国家から解放された、3つの自由権!!

基本的人権

人間が生まれながらにしてもっている基本的な権利のことを「基本的人権」といって、それは日本国憲法で尊重されているのでしたよね。では、基本的人権には具体的にどのような権利があるのでしょうか。考えていきましょう。

自由権

まず基本的人権の中の一つにあるのが「自由権」です。自由権とはその名前のように、みんなが自由に何かをしたり、何かを考えたり、何かを発言したりしてもいいですよという権利です。この権利があるため、みんなは人生を国家からの干渉をされることなく「自由」に生きることができます。ちなみにここでいう「自由」というのは、「国から自分の行動を制限されない自由」です。これを「国家からの自由」といいます。実は昔々は、人間が国家からの縛りを受けて自由に生きられない時代があったのです。例えば、国が「あなたは戦争に行きなさい」といえば、文句を言うことなくそれに従って戦争に行かなければなりませんでした。またたとえば、「あなたは○○教という特定の宗教を信じなければなりません」と、何を信じて何を信じないかということも自由に決めることができませんでした。つまり、国家から自由でなかったのです。みなさん、この世の中でもっとも強い力をもっているのは何かわかりますか。それは、国家です。国家は、一人の個人と比べたら圧倒的に強い力を持っていて、例えば国家が決めた法律を破った人がいたら、その人は身体を拘束されて罰を受けることになりますね。それは一個人では決してできないことで、国家というのは人を強く縛り付け拘束するぐらいの大きな力を持っているわけです。そして昔はその拘束力が非常に強い時代があったわけです。しかし、そうすると一人の個人の権利(人権)というものはほとんどないに等しいわけです。そこで、18世紀から19世紀ごろになって「それはおかしいぞ」と市民が立ち上がり国家に対して反発し始め、そうした過程の中で、国家の強い拘束から解放される「自由権」という権利を勝ち取ったのです。「自由権」というのは、そういった歴史の中で存在する権利であるということをぜひ覚えておきましょう。

さて、では「自由権」では、具体的にはどんな自由が認められているのでしょうか。大きく分けると全部で3つあります。一つ目は「精神の自由」、二つ目は「身体の自由」、そして三つめが「経済活動の自由」です。では、具体的にそれぞれがどんな自由なのかより細かく見ていきましょう。

①身体の自由

…これはどのような場合であってもだれかの奴隷になったり、身体を拘束されたり、強制的に働かされたりしない自由のことです。これは特に、だれかが悪いことをして警察に逮捕されてしまうような場面で慎重に扱われる自由になります。例えば、誰かが他人を傷つけることをしたとします。そのような場合、目の前でその状況を見ていて、その場でその人を捕まえれば、現行犯逮捕で、身体を濃く即することができます。しかし、誰かが傷つけられて、それをその場ではだれがやったかわからなくて、あとから調べたら100%の確証はないけどおそらくあの人が犯人だろうとなった場合、それでもその人を犯罪者として扱ってはいけないということになっています。よくテレビで警察に捕まった人のことを「容疑者」といいますね。「容疑者」というのは、疑いをかけられている人、という意味で、まだ疑いの段階で完全にその人が犯人と決まったわけではないのです。ではどうやったらその人が犯人であるということに決まるのかというと、それはそのあとに裁判が行われて、その裁判を通じてその人に「有罪」の判決が下されたときにはじめて「犯罪者」となり、その人は身体を拘束されたり、強制的に働かされたり、死刑宣告が下されたりするわけです。逆に言うと、そうやって有罪判決が裁判所によって下されるまでは最大限に身体の自由は尊重されるというわけです。だから、例えば何か悪いことをして警察に捕まって、そのあと警察の人はその人から事情聴取を行います。この事件にどうやってかかわったのか、どういう経緯で行為に至ったのかを聞くわけですね。しかし、その際に心に思っていることや知っていることはすべて話す必要はなく、黙り続けてもよい権利が認められています。これを「黙秘権」といいます。黙秘権が認められているのも、まだ警察に時までの段階では、その人が犯罪者であると決まったわけではなく、万が一その人が無罪だった場合に、国家権力がその人の身体的な自由という人権を侵すことになり、憲法違反となってしまうため、容疑者にも身体の自由が認められているわけなのですね。「疑わしきは罰せず」というのが、刑事裁判においての原則です。ちなみにかつては、事情聴取をする際に、捕まった人が始終無罪を主張していても、身体を痛めつけたり、暴行をしたり、拘束したりして、無理やり罪を自白させるという事情聴取が行われている時代がありました。日本の戦前(第二次世界大戦前)はそのようなことが実際に起こっていたそうです。そうやって無理やり身体を痛めつけられれば、その苦痛に耐えられなくて、自分はやってもいない罪をかぶってしまうこともあるかもしれませんよね。おそらくそれで無罪であったはずなのに有罪判決を受けてしまった人もいたのかもしれません。そうした反省から生まれたのが、現代の身体の自由だということです。

②精神の自由

…精神の自由とは、その人が何を考えても、何を発言しても、どのように自分の意見を表明しても、良いという権利です。精神の自由はさらに細かく4つの自由に分けることができます。

