本に対する忠君愛国の精神が教え説かれることになりました。このように国を強くし政治を活発にしていったのがこの明治時代であり,やがて欧米ほど強くなって日清戦争などに勝つようになるのですが,その裏でたくさんの不満が募り,社会運動の精神が芽生え始めました。

大正時代

日本を大きく変えた明治時代は1912年に明治天皇が亡くなったことで終わりを迎え,大正時代が始まります。この頃はヨーロッパで第一次世界大戦が起きたり中国で革命が起こったりと世界で色々なイベントが起きましたが,日本に注目すると大正時代には大正デモクラシーとまとめられるさまざまな社会運動が流行り,その結果いくつか覚えておきたい法律ができました。運動として代表的なものが,議会を無視した政府への抵抗として憲法の重視を訴えた護憲運動,米の値上がりに不満を抱いた主婦たちの米騒動などがあります。特にこのうち護憲運動が実った結果として,これまで一部の人しか参加できなかった政治により多くの人々が参加できるように普通選挙法が作られました。ただしこの普通選挙には満25歳以上の男子という制限があり,まだまだ今の選挙の形には程遠いものでした。そしてこの普通選挙法とセットで作られたのが治安維持法です。この法律により,普通選挙法で誰もが選挙に参加できるようになったとはいえ,国にとって望ましくない発言や表現は厳しく規制されてしまいました

終わりに

本記事ではこれまで江戸時代から大正時代までの期間に焦点を当て,日本で作られた制度や法律について解説していきました。この期間が中学受験社会の歴史において最も出題されやすい範囲だといえるので,下記のおすすめ記事や参考書籍を使いながら更なる学力向上に励んでいきましょう。次回は細々とした戦中・戦後史を扱う予定ですので,前回・今回の記事と併せて成績アップに役立てていただけますと幸いです。

(ライター:大舘)

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