3つしかないけど超重要!日本国憲法の三大原則を振り返ろう!

覚えよう、日本国憲法の三大原則!!

みなさん、日本国憲法の三原則が何だったか覚えていますか。そうです、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つでしたね。ここではこの3つの原則をより詳しく解説していきたいと思います。

昔は天皇、今は国民!!

国民主権というのは、「国民」が国の決定ごとを決める権限をもっている原則のことを言います。国の決定ごとをすることを「政治」といって、すなわち国民が中心となって政治を動かしていくのが「国民主権」というわけです。しかし、昔は主権者(政治を動かす中心の人)は、国民ではなかったのですよ。この原則ができたのは、日本国憲法ができた1945年からです。

では、昔はどうだったのかというと、昔は「天皇」が主権者でした。今では、天皇はどのような立場にいるか、みんな知っていますか。今の日本国憲法のもとでは、「天皇」は「象徴」という立場にいます。「象徴」というのは、「日本といえばこの人だよね」という、シンボルとしての立場のことです。例えば、平和の象徴といえば「はと」、鬼退治の象徴といえば「鬼滅の刃の竈門炭治郎」というように、○○といえばこの人と連想できるような人のことですね。つまり、世界から見れば日本の象徴といえば「天皇」という連想がされるような立場にいらっしゃるのが「天皇」というわけですね。日本国憲法の1条では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と記されています。これを「象徴天皇制」といいます。ではなぜ、昔は主権者であった天皇は、日本国憲法では「象徴」になったのでしょうか。

それは、戦争の反省があったからです。日本は明治時代から昭和時代にかけて数々の戦争を経験してきました。1894年の日清戦争に始まり、1904年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦、そして、日本がアメリカをはじめとする連合国に敗戦をした第二次世界大戦と、これらの戦争の過程で多くの人たちが大切な、大切な命を落としました。戦争が終わってから、私たちはなぜ戦争が起こってしまったのか、戦争を防げなかったのか、そしてこれから戦争をしないためにはどうしたらいいかということを必死に考えました。その中で、戦争が起こってしまった要因の一つに、天皇が主権者として存在し、すべての国民が天皇を神として崇め奉る「天皇制」という体制があげられたのです。昔は、天皇というのは神様で、天皇の言うことは絶対という価値観でした。だから、日本国民は天皇のためなら戦います、天皇のためなら命をも惜しくありませんという思想をもっていて、それが悲惨な戦争を招いてしまったということがあったのです。だから、戦争が終わった後、天皇は自ら「天皇は決して神様ではなく、ただの人なんだよ」ということを宣言しました。これを人間宣言といいます。そして、天皇制の反省から、実際に政治を動かしていくのは、絶対的な権力者を持つ、天皇でも、王さまでも、限られた特別な人でもなく、国民全員が一人一人考えて、意見をしあって、国を動かしていくべきだと考えました。そうして生まれたのが、「国民主権」というわけです。

だから、今これを読んでいるみんなに、国を動かしていく「主権」があるのです。このことをしっかりと考えて、自分は大人になってからどうやって国を、または世界を変えていくべきなのかということを考えてみてください。主権が国民にある限り、みんな一人一人には世界を変える力があるのですから。

戦争の反省から生まれた平和主義!!

さて、日本国憲法の2つ目の原則が、平和主義です。実はこれも「国民主権」と同様に戦争の反省から生まれた原則です。「あんな悲惨な戦争を体験したのだから、もう二度とこのようなことを繰り返してはいけない」という強い思いからです。平和主義は、日本国憲法の第9条からその原則の内容を知ることができます。9条をみてみましょう。

9条

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここに書いてある内容をまとめると、ポイントは4つです。一つ目は、「日本は決して国が行う戦争をしない」ということです。これを「戦争放棄」といいます。日本は永遠に戦争はしないと誓いました。二つ目は、「外国との争いを解決する手段として、武力でおどしたり、武力を使ったりしない」ということです。世界では今、「核兵器」というおそろしい武器をつくって、それを作ったことをあまり仲が良くない国に宣言したり、アピールして、挑発することで、相手をだまらせようとすることが行われたりしています。核兵器は一つ落とせば一瞬にして、人が、世界が、地球が滅びてしまう、非常に、非常におそろしい兵器です。当然、だれもがこのようなものを落としたいとも落としてほしいとも思っていません。だから、核兵器を見せつけると、持っているほうは脅したいけど落とすつもりはないし、挑発されているほうも核を落とされたくないから相手に対する敵意を取り下げるということを行うわけです。これを「核抑止力」といいます。でも、ほんとうにそんなので戦争の抑止になるのでしょうか。例えば、みんなの目の前にナイフを持った男が入ってきて、「絶対にナイフで刺したりしないから俺の言うことを聞け」なんて言ってきたらどうでしょうか。もしかしたらその男は言うことを聞けばナイフで人を刺したりしないのかもしれません。しかし、相手がその挑発に乗らない保証はどこにあるのでしょうか。また、言うことを聞いたからと言って、相手がナイフで刺すという行為を行わないという保証がどこにあるのでしょうか。私は、結局は世界はそうした「核抑止力」という名目のもとに核を増産させて、自らの世界を破滅の道へと追い込んでいるのではないかという気がしてならないのです。

