【中学受験】麻布中学が「自由」と言われるのはなぜ?「自由」の中身とは

東京の男子校の御三家と言えば、開成中学、麻布中学、武蔵中学。受験をお考えの方ならば、その名前を知らない方はいらっしゃらないと思います。入試の難しさ、偏差値の高さ、大学進学実績、歴史にあぐらをかかない改革姿勢・・・「御三家」と呼ばれ、男子受験生のあこがれ、最高峰の学校、どうしてもあの学校に入りたい、そう思わせる「何か」がそれぞれの学校にはあります。

「あの学校に入りたい」という理由は、それぞれの受験生、また親御さんによっても異なると思いますし、一人ひとり違って良いのです。ですが、なぜそんなにも受験生や親御さんが魅力を感じるのでしょうか?

たしかに偏差値の高さ、優秀な仲間とともに中高6年間を過ごし、勉学や部活動、さまざまな活動に邁進できるという恵まれた環境、それは伝統とともにそれぞれの学校の良さとして引き継がれてきていますが、「御三家」とひとくくりにしては、それぞれの学校の魅力は語ることができません。それぞれの学校に、それぞれの良さ、特徴があるからです。

今回は、東京の男子御三家の中でも、麻布中学校について、なぜ多くの受験生を集めるのか、どのようなところに魅力を感じて受験を考えるご家庭が多いのかについて考えてみたいと思います。キーワードは「自由」です。麻布中学校というと、「自由な校風」に魅力を感じて受験を考え始めた、という受験生やご家庭が非常に多いのです。御三家に合格するということは、学力面では当然高いものを持っていることは前提としても、「御三家ならどこでもいい」とは限らない、というご家庭も非常に多いです。

特に麻布中学校は、学校も「自由」を重視しています。ですが、それはただ自分勝手に学生生活をおくってよい、という意味ではありません。麻布中学校には、学校なりに生徒に与える「自由」と、生徒自身がつかみとる「自由」に対する確固とした考え方があります。今回は、麻布中学校が重視する「自由」とはどのようなものなのか、学校が生徒に対して認める「自由」とはどのようなものなのか、について、実際にうかがったことをお伝えしていきたいと思います。「麻布は自由だからいいと思った」その「自由」が果たしてどのようなものなのか、ぜひ考えてみていただきたいと思います。

麻布中学には「校則」がない!?

麻布中学は、最初にも書いたように、「自由な校風」にあこがれて受験を決める受験生が非常に多い学校です。もちろん、大学進学実績も人気の一端を担っていることはたしかですが、入学した生徒さんに聞いてみると、やはり「自由な校風」に魅力を感じて受験した、という方が多いです。

では、いったいどのくらい「自由」なのでしょうか?実は、麻布中学校・高等学校には、「校則」がありません。もちろん、野放図にならないために、生徒たちが自発的に考えた「麻布三禁」というものがあります。その内容は、以下のようなものです。

  • 校内での麻雀は禁止
  • 授業中の出前は禁止
  • 校内を鉄下駄で歩くことは禁止

中学校・高等学校の、しかも生徒が自発的に考えた内容とは思えない内容ですね。しかも、内容も「最低限守って当たり前」というようなもの、あるいは今の中学生・高校生からは考えられないような内容と言ってもよいかもしれません。これ以外に「校則」と言えるようなものはないというのですから、学校の「自由度」は相当高いですね。

では、なぜ麻布中学・高校はここまで自由な校風になったのでしょうか。これは、時代の流れに関連しています。1960年代後半から1970年代前半にかけては、大学でも安保反対などの学園紛争があった時期でした。その影響を受けて、麻布でも、政治集会に参加する生徒があとを絶たず、ヘルメットを被った生徒たちが当時の校長室を占拠するということもあったそうです。

ほかの学校、特に締め付けの強い学校であれば、間違いなく強制的に排除されていたでしょうが、麻布の対応は違ったようです。学校内で話し合いを重ね、全校集会で生徒の意思を集約して、「生徒の自主活動は基本的に自由である」という「約束」が生徒の中で交わされたそうです。普通であれば、学校側が生徒に「いうことを聞かせる」という姿勢で押さえつける時代だったのではないかと思いますが、麻布では、そのような約束が交わされたことによって、校長室を占拠していた生徒たちは退去したというのですが、ただ退去するだけでなく、占拠していた部屋をきれいに掃除して大挙していったというのです。

