【中学受験】古墳時代の歴史の知識、覚えていますか?

前回は、日本の歴史の弥生時代について、押さえておきたいポイントをまとめました。古代については歴史を勉強し始めたころに学習しているので、忘れてしまいがちなところです。

ですが、古代は、現代の日本の基礎となる国家整備がおこなわれてきた時代であり、それがブラッシュアップされて現代に結びついていることを忘れてはいけないです。ですから、入試においても古代が関係なさそうな問題の中に1問古代に関する設問が出てくることも珍しくありません。忘れている受験生が多いので、「差が付きやすい」単元でもあるのが古代なのです。

覚えるべきことは近代に比べるとそれほど多いわけではありません。覚えるべきポイントがあるので、それを的確に理解し、整理しておきましょう。そうすれば、いきなり古代の問題が出てきても驚くことはありません。

今回は、古代の中でも「古墳時代」についてポイントをまとめます。古墳を見に行ったことはありますか?ぜひ、資料集などと一緒に、古墳時代の文化について整理しておきましょう。

古墳とはそもそも何?

皆さんは、古墳を実際に見に行ったことはありますか?大きくて全体像が見えないものも多いですよね。そんな古墳がたくさん作られたのが古墳時代です。

前回ポイントをまとめた弥生時代も終わりごろになると、大和地方(やまとちほう)では、豪族(王)が集まり、なかでも力を持つ大王(のちの天皇)を中心とした大和朝廷ができあがりました。大和朝廷の支配が全国に及んでいき、古墳が各地につくられるようになったのが「古墳時代」なのです。豪族や大王、大和朝廷ができた経緯がポイントなので、整理しておきましょう。

古墳は「権力者のお墓」!

では、各地につくられた「古墳」とは何なのでしょうか。お墓、と覚えている受験生も多いかもしれませんが、単なるお墓とは違う意味があるのが古墳です。古墳とは、「高く盛り土された権力者のお墓」を言います。「権力者のお墓」であることが、ほかのお墓と違うところなのでしっかり覚えておきましょう。

そして、古墳には巨大なものからそれほどでもないものまでありますが、古墳の大きさ=古墳を作らせた人物の権力の大きさだったと言われています。権力者は、まだ生きているときから、自分が納められる古墳を作らせていたようです。古墳の規模からすると、作るのに何年もかかるので、死ぬ前から古墳を作らせる必要があったわけですね。今では、亡くなってからお墓をたてることも多いですから、生きている間からお墓を作れ、と命令するというのは想像もつかないかもしれませんね。本格的な古墳時代の前に活躍したと言われる、邪馬台国の女王であった卑弥呼の古墳もあると言われていますが、「ここではないか」と調査が進められていますが、まだ確定していません。

有名な「仁徳天皇」(にんとくてんのう)の古墳とされているのが、大阪府堺市にある大山古墳(だいせんこふん)は、世界最大級の古墳として知られています。仁徳天皇というと、かまどの話が有名ですよね。2019年に、この大山古墳を含む周辺の古墳群が世界文化遺産に認定されました。これが「百舌鳥・古市古墳群」です。世界遺産は受験で必須の知識なので、しっかり覚えておきましょう。「百舌鳥」は「もず」と読むので、その点もしっかり押さえておいてくださいね。固有名詞なので、間違いは厳禁です。

古墳の特徴

では、古墳にはどのような特徴があるのでしょうか?盛り土をして一段高いところにあるという特徴は共通していますが、古墳にはさまざまな形があります。丸型の古墳を「円墳」といい、四角形の古墳を「方墳」といいます。それらを組み合わせたのが古墳のイメージとして強い「前方後円墳」です。このように古墳にはさまざまな形があるので、資料集などで確認しておきましょう。前方後円墳は、「鍵穴」の形に似ている特徴的な形です。史料問題としても多く出題されるので、しっかり押さえておきましょう。

