日本人なら知っておきたい文学作品!”令和”の典拠となった最古の歌集『万葉集』

2019年5月1日令和の時代が始まりました。また“令和”の典拠が『万葉集』であると発表され、話題になりました。今回はその『万葉集』についてみていきたいと思います。 

『万葉集』は奈良時代末期に編纂されたとされている、現存する日本最古の歌集です。

20巻からなり、約4500首が収録されています。完成時期は分かっていませんが、収録されている和歌の年代が759年(天平宝字3年)までとなっているため、それ以降に完成されたと考えられています。

勅選和歌集ではなく、撰者は大伴家持ら文人ではないかと考えられています。その理由としては『万葉集』中大伴家持の歌が一番多く、なんらかの形で編纂に関わったのではないかとされているからです。

大伴家持は奈良時代を代表する歌人でしたが、その父大伴旅人もまた代表的な歌人でした。先ほど述べた“令和”の典拠となる部分は 

 

  「万葉集」の梅花の歌、三十二首の序文 

  初春の月にして、気淑く風らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす 

 

という部分です。これは何かというと当時太宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」という32人が梅の花を前に歌を詠み合う宴で、大伴旅人自身がその序文として詠んだ歌です。

序文とは、和歌ではなくその歌が詠まれた経緯、場面を表すものです。 

 

『万葉集』の具体的な特徴について述べる前にまずは“和歌”について、また“万葉仮名”について触れておきたいと思います。

日本古来から伝わる歌謡もあったが、中国から伝わった漢詩の影響を受け、五音や七音調に整えられ、長歌短歌の体裁ができました。

同時に、漢詩は漢字のみで構成され、漢字本来の意味を持たせた詩であるのに対し、漢字本来の意味とは関係なく、日本語の発音に合わせて漢字を用いるようになりました。それが万葉仮名です。

字音(音読み)に即したものと訓に即したものの二種類それぞれ具体例を表にまとめました。 

 

  万葉仮名  読み方・意味  万葉仮名  読み方・意味  万葉仮名  読み方・意味 
字音  阿米  アメ・天  久尓  クニ・国  許己呂  ココロ・心 
  名津蚊為  ナツカシ  八間跡  ヤマト  牡鹿  シカ・助動詞 

 

このような“万葉仮名”は『万葉集』に多くみられることから、“万葉仮名”と呼ばれています。

奈良時代以後、“万葉仮名”の漢字を崩した草書体が宮廷の女性を中心に多く使われるようになり、次第に“平仮名”が出来上がりました。“片仮名”も同じく漢字を崩したものではありますが、漢字の一部分を崩しその音や訓で漢文を書き下していたものから派生して出来上がりました。

今まで話してきた“万葉仮名”は『万葉集』の特徴の一つです 

次に、『万葉集』に収録されている和歌について具体的にみていきましょう

万葉集』中には『古歌集』、『柿本人麻呂歌集』、『類聚歌林』からの引載が見受けられるが全て現存せず、『万葉集』以前の奈良時代初期に成立したものと考えられています。

『万葉集』の中には、柿本人麻呂が詠んだとされる歌や『柿本人麻呂歌集』から引載された歌が約370首収録されておいる。全てが柿本人麻呂作であるかは議論されていますが、奈良時代において偉大な歌人の一人であったことが見受けられます。『万葉集』に収録されている歌人を、時代ごとにわけて紹介していきます 

 

  第1期 天智天皇時代まで 

  有間皇子・額田王 

  第2期 平城京遷都まで 

  柿本人麻呂 

  第3期 天平初年頃まで 

  山上憶良・山部赤人・大伴旅人 

  第4期 淳仁朝 

  大伴家持・大伴坂上郎女 

 

漢詩から和歌が成立し始めた第1期頃の和歌をみると、有間皇子、額田王、斉明天皇などの王族の詠み手が多く、和歌の表現方法もあまり確立していない。

その後第2〜第4期と移り変わるに連れ、枕詞や対句など和歌の表現方法が確立していく。

しかし『万葉集』以後平安時代に入って編纂された『古今和歌集』、『後撰和歌集』をはじめとした勅選和歌集と比べると線の太いのびのびとした素朴さがあるといわれています。

そのため、国文学研究においては勅選和歌集ではない上に、和歌の技巧が乏しく研究価値が低いとされてきました。

そんな『万葉集』ではありますが、近年国文学研究においてその価値を見直す風潮も出てきました。冒頭にも述べたように、令和のはじまりと共に『万葉集』の注目度も高まってきたと言えるかもしれません。 

和歌の表現方法の他にも『万葉集』には大きな特徴があります

万葉集』とは違い、『古今和歌集』、『後撰和歌集』は勅選和歌集ということもあり、収録されている和歌の詠み手は天皇や貴族を中心とした限られた身分の人々です。

しかし、万葉集』には防人歌東歌など皇族や貴族だけでなく庶民まで幅広い身分の人の歌が収録されており、他の歌集との大きな違いです。 

最後に、『万葉集』の中でも有名な『貧窮問答歌』について紹介します。

『貧窮問答歌』は『万葉集』巻5に収録されている山上憶良ixの歌です。長歌および反歌一首からなり、貧者と窮者の問答を通して生活の苦しさを歌っています。 

 

貧窮問答歌 

長歌 

天地は 広しといへど 吾がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 

吾がたは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる 

わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れも作るを 

綿も無き 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ちけ 

ふせいおの まげいおの内に 直土に 藁解き敷きて 

父母は 枕の方に 妻子どは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 

竈には 火気吹きたてず 甑には 蜘蛛の巣か

飯炊く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに 

いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く 

しもととる 里長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ 

かくばかり 術なきものか 世の中の道 

   

反歌 

世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 

(山川出版社『日本史研究』参照) 

  

 訳 :

  天地は 広いというが 私のためには 狭いものだ 太陽や月は 明るいというが 

  私のためには 照らして下さらない 人みな 私だけではないのだろうか 

  たまたま 人とて存在し 人並みに 私も農耕しているのに 

  綿もない 粗末な服の 海松のように 割れてさけた ぼろのみ 肩にかけ 

  粗末で 柱が腐った小屋のなかに 地面に直に 藁を敷いて 

  父母は 枕の方に 妻子供は足の方に 囲むように座り 嘆き悲しみ 

  竈には  火もつけず (米をいれる)器には 蜘蛛の巣がはり 

  飯を炊く ことも忘れて ぬえ鳥の 泣き声のような声を出していると 

  ひどく 短い物の 端を切ると 言うかのように 

  苔をとる 里長の声は 寝床まで 呼びに来る 

  このように なす術もないものか この世の中は 

   (反歌)

  世の中を辛くて耐えられないと思っても鳥ではないので飛び立てない 

 

この歌は貧者が歌い、さらに貧者が歌って問答するという体裁になっており、当時の班田制のもと、貧窮に喘ぐ農民の様子を詠んだ歌として注目されている。

貧窮問答歌』だけでなく、『万葉集』に収録されている防人歌や東歌には、遠くの地へ赴任し、故郷に戻れない寂しさなどを歌った歌も数多くあり、当時の庶民の様子を窺い知ることができます。 


 では最後に『万葉集』について簡単な問題を出したいと思います。 

問1、『万葉集』は勅選和歌集ですか、○か×で答えなさい。 

問2、『万葉集』の撰者とされているのは誰ですか。 

問3、『万葉集』で多く使われている仮名のことを何と言いますか。 

問4、『万葉集』に収録されている有名な歌人を2人答えなさい。 

問5、『貧窮問答歌』を詠んだのは誰ですか。 

→次回は文華秀麗集について解説します!

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