古代オリエント世界とは?[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

今回は、前7世紀のアッシリアによるオリエントの統一までの諸民族の変遷を辿ります。メソポタミアや小アジア、シリア・パレスチナ地方は特に地形の問題上、様々な民族や国家が入り組んでいるため、そこをきちんと整理して覚えることがここでのポイントとなってきます。ここでは、メソポタミアエジプト小アジアと大まかに地域ごとに分けて流れを確認しますが、横軸を意識することも重要です。復習の時には、年代をしっかりと確認し、同時代に他の地域ではどのような動向があったのかを整理しておくとよいでしょう。

それでは、見ていきましょう!

古代オリエント世界とは?

オリエント世界とは?

(世界史の歴史まっぷより)

オリエント(Orient)とはラテン語で「太陽の昇る方向」という意味であり、古代ローマ人が自分たちの領土より東の土地であることからこのように呼んだとされている。その範囲は、人類史上最も早くに高度な都市文明が築かれたメソポタミアやエジプト、そして地中海東岸のシリア・パレスチナ地方、アナトリア高原に位置する小アジアであり、現代では「中東」と呼ばれる地域を指す。

この地方は、雨が少なく気温が高いため非常に乾燥した地域であった。そのため、古くから遊牧や乾地農業、オアシスでの灌漑農業が行われていたが、オリエントを高度な人類文明を発展させたのは、大河の一時的な氾濫を利用した灌漑技術の発達であった。そのため、東側を流れるティグリス川と西側を流れるユーフラテス川の流域であるメソポタミアや、ナイル川の流れるエジプトではとりわけ文明が栄えた。両地域の繁栄の違いは地理的問題による。メソポタミアはその開放的な地形ゆえに外部からの侵略を受けやすく、アッシリアによる統一までいくつもの王国が興亡を繰り返した一方で、エジプトは外部からの侵略が少なく、安定した国家を築いた。

メソポタミア

メソポタミア地方では、ティグリス川ユーフラテス川の定期的な増水により乾燥地域であるにも関わらず豊かな農業を営むことができた。そのため紀元前4000年紀にはすでに大村落が形成され、文字の発明や銅・青銅器の普及など文明が築かれていた。この大村落は前3000年頃に都市へと発展し、以来メソポタミアは様々な民族の繁栄の舞台となった。

前3000年頃

シュメール人の都市国家形成

〔ウルの軍旗〕

  • ウル、ウルク、ラガシュなど。
  • 王を中心とする階級社会が形成され、神権政治が行れた。都市の中心にはジッグラトという神殿が建てられた。
  • 各都市は農業や交易によって反映し、高度な文明を築いた。楔形文字が発明され、人々は粘土板にこれを刻んだ。
前2400年頃

アッカド人による都市国家の統一

  • セム語系
  • サルゴン1世時代に統一国家を築くが、その後崩壊。
前3000年紀末

アムル人によるバビロン第1王朝(古バビロニア王国)樹立

  • セム語系第6代目ハンムラビ王時代、全メソポタミアを統一。
  • シュメール法を集大成したハンムラビ法典では「目には目を歯には歯を」の復讐法と身分による刑罰の制度が特徴的。
  • 前16世紀、ヒッタイト人によって滅亡。

古バビロニア王国の滅亡後は、バビロニアを支配したカッシート人や、北メソポタミアに興ったフルリ人を中心とする王国、ミタンニ王国がメソポタミアを支配し、紀元前7世紀にアッシリアが全オリエントを征服するまで、オリエント世界は様々な国家が並立する複雑な政治状況が続いた。

文化的には、シュメール人によって発明された楔形文字の使用、六十進法太陰暦の使用、太陰太陽暦の誕生など、多くの分野において学問が発達した。

エジプト

エジプトはメソポタミアと並んで、もっとも古くから人類の文明を発展させてきたが、砂漠と海に囲まれた地形を持つためメソポタミアに比べ、他民族からの攻撃を受けることが少なく比較的安定した国家を築いた。エジプトの農業生産を支えたのはナイル川であり、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによる言葉エジプトはナイルのたまものが指すように、ナイル川の氾濫の灌漑により人々は古くから流域に村落(ノモス)を作って農業を営むことができた。

エジプトが統一国家を形成したのは前3,000年頃に上エジプトの王メネスが下エジプトを征服したのが最初であった。以降エジプトでは、前4世紀のアレクサンドロス大王による征服までずっとファラオと呼ばれる王の元で安定した統一国家を築いた。その間約30の王朝が興亡したが、一般にそのうちの特に重要な時代が古王国中王国新王国の3つに区分される。

エジプトの繁栄期   

〔ギザの3大ピラミッド〕

  • 古王国(前2700~前2200頃):第3~第6王朝

    • 都:メンフィス

    • 王(ファラオ)を中心とする神権政治が行われ、王は自身の権威を示すため墓所としてピラミッドを作らせた。中でもクフ王のものが最大とされている。次第にファラオの権力が衰え、滅亡。

  • 中王国(前2133~前1786年頃):第11~第12王朝

    • 都:テーベ
    • 一時、異民族ヒクソスの侵入を受け支配化に置かれる。彼らによってエジプトに馬と戦車が伝えられたとされる。
  • 新王国(前1567~前1085年):第18~第20王朝