長くなりましたが、そうした核などの武器を使って、相手を脅したり、挑発したりしないよということを宣言しているのです。1960年代に内閣総理大臣に就任していた佐藤栄作さんは、核兵器を、「もたず、つくらず、もちこませず」という非核三原則を唱えました。武力によって相手を脅さないというのは、日本や日本国民の強い誓いなのです。

憲法第9条のポイントの3つ目は、「陸軍・海軍・空軍などの戦力を持たない」ということです。そもそも戦争をする軍隊がいなければ戦争にはならないというものです。しかし、現在は「自衛隊」という組織がありますね。日本国内でもこの「自衛隊」は「陸軍・海軍・空軍」などの戦力とはならないのかどうなのかという議論が長く起こっています。「自衛隊」の問題を考えることも、これからの私たちの平和を考えるうえでとても大切なことです。みなさんにもぜひ興味関心を持ってほしいと思います。

そして、最後の4つ目のポイントは、「国が外国と戦争をする権限を認めない」というものです。これを難しい言葉では「交戦権の否定」といいます。「交戦権」というのは戦争を行う権利のことで、今までの戦争は日本が「戦争をしてもよい」という権利を持っていたから起こってしまったのだという考え方で、これを否定してないものにすることで、二度と戦争など起こさないということを決心したのです。

これらの4つのポイントをしっかりと覚えておきましょう。現在、世界を見渡せばいまだに戦争や紛争が世界各地で起こっています。そのような中で、日本の国際的な立場も時代を経るごとに代わっていきます。そのような中で、これから憲法第9条のありかたを、平和のあり方を、見つめなおし考えていくことが私たちには求められているのです。

生まれた時から持っているみんなの大切な大切な「基本的人権」!

最後に3つ目の原則が「基本的人権の尊重」でしたね。基本的人権というのは、みんなが生まれてから死ぬまで自由に生きる権利であったり、平等に生きる権利であったり、安心で安全に生きる権利であったり、そうしたみんなが自由に平等に生きていくうえで大切な権利のことを全部ひっくるめて「基本的人権」といいます。これはみんなにとっては当たり前のこと過ぎてあまり実感のないことなのかもしれませんが、実はみんなは生まれた瞬間から、なんならみんながお母さんのお腹の中にいる時から、無条件にこれらの権利を日本という国から与えられているのですよ。この権利を与えられているから、みんなは好きなことをして生きられるし、学校にも行けるし、やりたい職業を自分で見つけることもできるし、他の人から傷つけられたりすることもないのです。他の人から傷つけられたら当然その人は警察に捕まって罰を受けることになりますよね。こうして被害を受けた人が守られるのも、みんなに「基本的人権」という権利が備わっているからなのです。

そうはいってもやっぱり当たり前すぎて実感わかないですよね。でも、昔は「基本的人権」は必ずしも保障されるものではなかったのです。例えば昔「治安維持法」という法律がありました。この法律では、当時とられていた「天皇制」という政治の制度に反対したり、別の意見を言ったり、別の考え方を持っている人は逮捕されてしまうというものでした。言ってみれば、今クラスの中で決まったことがあって、その意見に反対したり、文句を言った瞬間に、処罰されてしまうという感じです。天皇制を批判した人は、中にはそのまま牢獄に入って「死刑」になってしまう人もいました。「基本的人権」の中には「どんな考え方やどんな意見を持っていてもそれは人それぞれだからそのどれもが尊重されるべきだ」というものがあります。これを「精神の自由」というのですが、昔はこの「精神の自由」が法律によって侵害されていたわけです。このように昔(大日本帝国憲法の時代)は、法律によって人々の人権が制限されることがありました。これを「法律の留保」といいます。しかし、戦争が終わってからやっぱりそれはおかしいよね、ということになり、基本的人権は生まれながらに誰もが持つ「侵すことのできない永久の権利」として、すべての人に保証されるようになったのです。

基本的人権は憲法第11条と第12条に書かれているので、こちらも読んでおきましょう。

11条

国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

まず、基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」として、今を生きる国民にも、また将来の国民にも永久にわたって保証されるものということが第11条に規定されています。

そして、その基本的人権は国民の不断の努力によって守り続けなけらばいけないのだということが第12条に書かれています。さらに憲法12条では、その基本的人権というのは、一人一人が常に周りのことを考えながら使っていかなければいけなくて、決してその権利を濫用して使ってはいけないのだということを規定しています。「この権利は俺の権利だからほかの人が損しようが、困ろうが俺には関係ない」という態度はよくないということです。周りの「公共の福祉」のために、上手に基本的人権を行使しましょうねということが最後に書かれているわけです。

さて、次の章では、もう少し基本的人権がどのようなものなのかの具体的なところをみていきたいと思います。

参考文献

『社会・予習シリーズ6年上』p9-p10

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