同じ時代に存在するいくつかの文化を区別しよう!日本の文化史【安土桃山時代〜明治維新編】

今回の記事では文化史を解説するシリーズとして,安土桃山時代から明治時代の序盤までの歴史を追っていきます。この文化史という単元では覚えることがとにかく多いですので,自分の興味のあるものを中心に勉強していくといいでしょう。なお,室町時代までの歴史は前回の記事で紹介していますので,よろしければそちらの内容もあわせてご確認いただけますと幸いです。

安土桃山時代

それではまず安土桃山時代の文化史を確認していきましょう。この時代は室町時代に現れはじめた戦国大名が,下剋上の風潮の中で自分達の勢力を強めていって全国支配を目指していました。そのためそれぞれの大名の町で特有の文化が形成されていったのですが,日本全体に通じるような文化の形は,ヨーロッパの船が日本に漂着して,スペインやポルトガルから鉄砲やキリスト教が日本に伝わる中で変わっていきました。このようにヨーロッパから影響を受けた文化のことを,スペイン人やポルトガル人のことを南蛮人と読んでいたことにあやかって,南蛮文化と呼びます。

ここでは南蛮文化として挙げられるものを順番に確認していきましょう。この南蛮文化として最も日本に影響を与えたのが,先に挙げた鉄砲とキリスト教,そして活版印刷術になります。この活版印刷術はグーテンベルクによって発明されたものです。これにより本を刷る効率が格段に上がり,平家物語などの書物が普及するようになりました。その他だと,天文・医学・航海術などの新しい学問や技術が伝えられたり,パンやカステラなどの食べ物が届けられたりもしました。日本の生活が本格的に西洋らしくなるのは明治維新からですが,この頃の生活もヨーロッパの影響を受けていたことを覚えておきましょう。

そして安土桃山時代におこった文化としてもう一つ,桃山文化というものがあります。これは織田信長豊臣秀吉をはじめとした戦国大名や大商人の気風を受けた文化であり,その権力を象徴するような雄大さ・豪華さが特徴的です。具体的には,まず狩野永徳・狩野山楽によるふすま絵屏風絵が挙げられます。これはその名の通りふすまや屏風に描かれた絵のことを指し,中でも有名なものとして唐獅子図屏風という作品があります。次に見ておきたいのは千利休によるわび茶の大成です。わび茶というのは今で言うところの茶道だとイメージしていただけるとわかりやすいでしょう。このわび茶という文化は室町時代に広がり出したのですが,豊臣秀吉に仕えていた千利休はさらにこれを発展させました。最後に解説するのは出雲の阿国によるかぶき踊りです。かぶき踊りとは奇抜な格好をした人たちによる踊りを指します。この出雲の阿国という人の素性は明らかになっていないところが多いのですが,現在の歌舞伎につながる重要な文化ですので,覚えておきましょう。

江戸時代

続いて江戸時代の文化について解説していきましょう。江戸時代は長い期間続いたため,覚えることもそれに相応して多くなっています。地道に頭に入れていきましょう。はじめに産業の発達について見ていきます。まず農業ですが,この時代は幕府や藩による新田開発・新しい肥料や農具の登場により,年貢として収めるべき米の生産が増えていきました。なお,新しい農具としては土地を耕すのに使う備中ぐわ・脱穀につかう千歯こき・ふるいにかける千石どおしなどが挙げられます。またこのように米が生産される裏で,市場で販売してお金にするための商品作物の栽培が本格的に始まりました。これにより,農民は米を幕府や藩に納めつつ商品作物を作って売って別のものを買う,といった経済の循環が始まりました。

この他の産業だと,水産業では九十九里浜のいわし漁や蝦夷地のにしん漁,また海の水を使った製塩業が盛んになり,鉱業では佐渡金山・石見銀山・足尾銅山などで採掘が進められました。なお,この3つの鉱山は地理でも登場しやすいので要注意です。水産業も鉱業も農業より覚えておくべき要素は少ないですが,本番までには暗記しておくといいでしょう。

さてそんな風に産業が発達していった江戸時代ですが,この時代の文化は大きく3つに分けられます。初めに見ていくのは徳川家光の頃,京都を中心に栄えた寛永文化です。こちらは桃山文化の特徴を受け継いだ華やかな文化になっています。寛永文化として覚えておきたいのは特に建築と絵画です。まず建築については,桂離宮日光東照宮が代表的です。日光東照宮については,関東圏にお住まいの方だと修学旅行などの機会で訪れたことがあるかもしれません。ここには徳川家康が祀られており,三猿・眠り猫などの木彫り像が有名ですね。絵画については俵屋宗達による風神雷神図屏風が重要です。国宝にもなっている作品ですので,覚えておきましょう。

2つ目の文化は17世紀末から18世紀初めにかけての元禄文化です。この時代はちょうど徳川綱吉が政治を担っていた頃と重なっています。元禄文化も中心は京都や大阪にありましたが,その中心にいるのは町人であり,活気あふれるものになっています。ここでは文学・絵画に着目していきましょう。まず文学についてですが,1つ目に取り上げるのは井原西鶴の浮世草子です。浮世草子とは社会の人情や生活を表す文学のことであり,井原西鶴の作品の中では日本永代蔵が有名です。また奥の細道を作った松尾芭蕉もこの元禄という時代に生きた人物です。松尾芭蕉は俳諧と呼ばれる,現在の俳句の元となった文学を極めました。「古池や 蛙飛びこむ 水の音」などの句は聞いたこともあるでしょう。そして3人目に覚えておきたいのは近松門左衛門です。近松門左衛門は人形浄瑠璃という人形劇の世界で活躍していたのですが,彼の書いた曽根崎心中をはじめとする台本が人気を集めていたことから,文学の世界で語られることが多いです。絵画については,紅白梅図屏風を描いた尾形光琳見返り美人図を描いた菱川師宣を覚えておきたいところです。特に見返り美人図については,菱川師宣が豊かな色使いで擦られる浮世絵の創始者であることからも,しばしば受験で登場してきます。どんな作品かを調べて理解しておくといいでしょう。

