ジェンダー研究について
「フェミニズム」とは
ジェンダー研究は、フェミニズムから生まれた分野です。
そもそもフェミニズムとは、「女性解放の思想と実践」を目指す運動で、19世紀末から始まりました。
19世紀末からの運動を「第一波フェミニズム」と呼び、ここでは女性参政権の獲得など、男女の権利を同等のものにしよう(男女同権論)ということが求められました。
その後、1960年代から始まった「第二波フェミニズム」では、ウーマン・リブと呼ばれる運動が起こります。
女性と男性が平等に権利を持つだけでなく、男性と対等の地位を得るチャンスを得ることや、女性が自分の望むような生き方を選べるようにすることを求めた社会運動です。
今日私たちが考える「フェミニズム」はここから始まったと言えます。
この、社会から求められる「女らしさ」を問い直す動きは、1972年に国連で採択された女子差別撤廃条約につながりました。
「ジェンダー」とは
私たちは、性別を男と女に分類し、そしてその分類を行うために様々なルールを設けます。
学校では、男子生徒の制服はスラックス、女子生徒の制服はスカート。ビジネスの際には、男性は髪を短く切り、女性はメイクをしなくてはいけない。
そして、社会的には、男性は働き、女性は家を守ることが望ましいとされる。
このような、色々なルールや縛り、つまりは「規範」のことを「ジェンダー」と呼びます。生物学的要素ではなく、社会的な意味合いとしての男女の区別のことです。
ジェンダー研究の貢献
ジェンダー研究は新しい学問です。しかし、社会に、そして学問に、数多くの貢献をしてきました。
例えば、かつては何もしていない存在として扱われていた「主婦」が、家事という労働をしている労働者であることを明らかにしました。
このことは多くの国の労働統計に影響を与え、会社などで働く時間以外にも、家事をする時間を算出するようになりました。
それまでただの夫婦喧嘩や子供のしつけとして扱われていた家庭内の暴力を、ドメスティック・バイオレンス(DV)であると再定義したことも大きな功績です。
我慢するべきものだったことを、女性や子どもの権利を侵害する不法な行為だとしたのです。
同じように、ただの悪戯だったことをセクシュアル・ハラスメントとしたことも、女性の権利の向上に繋がりました。
また、昨今では当たり前の用語になってきたセクシュアル・マイノリティを研究対象とし、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーなどの存在を可視化したことも重要な功績です。
ジェンダー研究の「今」と「これから」
このように、ジェンダーの問題を考えることは、私たちがより生きやすい社会を作る上で必要なことです。
今でもジェンダーの問題は山積しています。
アメリカでは、1960年からの蓄積を経て#Metoo の運動が起こりました。
韓国でも、女性であるがゆえの困難を描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』が出版され、社会現象になりました。
日本においても、女性に対するハラスメントの問題は日々表出し、同性婚を認めないことを権利侵害だとする訴訟も続いています。
今でもなお、私たちは「女らしさ」「男らしさ」という枠組みにとらわれ続け、時に苦しみ、そしてそれと戦っているのです。
社会における性的役割の当たり前を問い直すことは、女性の権利の拡張はもちろん、男性の生きやすさにも繋がります。
たしかに、フェミニズムは「女らしさ」を問い直すものですが、そのことは同時に「男らしさ」を問い直すことでもあります。
また、どちらの性にも当てはまらないと自認する人たちを救うことに繋がります。
ジェンダー研究は、社会学は勿論、法の枠組みや労働経済学といった人文社会学全般、そして脳科学や心理学、生物学などを含んだ自然科学までも研究の対象となる学問です。
様々な角度からジェンダーについて考えることは、これからもより重要性を増すことでしょう。
なによりも、自分が社会で生きる時に出くわす「らしさ」の押し付けから身を守る武器となるはずです。
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参考
1995年生まれ。東京都出身。
中高一貫の女子校出身で、高校時代は部活動で部長を務める他、学外で学生団体を立ち上げるなど活動。活動歴を活かせるかもしれないと、高校2年生からAO入試を視野に入れる。同時に、一般入試では早稲田大学を目指して勉学に励む。受験期の国語の偏差値は70以上で、センター模試では現代文・古文は常に満点。AO入試で慶應義塾大学総合政策学部に入学後は、研究会活動のほか、大学受験予備校や書店でのアルバイトに励む。専門分野はジェンダー学、倫理学(主にケアの倫理)、労働法。大学卒業後はコンサルティングファームなどを経て独立し、現在は予備校講師やライター、個人コンサルタントとして活動中。書店と映画館と美術館と歌舞伎座をこよなく愛し、芸術文化全般に関心を持っている。