学園紛争ですから、占拠していた部屋を踏みにじっていくならわかりますが、きれいに掃除して、相手に敬意を払って退去するという姿勢をとるというのは、麻布の生徒の精神性の高さをうかがわせるエピソードです。校長室を占拠していた生徒たちは、退学処分を受けることもなく、皆一緒に卒業したそうです。規律で押さえつける学校では即退学処分だったのではないでしょうか。

このような学園紛争の時代の出来事をきっかけに、麻布では校則がなくなったそうです。先ほど書いたエピソードからは、最初からほとんど教師による押さえつけはなかったように感じますが、先の「生徒の自主活動は基本的に自由である」と決まるまでは、体育の先生が校門の前に立って指導する、というような、よくある光景が見られたそうです。生徒が自分から学び、勝ち取った「自由」が現代まで生きているということですね。

麻布が考える「自由」の内容とは?

教育現場で生徒も先生も締め付けすぎるべきではない

先日、歴史のある公立の小学校で、海外のブランドによる制服を導入するというニュースが話題を呼びました。公立の小学校で8万円、10万円といった制服が押し付けられるということに疑問を持った方も多かったのではないでしょうか。平等であるべき公立小学校での出来事だったので、違和感をおぼえるほどの、学校による「統制」だったといえるかもしれません。

しかし、麻布中学・高等学校は私学です。国から補助金を受けてはいるものの、基本的には建学の精神や教育理念というものが大切にされるべきですから、「皆同じでなければならない」という考え方を押し付けるのではなく、家庭から預かった生徒一人ひとりを、人間としてしっかり自立・自律させることが教育方針の中心に置かれているようです。

また、生徒に対して学校からの統制を強めるということは、生徒だけでなく先生の側にとっても統制が負担になる、ということも言えるでしょう。一概には言えませんが、一般的に、校則の厳しい学校は、生徒だけでなく先生もその校則によって厳しく「統制」されているケースが多いです。生徒に校則を守らせるためには、指導する側の先生も同じく校則に縛られてしまいます。そうでないと、一律に生徒を指導できなくなるからです。

ですが、学校は、勉学に励む場であり、ある程度の規律が生まれたとしても、本来生徒一人ひとりが目標をもち、毎日をいきいきと過ごす場であるはずです。それなのに、先生が校則に統制されすぎて生徒を縛ることにきゅうきゅうとしていては、先生自身もいきいきと生徒を指導することなどできないでしょう。

たとえば、服装チェックや髪形チェック、持ち物検査など、本来であれば家庭で親が子に教育すべき内容であっても、学校がそれを負担しているケースがありますね。先ほどの制服問題はともかくとして、もともと髪の毛が茶色い生徒に無理に黒く髪を染めるように指導するなどのニュースも最近ありましたが、こういった生活指導は行き過ぎると生徒はもちろん反感をもち、先生は本来やるべきこと以外に余計に負担を負うことになってしまいます。そうすると、逆に締め付けようとするあまり、生徒の良さをつぶしてしまうことにもなりかねません。

本来学校は、教育理念にしたがって授業を受け、生徒どうしや先生から知的な刺激を受ける場であるべきです。髪型がかなり自由であっても生徒が犯罪に手を染めるなどということなく楽しく元気に毎日通い、刺激を受けて向上心を身につけていくことが学校に求められる役割であるはずです。先生にとってみても、授業中、あるいは休み時間や放課後に生徒と真剣勝負で学習の場に臨み、自分の持つ知識を生徒に教え、さらに向上していくような教育現場の方がやりがいがあるでしょう。

麻布中学・高等学校では、生徒が毎日楽しく元気に通学し、先生が一生懸命に授業の場に臨み、生徒の力を引き出していければよいということを第一に考えているということです。かつては詰襟・黒ボタンの制服がありましたが、いまでは制服はありません。かつての制服が「標準服」という位置づけになっており、希望者は購入して入学式などの式典で着用することもあるようですが、基本的には、服装や髪形、持ち物に関しては「広い心で」許す、というのが基本的な考え方だということです。

多様性を縛るべきではないのではないでしょうか。

先ほど、服装や髪形について書きましたが、以前ニュースで「地毛証明書を提出せよ」と生徒に学校が求めたというニュースがありました。たしかに、服装や髪形に心が出る、という考え方もあるのかもしれませんし、正直なところある程度自制できる生徒でないと野放図になってしまうことも現実かもしれません。

