論説文問題読解〜村上陽一郎 編『コロナ後の世界を生きる−私たちの提言』〜[中学受験国語過去問解説シリーズ]

今回は2021年度の早稲田中学校の国語の過去問を一部修正して小説の問題の解き方を説明していきたいと思います。本文はPDF、もしくは村上陽一郎 編『コロナ後の世界を生きる−私たちの提言』(岩波書店)を参照してください。 

問題

問1

傍線部1「二〇〇年前の日本人が、驚くべきほど今と似た状況に直面していた」とありますが、「今と似た状況」とはどのようなものですか。その説明として最もふさわしいものを次から選び、記号で答えなさい。 

ア、庶民は自主隔離によって命が助かっても、経済的な困難により苦しめられていた状況。
イ、庶民の営業自粛によって感染拡大が抑えられ、感染症が社会全体で乗り越えられた状況。
ウ、芝居の禁止などの人の密集を避ける政策が行われており、庶民もそれに積極的に協力していた状況。
エ、芝居などの娯楽は人間の生活に欠かせないものであり、庶民は芝居を見て感染症の情報を共有していた状況。
オ、感染拡大の防止のために活動の制限が行われた一方で、それによって庶民は経済的な困難に陥っている状況。

【解答】オ 

傍線部1の前、具体例が描かれている部分に着目してみましょう。 

文政七年(一八二四)に再流行した際の『麻疹癚語』には、芝居も(略)営業停止にした江戸の様子や、客が来ず生活ができないという人々の嘆きが書かれています。

以上の部分をふまえながら選択肢を見ていきましょう。 

ア、庶民は自主隔離によって命が助かっても、経済的な困難により苦しめられていた状況。⇨自主隔離に関する内容の記述はないため、あてはまりません。

イ、庶民の営業自粛によって感染拡大が抑えられ、感染症が社会全体で乗り越えられた状況。⇨芝居等の営業停止の記述はありますが、感染症が社会全体で乗り越えられた状況についてはその後の例で紹介されています。よって傍線部1の「今と似た状況」をさしている内容ではないと判断できます。

ウ、芝居の禁止などの人の密集を避ける政策が行われており、庶民もそれに積極的に協力していた状況。⇨「客が来ず生活ができないという人々の嘆き」とあることから、積極的に協力していたとは考えられず、あてはまりません。

エ、芝居などの娯楽は人間の生活に欠かせないものであり、庶民は芝居を見て感染症の情報を共有していた状況。⇨「庶民は芝居を見て感染症の情報を共有していた」とありますが、傍線部1の前を見ると、

当時、感染症は二〇〜二五年に一度、人生で二、三回は体験するものでした。感染症の怖さを肌感覚で知っていて、どう体作りするか、どう衛生状態を保つか。人々は出版物や講談などを通じて情報共有していたのです。

とあり、芝居で情報共有していたとは書かれていません。また娯楽が人間生活に欠かせないという内容の記述もないためあてはまりません。 

問2

傍線部2「古典は、共同の経験知の集積であって、その意味では、私たちにとって大事な資源です」とありますが、どういうことですか。その説明として最もふさわしいものを次から選び、記号で答えなさい。 

ア、古典には、社会全体で感染症を乗り越えようとした人々の感情・対策や様子などが記録されており、感染症流行に直面している私たちの参考にもなるということ。
イ、古典には、協力して感染症に対処してきた人々の知恵が記録されており、それは当時の人の情報として有効だったが、化学的な知見のある現代においては無意味になってしまうこと。
ウ、古典には、感染症の恐ろしさや経済的苦境、娯楽の禁止などが現在と異なることなく客観的に記録されており、感染症が流行している現代においてもじゅうぶんに教訓になり得るということ。
エ、文学や歴史史料を中心とした古典資料は、高精細画像として保存され、それが書誌データとして集積されるようになっていることで、大学の共同研究など現代の情報共有にも役に立っているということ。
オ、古典には、二十から二十五年毎に流行する感染症の様子が文学的に描かれているため、当時の人の諦めや恐怖などの感情が現代人にも容易に理解できるようになっているということ。

