今回は2021年度の灘中学校の国語の過去問を一部修正して詩の問題の解き方を説明していきたいと思います。
問題
次の詩を読んで、下の問いに答えなさい。
駅伝 村田好章
歩いていると
自転車に乗った大学生のむすこが
うしろからやってきて
知らぬ顔で追い越して行った
1ペダルの踏み込みがぎこちないわたしも
おとなになっても
父と外で出会うと
目を合わさず息をつめ
すれちがっていた
2氷で火傷したような
おかしな痛痒(かゆ)みで
方ほおをヒリヒリさせながら学校を出て
会社につとめ
結婚し こどもが生まれ
3見送る時期をむかえ
4見送られる時期をひかえ5夕陽のせいなのだろうか
輝いてみえるむすこの背中で
6わたしにだけみえる
タスキがゆれている(『朝の線香花火』による)
問1
−−線部1「ペダルの踏み込みがぎこちない」とありますが、それはなぜですか。理由として最も適当なものを次のア〜オから選び、記号で答えなさい。
ア、体が大きくなり自転車がこぎにくくなったから。
イ、氷に長くふれていて片ほおがかゆくなったから。
ウ、自分の父親と顔を合わすまいとしているから。
エ、正面の夕陽がまぶしいために前が見えにくいから。
オ、「わたし」をよけようとハンドルを切ったから。
【解答】ウ、自分の父親と顔を合わすまいとしているから。
道を歩いているのが父親だとわかっているが素知らぬふりをして通り過ぎようとするむすこの動揺があらわれているのが−−線部1「ペダルの踏み込みがぎこちない」という表現だと考えられます。
素知らぬふりをすると同様に父にも自分がむすこだと気づかれたくないと思っているため(ウ、自分の父親と顔を合わすまいとしているから。)が答えだと考えられます。
問2
−−線部2「氷で火傷したような〜ヒリヒリさせながら」とありますが、それはどのような気持ちですか。自分で考えて答えなさい。
【解答】家ではなんでもないのに、外で父に会うと恥ずかしい。
第一連で自分のむすこが素知らぬふりをして自転車を漕いで通り過ぎていったことをうけ、第二連では自分自身の似たような体験を回想しています。
「ペダルの踏み込みがぎこちない」むすこのようにかつてのわたしも「氷で火傷したような/おかしな痛痒(かゆ)みで/方ほおをヒリヒリさせながら」父とすれちがっていたのです。
また、「片ほおをヒリヒリさせ」や「氷で火傷したような」といった表現から気まずさから頬を赤らめているのではないかと推測することができます。以上のことから気恥ずかしさや恥ずかしいという表現が入っていれば良いでしょう。
問3
−−線部3「見送る」、−−線部4「見送られる」とありますが、それぞれどういうことを言っているのですか、答えなさい。
【解答】
−−線部3 父の死を見届けたこと。
−−線部4 自分が死ぬこと。
−−線部3の前に、
学校を出て
会社につとめ
結婚し こどもが生まれ
とあり、自分が親になると次にやってくる「見送る」というのは自分の親を「見送る」すなわち「親の死」であると推測できます。そうなると「見送られる」というのは「自分の死」であると考えられます。
問4
−−線部5「夕陽のせいなのだろうか」とありますが、他にはどのような理由が考えられますか、答えなさい。
【解答】若い息子が明るい未来に向かっているように感じたから。
第三連の内容から自分が「見送られる」側になりつつあることに対し、むすこの将来は明るく開けています。
−−線部5「夕陽のせいなのだろうか」の後に「輝いてみえるむすこの背中で」とあることからもむすこの未来が明るいことがわかります。
問5
−−線部6「わたしにだけみえる/タスキがゆれている」とはどういうことを言っているのですか、説明しなさい。
【解答】父から自分へ、自分から息子へと命のリレーが行われていて、そのタスキが子へ渡されたこと。
この詩はむすこが自分に対して素知らぬふりをして通り過ぎようとしたことをきっかけにかつての自分が父に対し、恥ずかしいと感じた経験を思い出したことから始まります。そして自分が親となり、親を見送ったようにむすこも進み始めていることを感じていきます。
この詩で描かれているタスキは父から子へ受け継がれていくもの⇨命であると推測できるでしょう。
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