3つ目の文化は19世紀初めから1830年ごろまで,つまりは1793年までの寛政の改革と1841年に始まる天保の改革との間の時代に栄えた文化が化政文化です。この頃の文化も元禄文化と同じように町人の好みが反映されていましたが,その中心が京都や大阪ではなく将軍のお膝元である江戸だということは意識しておくといいでしょう。雰囲気としては落ち着いて洗練されていることが特徴です。化政文化の時期において覚えておきたい要素としては学問・文学・絵画が挙げられますので,1つずつ確認していきましょう。はじめに学問ですが,この化政という時代には国学・蘭学という2つの学問の分野が発展します。このうち前者の国学は日本の古典を研究するというもので,古事記を解説するという内容の古事記伝を作った本居宣長によって大成されました。この国学は後々尊皇攘夷運動にも影響を与えることになります。後者の蘭学は徳川吉宗によってオランダ語の書物の輸入が許されるようになってから始まった,西洋の学問を翻訳して研究するという学問です。具体的にはオランダの解剖書を翻訳して解体新書を出版した杉田玄白,今でこそ当たり前に使っている電気というものを広めた平賀源内,正確な日本地図を作成した伊能忠敬の3人が蘭学者としては有名になります。次に文学ですが,まずは小説の分野から,東海道中膝栗毛を執筆した十返舎一九南総里見八犬伝を執筆した滝沢馬琴は押さえておきましょう。この2つの作品はともに小説なのですが,誰が何を書いたのかがあやふやになりやすいので気をつけましょう。続いて俳諧ですが,元禄の時代に松尾芭蕉によって発展させられたこの俳諧の分野では,与謝蕪村・小林一茶の2人が数々の句を残しました。ちなみにこの2人は,先ほど取り上げた松尾芭蕉と合わせて俳諧の三代巨匠として取り上げられがちです。この他,具体的に覚えておきたい作家はいないものの,狂歌・川柳といった皮肉やしゃれを取り入れたくだけた短歌が流行りました。最後に絵画については3人の作家を取り上げていきます。1人目は喜多川歌麿です。彼は美人画を極めた人で,婦女人相十品という作品が有名なのですが,見返り美人図と間違えて覚えやすいので気をつけましょう。2人目は葛飾北斎です。葛飾北斎の作品の中では富嶽三十六景というさまざまな姿の富士山を描いてまとめたものが有名で,その作風はモネやゴッホといった海外の画家にも影響を与えました。3人目は歌川広重です。歌川広重の作品では,江戸時代に設けられた陸上の街道の1つである東海道を舞台にした東海道五十三次が有名です。この東海道五十三次は,同じ時代の作品かつ名前に数字が入っている富嶽三十六景と間違いやすいです。注意しておきましょう。

明治維新

では最後に明治維新の時期の文化を見てこの記事を締めくくりましょう。江戸幕府が滅びて明治時代に突入すると,欧米に追いつこうとする精神のもと富国強兵殖産興業という柱を立てて国づくりが進められたのですが,その中で欧米の文化についても積極的に日本に導入されていきました。このような変化に伴い社会においても色々なことが変わっていったことから,このことを文明開化と呼びます。有名なフレーズとして「ざんぎり頭を 叩いてみれば文明開化の 音がする」というものがあるので,頭に入れておくといいでしょう。

ここでは主に新しい思想・新しい生活という観点から文明開化を解説していきます。まず思想についてですが,この明治時代には西洋の啓蒙思想が流入し,そこから影響を受けた思想家が多く登場します。啓蒙思想とはざっくり言うと人間の解放を目指すものであり,世界で起きた革命の土台に存在していた思想のことです。明治時代に現れた思想家として覚えておきたいのは福沢諭吉中江兆民です。まず福沢諭吉についてですが,彼は現在の一万円札に描かれている人物ですので,見覚えはあると思います。福沢諭吉は学問のすゝめという書籍で,人間の平等さと学問の大切さを説きました。後者の中江兆民については,フランスの啓蒙思想家であるルソー社会契約論という書籍を翻訳して紹介しました。その功績から中江兆民は東洋のルソーとも呼ばれ,その思想は自由民権運動へとつながっていきます。

続いて生活についてですが,西洋の文化が日本に流入すると,れんがづくりの洋館が作られたり,ランプ・ガス灯・洋服・洋食などが人々の間で広まったりするようになります。このうち洋館については,今で言うところの外務大臣にあたる当時の外務卿であった井上馨によって作られた鹿鳴館が有名です。この鹿鳴館で,国賓や外国の外交権への接待が行われました。この他しばしば受験に登場するところで言うと,1872年に太陽暦が採用されたことが重要です。それまで使っていたのは月と太陽の動きで月日を決めると言う太陽太陰暦でしたが,これによって世界の列強と同じ暦で生活することになりました。また1872年に新橋横浜の間で鉄道が開通したことも覚えておきたいところです。特に地名が問われやすいので,しっかりと押さえておきましょう。

終わりに

この記事ではこれまで安土桃山時代から明治時代の序盤にかけての文化の歴史を確認していきました。今回の記事で見ていった時代の文化は中学受験の中でも特に出題されやすいものですので,しっかりと頭の中に入れておきましょう。次回の記事では戦後島での歴史を押さえていきますので,そちらも是非ご活用ください。本記事が今後の学習のお役に立てば幸いです。

(ライター:大舘)

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