一つ目が、「思想および良心の自由」です。これはものごとを自由に考えたり、自分がどんな気持ちを持っていても良いという権利です。昔の日本の戦前では、「軍国主義」といって、天皇や国のために世界と戦う精神をもつことが当たり前で、天皇を批判したり、戦争に反対したりする意見を持つことはタブーとなっていました。だから、仮にその思想を公表していなかったとしても、国家権力から「あの人は天皇を批判するような思想をもっているぞ」と疑いをかけられると、その瞬間に身体を拘束されて拷問されるということがありました。こういうふうに国が国民の思想を強制するというのは、戦争を誘発するものであるということを戦争の反省から日本は学びました。その反省から生まれたものの一つが「思想・良心の自由」です。この自由がある限り、みんなのアイデアや意見は無限大なのですよ。それがきっと世界を変える力になります。

二つ目が「信教の自由」です。これはどんな宗教を信じてもいいし、信じなくてもいいという自由です。世界には、キリスト教・イスラーム教・仏教など多くの宗教がありますが、そのどれを信仰していようと、また新しく宗教団体ができてその宗教を信じていようと、逆に何も信じていなかろうと、それは個人の自由であるということになりました。これも実は戦前の反省から生まれた自由です。戦前は国民はみんな「国家神道」を信じるべきだということになっていました。「国家神道」というのは、日本独自の民族宗教で、天皇をそのトップとして信仰する思想でした。だいたい戦争というのは国民の意志・思想が一つにまとめられたときに起こります。逆に思想が国家全体で統一されていない国は往々にして、内部で反乱やクーデタがおこって、結局対外戦争にも負けてしまいます。だから当時の日本は世界に戦争を仕掛け勝利を収めていくためには、国民の思想を「国家神道」という一つの思想でまとめていくことが必要だったのですね。それにより第二次世界大戦という悲惨な戦争が起こってしまいました。この反省から、国家は宗教に決して関与してはならず、国民はどんな宗教を信じても、また信じなくてもよいということになりました。国家が宗教に関わりを持たない原則のことを「政教分離」といいます。国家が、特定の宗教を支援したり、抑圧を加えたりすることは固く禁じられています。

三つめが、「集会・結社・表現の自由」です。これは、同じ考えの人が集まって集会を開いたり、団体をつくったり、自分の意見を人々に向かって発表したり表現したりすることが自由ですよという原則です。これもかつては特定の団体を弾圧したり、演説に国家が介入して取り締まりを行ったりして、抑圧することが起こっていました。しかし、これでは自由闊達な生産的な考えが生まれてきません。戦後、日本が二度と戦争に訴えることのないような国にするために、いろいろな意見を話し合ったり発表したりすることが認められました。

四つ目が、「学問の自由」です。これはどのような学問を研究し発表しても良いですよという権利です。これも昔は日本の軍国主義に合うような教科しか学校では教えてはいけないというルールがありました。教科書の中でも、天皇がなぜえらいのか、日本国民としてどのような精神を持つべきなのか、兵隊さんはどのくらいえらい人なのか、といったことが書かれ、それを学校では徹底的に教え込み、天皇や国のために戦える人間を育てていきました。これも一つ戦争へと向かう要因になってしまいました。その反省から、学問の自由が認められ、自由で幅広い学問を研究し学ぶことが認められています。

③経済活動の自由

…これは自分の住みたいところに住んだり、自分がつきたい職業に就くことを認められる自由です。

まだ身分制度が残っているころ、奴隷身分の人は特定の地域に住み、父親が農家の家は必然的にその子も農家で働かなければならない、といったような、生まれついての環境でどこに住み、どんな職業に就くかが決まってしまう時代がありました。こうしたことがないように、自分の住みたいところがあれば個人の自由で住むことができたり、自分が就きたい職業に就ける自由が認められました。もちろん、良い家に住んだり、給料の高く優良な会社に就職するには、それに見合う努力を個人がすることが必要ですがね。要は努力をするもしないも、その結果でよい家に住もうが、どんな職業に就こうが、全部そこは国が関与するところではなく、自由ですよ、というのがこの権利の本質です。逆に言うと自由である分、その人が努力できなかったり、がんばっても報われなかったりして、あまり好ましくない環境に住むことになったり、自分が好きでもない職業に就いてしまったりするのも、それも国家が関与するところではなく、個人の自由な活動の結果だからしかたないということになるので、酷なところもあるのですよ。もちろん本当に困ったときは国や地方公共団体が救ってくれる仕組みはありますけどね。そういうふうに、私たちには経済活動の自由が認められているわけですから、まだまだ小中学生のみなさんは、真剣にどんな職業に住み、どうやってお金を稼いで、どんなところに将来は住んでみたいのかということを、考えてみることは大切なのかもしれませんね。

参考文献

『社会・予習シリーズ6年上』, p10

問題

1.身体の自由・精神の自由・経済活動の自由を総称して何権というか答えなさい。

→自由権

2. 自由権のうち、人の内心やそれを外部に発信することを認めている自由を何というか。

→精神の自由

  1. 精神の自由のうちどんな宗教を信じても、信じなくてもいいという権利を何というか。

→信教の自由

  1. 自由権のうち、居住や職業の自由を認めている自由を何というか。

→経済活動の自由

  1. 政治と宗教が相互に介入しあうことを禁止している原則をなんというか。

→政教分離

  1. 自由権のうち、真理探究・学問的研究活動の自由を認めた自由をなんというか。

→学問の自由

  1. 次の①~④は自由権のうち何の自由か答えなさい。

①住む場所を自由に選べる。

→経済活動の自由

②研究を行い、それを発表する自由。

→精神の自由

③自由に職業を選び営業する自由。

→経済活動の自由

④ものごとの良しあしを自分で判断する自由。

→精神の自由