古墳の周りには、素焼きの埴輪(はにわ)が置かれています。なぜ埴輪が置かれていたかというと、盗賊が古墳内にある副葬品を盗むことから守る役割があったと言われています。権力者が埋葬されるときには、銅鏡、勾玉(まがたま)、鉄製の武器、馬具、農具など、たくさんの副葬品が一緒に埋葬されました。これらは価値が高かったため、盗賊の標的になったのです。それを守る埴輪の中には、1メートルを超えるほどの大きさのものも多かったです。

埴輪というと小さなイメージがあるかもしれませんが、守る役割なのですから、大きな埴輪があることも不思議ではありませんよね。盗賊がお宝を盗みに来るのは主に夜だったでしょうが、1メートル以上の黒くて大きな人影が見えたらびっくりして逃げ帰ったでしょうね。それが埴輪です。眠りについた権力者を守り続ける役割を果たしていたと考えると、埴輪が置かれていたのはなぜか、ということも理解できますね。

大和朝廷は朝鮮半島支配も支配していた!?

大和朝廷は、古墳時代前後に成立したと言われています。豪族がなかでも力のある大王(おおきみ)を中心に結束してできた朝廷です。大和朝廷は各地に進出し、日本統一に対して大きな役割を果たしたのです。

大和朝廷が国を治めていたときにはその時代ならではのルールがありました。大和朝廷では「氏姓制度」(しせいせいど)というルールがとられていたのです。氏姓制度は、大王を中心とした政治をするために定められた身分に関するルールです。「氏」は血のつながった一族の集団のことをさし、「うじ」と呼びます。「姓」は大和朝廷からもらう役職のことで、「かばね」と呼びます。

氏姓制度は世襲制度(代々受け継がれること)だったので、どんなに優秀な人が現れても、決められた氏でなければ、大和朝廷の役人になれないという弊害がありました。この弊害が、結果的に大和朝廷が衰える原因になったのです。氏姓制度を詳しく知っている必要はありませんが、「氏」「姓」「世襲制度」というキーワードとその理由については知っておきましょう。

大和朝廷の古墳にはどんなものがある?

大和朝廷時代につくられたと考えられる古墳は、各地に広がっています。それだけ大和朝廷の支配が広範囲に及んでいた、ということですね。たとえば、首都圏なら、埼玉県の稲荷山古墳(いなりやまこふん)が有名です。遠足で言ったことがある方も多いのではないでしょうか。稲荷山古墳からは鉄剣が見つかっていて、それには「ワカタケル大王」という文字が刻まれているのです。

「ワカタケル大王」の正体ははっきりとはわかっていないのですが、当時大和朝廷をおさめていた「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)のことではないかと言われています。

また、熊本県の江田船山古墳(えたふなやまこふん)からも鉄剣が見つかっています。古墳は権力者のお墓なので、大和朝廷の古墳が関東や九州にもあったということからも、少なくとも関東から九州北部までは大和朝廷が支配していたと考えることができますね。つまり、大和朝廷は支配範囲を大きく広げた、とてもつい良い朝廷だったということができます。このように、出土した品ひとつ、どこに古墳があったかという点から、大和朝廷の支配範囲について想像することができます。理由付けとして重要なので、整理しておきましょう。

朝鮮半島に進出したのは「鉄」のため

大和朝廷は日本の統一を進めるなかで、朝鮮半島にも進出しています。その目的は武器の材料ともなる「鉄」を求めたからだと言われています。当時の朝鮮半島はいくつかの国に分かれていました。大和朝廷は加羅(から)と関係が深く、百済(くだら)や新羅(しらぎ)といった朝鮮半島の国を攻めて家臣にしました。

さらには西暦391年には高句麗(こうくり)に対しても戦いを挑んだのです。高句麗にある好太王(こうたいおう)の石碑に、日本が攻めてきた、という記録が残されている頃からも、大和朝廷が挑戦に進出していたことがわかります。