    • ヒクソスを追いやり再び統一。
    • トトメス3世やラメセス2世は北へと勢力を進め帝国的な支配をした。とくにラメセス2世がヒッタイトと戦ったカデシュの戦いが有名である。

<第18王朝のアメンホテプ4世の政治>

  • テル=エル=アマルナに遷都
  • アモン中心の多神教から、唯一神アトンの一神教への改革
  • 自由で写実的な美術(アマルナ美術)の誕生

エジプトの文化

  • 太陽神ラーの信仰。
  • 新王国時代にはテーベの守護神アモンと結びつき、アモン=ラーが信仰された。
  • ミイラの制作。ミイラとともに「死者の書」という絵文書も埋葬された。
  • 文字は、神聖文字(ヒエログリフ)・神官文字・民用文字(デモティック)が使用された。
  • 天文・暦法の学問が発達しており、エジプトでは1年を365日とする太陽暦が用いられていた。これはのちにローマで採用され、ユリウス暦となった。

小アジア、地中海東岸地方

小アジアの強国、ヒッタイト王国

インド=ヨーロッパ語系民族のヒッタイト人は前19世紀ごろにアナトリア高原へ移動し、ヒッタイト王国を建てた。ハットゥシャを都として強大な帝国を築いた彼らはオリエントの他の地域に様々な面で影響を及ぼした。メソポタミアでは前17世紀半ば頃に古バビロニア王国を滅ぼし、エジプトのラメセス2世とはシリアの覇権をめぐってカデシュの戦いで争った。

軍事力にたけていたヒッタイト人の特徴は鉄製武器の使用であった。この製鉄の技術は前12世紀にヒッタイトが滅びた後にオリエント地方に普及し、人類文明の発展に大きく貢献した。

東地中海世界のセム語系民族

シリア・パレスチナ地方はメソポタミアとエジプトの中間地であり、地中海への交通路という地理的特徴を持っていたため、陸・海両方の貿易の場となった。一方、地形的条件が悪いため、強大な統一国家の形成はほとんどなくいくつかの諸民族が移住して暮らしていた。前15世紀頃にはカナーン人が交易で活躍していたが、「海の民」の侵入の後は、セム語系民族のフェニキア人アラム人ヘブイ人がこの地域で活躍するようになった。

  • フェニキア人
    • シドンティルスなどの都市国家を形成し、地中海貿易を独占。
    • 地中海沿岸にカルタゴなど多数の植民市を建設。
    • カナーン人の創始した表音文字からフェニキア文字を作り、アルファベットの原型とした。
  • アラム人
    • ダマスクスを中心とした小国家を建設。陸上の中継貿易の担い手として活躍。
    • 彼らの使用したアラム文字は王国滅亡後も全オリエントの国際共通語となり、多くの文字の源流となった。のちのアケメネス朝もアラム語を採用。

ユダヤ教の創始者、ヘブライ人

  • 前13世紀出エジプト前15世紀頃にヘブライ人はパレスチナに定住するようになった。その一部はエジプトへ移住したが、彼らは新王国の圧政に苦しみ前13世紀にモーセに率いられエジプトを脱出した。

〔民衆を率いるモーセ〕

  • 全盛期 第2代目の王ダヴィデが統一国家建設を目指し、イェルサレムを首都とした。その息子であるソロモン王の時代に全盛期を迎えるが、彼の死後、国は南北に分裂した。北側はイスラエル王国、南側はユダ王国となったが、最終的にはイスラエル王国はアッシリアに、ユダ王国は新バビロニアに征服されてヘブライ人の王国は滅びた。
  • ユダヤ教の確立 ヘブライ人はオリエントで唯一の一神教の民族であり、唯一神ヤハウェを信仰した。また、排他的な選民思想や救世主(メシア)信仰なども古くから持ち、数々の民族的苦境を経験する中でその思想を強めていった。 ユダヤ教の教典は『旧約聖書』であり、『新約聖書』と並んでキリスト教の教典とされている。

アッシリア

紀元前二千年紀に北メソポタミアに建国したセム語系アッシリア人は、首都アッシュルを中心に内陸中継貿易で栄えた。一時ミタンニ王国に服属するも、その後再度独立し、前7世紀にエジプトからメソポタミアへかけてのオリエント主要部分を征服し、大帝国を築いた。

<アッシリアの政治>

  • アッシリアはアッシュル・バニパル王の時代に最大版図となった。 アッシュル・バニパル王は首都ニネヴェに大図書館を建設したことで知られる。
  • 統治制度 アッシリアでは、州に分けられた領地に、それぞれ総督が置かれ、彼らが統治した。また、帝国の中央集権化を強化するため、駅伝制が設けられた。

(世界の歴史まっぷより)

アッシリアは一時強大な国力を持ったが、その圧政的な支配に対する反乱が各地で起こり、前612年に帝国は崩壊した。以後オリエント世界は前6世紀半ばのアケメネス朝成立まで、アッシリア崩壊の過程で成立した、エジプト王国メディア王国リディア王国新バビロニア王国の4王国が分立する状態となった

→続きはこちら アケメネス朝のオリエント世界再統一

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参考資料

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2009年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 世界の歴史まっぷ
    • 最終閲覧日2020/1/31

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。