【解答】ア

戯作者 式亭三馬麻疹戯言』享和三年(一八〇三)はしかの流行


うめきながら、彼らが飲むもの、食べるもの、まるで味がしない。ひとりぼっちで体調が回復するまで一二日間を、指を折って布団の中で待つ以外ないのである


江戸を襲ったはしかの様子を伝えている出版物の例をあげ、当時の人々にとって感染症は20〜25年に一度起こるもので、人生で一度は経験するものであったことを説明しています。そのため、人々は感染症の怖さを知っており、出版物や漫談で対策法などの知識を得ようとしていました

・『麻疹癚語』文政七年(一八二四)はしかの再流行
⇨問1で問われていた内容に関わってきます。当時も芝居などを営業停止にし、客足が途絶え経済的損失をこうむる人がいたことを説明しています。

・『安政午秋/頃痢流行記』安政五年(一八五八)コレラ流行
奇談の例をあげ当時から感染症は一人で乗り越えるものではなく、社会で乗り越えるものという認識であったことを説明しています。

以上のことをふまえながらそれぞれの選択肢をみていきましょう。 

イ、古典には、協力して感染症に対処してきた人々の知恵が記録されており、それは当時の人の情報として有効だったが、化学的な知見のある現代においては無意味になってしまうこと。⇨「化学的な知見のある現代においては無意味になってしまう」とありますが、そのような内容は書かれていません。

ウ、古典には、感染症の恐ろしさや経済的苦境、娯楽の禁止などが現在と異なることなく客観的に記録されており、感染症が流行している現代においてもじゅうぶんに教訓になり得るということ。⇨客観的に記録されているとありますが、引用されている例を見ると客観的ではなく主観的な文章であり、この選択肢はあてはまりません。

エ、文学や歴史史料を中心とした古典資料は、高精細画像として保存され、それが書誌データとして集積されるようになっていることで、大学の共同研究など現代の情報共有にも役に立っているということ。⇨冒頭に書かれている内容ではありますが、この問題で問われているのは傍線部2「古典は、共同の経験知の集積であって、その意味では、私たちにとって大事な資源です」の内容です。よって大学の研究にとっての資源ではなく、感染症の流行に対面している私たちに対して経験知の集積が資源となる話であるため、あてはまりません。

オ、古典には、二十から二十五年毎に流行する感染症の様子が文学的に描かれているため、当時の人の諦めや恐怖などの感情が現代人にも容易に理解できるようになっているということ。⇨この問題で問われているのは感染症の流行に直面している私たちがに対して経験知の集積が資源となる、すなわち資源というのは当時の人々が感染症の流行に対しどのように対策したか参考にするということです。よって「当時の人の諦めや恐怖などの感情が現代人にも容易に理解できる」という内容はあてはまりません。 

問3

本文中の( A )・( B )に当てはまる漢字の組み合わせとして最もふさわしいものを次から選び、記号で答えなさい。 

ア、A一・B半
イ、A苦・B楽
ウ、A悪・B善
エ、A隠・B陽
オ、A美・B醜

【解答】エ 

陰徳有れば陽報有り…人知れず善行を積めば、必ずよい報いを得るものだというたとえ。陰徳有れば陽報有りを略した四字熟語が陰徳陽報になります。 

問4

傍線部3「寄付やボランティアは特別なことだし、ちょっと違う、恥ずかしいなと思う」とありますが、人々がこのように思うのはなぜですか。その理由を含む一文として最もふさわしいものを本文中にから探し、初めの五字を書き抜きなさい。 

【解答】自分の名前 

傍線部3の後に、「気持ちを無くしていきたい」とあります。その前の段落を見てみるとその最後の文にも「そこは変えていくべきではないかと考えます」とあります。変えていく気持ちに関してはその前に書かれていると推測することができます。その前の文をみていきましょう。 

自分の名前を出して、これだけのことをしていると主張するような人については、恥ずかしいというか、悪目立ちしているのではないか、といったプレッシャーがかかる。

恥ずかしい」、「悪目立ちしているのではないか」という部分から傍線部3の寄付やボランティアに対して抱く感情の理由が書かれている一文はここであるとわかります。

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