さらにときが進んで5世紀になると、大和朝廷による朝鮮半島の支配はうまくいかなくなってきました。大和朝廷が朝鮮半島に進出している間に、日本国内では豪族が中心となって活躍するようになっていました。豪族の中で特に有名なのは蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)です。この2つの豪族は争いを繰り返し、天皇家とも大きく関係していましたが、結果的に物部氏を倒した蘇我氏が政治の実権を握ったのです。その後、聖徳太子の時代などを経て大化の改新へと続いていくのはイメージがつながるのではないでしょうか。

渡来人によって伝わった文化

古墳時代に大和朝廷が朝鮮半島に進出したのと同じ時期、多くの渡来人が日本にわたってきました。当時、朝鮮半島やユーラシア大陸でも戦いが多かった時代だったので、その混乱から逃げるようにして日本列島にわたってきたのが渡来人です。渡来人の果たした役割を覚えていますか?日本にはなかった大陸文化をたくさん伝えたのが渡来人の大きな役割です。たとえばどのようなものがあったのか、整理してみましょう。

漢字

弥生時代には、まだ日本には文字がなかったため、歴史上のできごとは中国の書物に書かれていましたよね。古墳時代に、ようやく日本に文字が伝わってきます。百済からやってきた王仁(わに)という渡来人が「千字文」(せんじもん)を持ってきたことによって漢字が伝わったと言われています。千字文は、受験生の皆さんが使っている漢字練習帳のようなもので、漢字がびっしりと書かれていて、大陸の人々は千字文を使って文字の練習をしていたのです。まだ鉛筆などはなく、毛筆で書かれていたのも時代を感じさせますね。

儒教

この時代に伝わり、日本人の思想に大きな影響を与えたのが「儒教」です。儒教は、現代の日本でも道徳の基本となる教えです。宗教というよりも、内容は家族の在り方、政治や社会の在り方についての考え方でした。よく宗教と間違えられるので、簡単な教えについては押さえておきましょう。

儒教は中国の春秋時代に生きた「孔子」(こうし)という人物によりはじめられた教えです。孔子の教えをまとめたの書物が「論語」であり、その書物が渡来人によって持ち込まれたのです。「子曰く」(し=孔子いわく)、という形で始まる文章で家や政治、社会の在り方についてまとめたものです。春秋時代というのは、三国志の舞台となった戦国時代の少し前、日本では縄文時代の終わりごろです。その時代からすでに大陸では文字や政治に対する考え方の議論などがおこなわれていたのですね。

仏教

宗教として渡来人が日本に持ち込んだのが「仏教」です。仏教には今ではさまざまな宗派がありますが、その基本的な形が百済の聖明王(せいめいおう)によって伝えられたと言われています。

仏教には寺院がつきものですが、仏教が伝えられ、大和地方を中心に寺院が増えると、埋葬の方法にも変化が現れ、古墳をつくる権力者がだんだん減ってきて次の時代へとつながっていったと言われています。現代の日本では巨大なお墓をつくる権力者はいませんよね。これは、仏教が入ってきたことによって埋葬に対する考え方が変わったこともひとつの要因です。

古墳の特徴や出土品を整理しておこう

古墳時代で覚えておくべきことは、以下のようにまとめられます。

  • 代表的な古墳のかたちと、古墳とは何か
  • 代表的な古墳の名前と場所、出土品
  • 渡来人によって伝えられたモノ、こと
  • 仏教を伝えた百済の場所

これらは、中学入試で良く出題される知識です。古墳の場所や百済の場所などについては、地図が出されてどこにあたるか答えさせる問題も出題されるので、場所とセットで覚えておきましょう。

また、鉄剣などの副葬品が稲荷山古墳や江田船山古墳から発見されたことについてもまとめておくことをおすすめします。鉄剣が発見されたことにはどういう意味があるのか、古墳の場所から大和朝廷の力がどこまで及んでいたのか、など、出土品ひとつについてもそれが見つかった意味、理由を古墳の名前とともに整理しておくと混乱を防ぐことができます。ぜひやってみてください。

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