ですが、世間から「だらしない格好をした生徒が多い」というようなよくない評判が立つことをおそれて締め付けを強めることによって学校の評判は上がるでしょうか。外面を良くして「良い学校だ」と見られたいというのは学校の見栄であって、決して生徒に真剣に向き合っているとは言えないのでしょうか。そればかりか、「学校が生徒を信用していない」という姿勢が垣間見えれば、生徒を統制するどころか、より反抗的にしてしまうばかりです。

中学生・高校生の男子はエネルギーがあり、反抗心も芽生える年ごろですので、上から無条件に押さえつけられることを嫌います。少々格好をつけて粋がる世代でもあります。それを無理に押さえつけるよりは、ある程度許容してあげる、というのが麻布の考える「自由」の内容のひとつでもあります。

また、日本の学校だからといって、最近は生徒が全員日本人ということはありません。麻布も多様なバックグラウンドの生徒を受け入れていますから、両親のうち一人が外国の方だったり、両親とも外国人ということもあり得ます。肌の色が異なったり、髪の色が異なったりというような多様性があることはいまどき当たり前になってきています。麻布中学・高等学校では、多様性があるからこそお互いに刺激し合うことができるのに、それを一律に縛るのは行き過ぎであり、人権侵害と言っても過言でないと考えられているようです。

自分なりの揺るがない「ものさし」を持った生徒を育てるのが「自由」

先ほどから、髪形や服装などを厳しく規律することによってまとめようとする学校もあるということを紹介しましたが、麻布には生徒の服装は自由で校則もありません。服装や髪形の自由さは「見た目」ですからどうしても目立つものですが、麻布がそれを許すのは、本当に求めているのが「内面の自由」だからだということです。

つまり、外から規律されるのではなく、自分の中に揺るぎない「ものさし」「基準」を自分自身で作りなさい、ということが麻布が真に重視している「内面の自由」であり、そのような基準を持って成長し、一人前の人間として社会に送り出すことが学校の使命だと考えている、それが麻布でいう「自由」であり、それこそが麻布が目標としている生徒像だといえるのでしょう。

麻布には校則がありませんが、校則は一歩間違えれば「拘束」です。「何かをしてはいけない」という決まりによって生徒を、ときには先生を拘束するものです。細かい校則によって中学・高校という、大きく成長する時期に子どもをコントロールしすぎると、卒業したとたん縛られていたものがなくなり、何に頼っていけばいいのかわからなくなってしまう子どもが増えています。それは、麻布でいうところの自分なりの「ものさし」「基準」ができておらず、自分を律することができなくなってしまうということです。麻布に校則がないのは、自分なりの「ものさし」「基準」を作り、自分を律することができるように導くため、ということができるわけです。

あまりに自由だと、生徒が失敗してしまうのではないか、という親御さんが増えていますが、先回りして何でも決めてあげて果たしてよいのか、ということも考える必要があります。もちろん、法律違反や犯罪を犯してはいけない、ということは当然のことですが、麻布では校則がないので、学校として生徒を縛るものは基本的にありません。

ですが、生徒が失敗しないように守る、というよりも、失敗の中で学ぶことも多いはずです。学校生活の中での失敗ということでいえば、授業中騒いだりすれば、その授業を楽しみにしているほかの生徒に迷惑がかかりますし、遅刻をすれば今度は自分が授業に出られずに損することになります。

大切なのは、生徒自身が、もともと持っている「自由」をどのようにコントロールしていくかということである、というのが麻布の考え方です。自分が持っている「自由」をうまくコントロールすることは実はとても難しく、コントロールの方法は、誰かに迷惑をかけたり、自分自身が損をするといった失敗の中で学んでいけばよい、ということを大切にしているということです。

生徒の問題行動にはしっかり向き合うのが麻布の姿勢

校則がないために、先ほど書いたような生徒の失敗はよく起こることでしょうが、もし行き過ぎた問題行動があった場合はどうなのでしょうか。たとえば、飲酒や喫煙、窃盗といった法律違反、犯罪につながりかねないような場合です。

校則がある学校や、比較的校則がゆるい学校であっても、このような問題行動の場合は、停学や退学といった処分で終わらせるということが多いのではないでしょうか。実際に、ある名門伝統男子校では、学校帰りにコンビニの前で喫煙したところを先生に見つかり、即停学になったケースがあります。これが通常の学校の対応だと思います。

では、麻布ではどうでしょうか。麻布では、生徒がしてはいけないことをしたときは、まず学年の担任と副担任による学年会や、全体の職員会議でどうするべきか、先生たちが集まってしっかり話し合いをするそうです。そのうえで、生徒が本当に反省を見せるまで、作文を書かせたり、ご家庭とも連絡をしっかり取り、そのうえで「反省した」と自他ともに認められれば、ようやく通常の授業への参加を認める、という方法をとっています。

校則に「○○してはいけない」と書いてあれば、それに引っかかれば即アウト、ということも言えるのでしょうが、校則がないので、生徒の違反行為を拘束に当てはめて処分を下すことができない難しさは麻布の先生方も感じているとのことです。それでも、生徒の育ってきた環境をはじめ生徒の話をよく聞き、友人に話を聞いて、問題行為をした生徒が前向きに歩いていけるようにする過程を重視している、それが麻布の大切にする「自由」を守る一つのステップだと考えているようです。だからといって、問題行動を何でもしてもよいというわけではありませんので、そこをはき違えないようにすることはもちろん大切です。

自由な校風だからといって風紀が乱れるわけではない

校則のない自由な校風だと、ときには行き過ぎたケースが発生し、風紀が乱れ、そのことによって生徒の学力が低下し、学校の評判も下がる、と心配になる親御さんも多いと思います。実際に、数年前、麻布でも問題が起こり、学校行事が中止になるということがありました。

そのような「事件」が起こると、学校としては風紀を引き締めるために、生徒に圧力をかけるということもあるかもしれませんが、麻布の考え方は異なるようです。自由な環境であるからこそ、生徒に「自分で考えさせる」ことを重視しています。生徒は自分の頭で考え、自分で行動し、自分がやったことの結果の責任は自分でとらなければならない、ということを、中学・高校の6年間かけて生徒自身がじっくり学んでいってほしい、というのが麻布が大切にしている「自由」を具現化していくプロセスなのです。

まとめ

麻布中学・高等学校は、広尾という都内の閑静な一等地に位置し、渋谷などの繁華街も近いので、「遊んでいる」というイメージを持つ受験生の親御さんもいらっしゃるようです。ですが、麻布の考える「自由」をはき違えなければ、中高6年間を通して、「自由」には「責任」が伴うことや、自立・自律の大切さを自分の力で学び取っていけるという学校だといえるでしょう。

そういう学校の姿勢が評価されているということは、受験倍率が毎年3倍前後を維持していることや、都心にあって寮がない学校ですが、首都圏以外からの入学者が毎年10人程度いる、ということからも分かるのではないでしょうか。また、海外から受験する帰国生も毎年一定数を占めるそうです。これも、「自由な校風」に惹かれた、ということのひとつの表れかもしれません。

ただし、麻布の自由な校風の中で中高6年間を過ごすためには、まず入試を突破しなければなりません。麻布の大切にする「自由」の中に飛び込んでいくためには、相当高度な受験勉強が不可欠です。入試問題も、一筋縄ではいかない「大人の目線」が求められる出題が目立ち、精神年齢も高い生徒さんが集まってきています。

私立の中高一貫校に進学するにあたっては、その学校の教育理念や大切にしている考え方、そして学校の生徒に対する真摯な向き合い方といったところを重視して志望校を選んでいただきたいと思います。麻布の壁は非常に高いものですが、「御三家だから」という理由だけではなく、麻布の大切にする「自由」についてよく吟味していただき、合格を勝ち取っていただきたいと思います。

ゴールデンウィークには学園祭も開催されます。実際に、生徒さんたちが自分の頭で考え、修練した結果や、何かを創り上げている姿、それらを発表する姿を見てみると、麻布中学校ならではの「自由」の中身を実感することができるかもしれません。決して「自由=野放図」ではないという学校の姿を目にしてみてください。そこには学校、先生と生徒の間の「強い絆」がある、そういった学校全体に浸透している「信頼感」こそが、麻布中学校の「自由な校風」を生んでいるのではないか、そう思います。ぜひ、お子さんもご一緒に、学校行事などにも積極的に足を運んでみてください。

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一橋大学卒。 中学受験では、女子御三家の一角フェリス女学院に合格した実績を持ち、早稲田アカデミーにて長く教育業界に携わる。 得意科目の国語・社会はもちろん、自身の経験を活かした受験生を持つ保護者の心構えについても人気記事を連発。 現在は、高度な分析を必要とする学校別の対策記事を鋭意執筆中。