今回は、東南アジアの古代文明について学習しましょう。東南アジアでは、大陸部を中心に太古から独自の文化が形成され、また、現代に至るまで、東南アジアの国々は中国やインドといった隣国からの文化的影響を強く受けることになります。
いくつかの王朝や国家が並存し、時代の流れとともに興亡を繰り返す東南アジアの歴史は、どうしても知識が混同しやすい分野でもあるかもしれません。ここで一度しっかりと確認しておきましょう。
最後の確認問題で満点を取れるように頑張りましょう!
東南アジア文明
東南アジアとは?
東南アジアは、インドシナ半島とその南東部に位置する島々(マレー諸島)の総称であり、現在はベトナム・ラオス・カンボジア・タイ・ミャンマー・マレーシア・シンガポール・ブルネイ・フィリピン・インドネシア・東ティモールの11か国を指している。東南アジアという呼び名は、第二次大戦期の連合軍による一帯の呼称がその由来とされているが、1987年に設立されたASEAN(東南アジア諸国連合)には現在東ティモールを除く10か国が参加しており、人々の間で東南アジアの概念が共有されている。
〔東南アジア地図〕
東南アジアはそのほとんどが熱帯気候に属しているが、イラワディ川、メコン川、紅河、チャオプラヤ川といった大河がいくつも流れ、豊かな降雨を持つという地理的特徴によって古くから農耕が盛んに行われていた。平原部では水田耕作が、山間部では稲作や焼畑農業が行われた。また、こうした地域で生産された胡椒や香木、クローヴやナツメグは東西交易の中継地点である東南アジアの国々にとって貴重な商品となった。
古代国家の形成
東南アジアは、古くから隣国である中国やインドと交流を持っていた。その中で最古に形成された文化が、ベトナム北部で発展したドンソン文化である。この地域では、中国の南端に位置する雲南の金属器から影響を受け、東南アジアでも青銅器や鉄器を使用するようになり、前4世紀頃にその文化が発展を遂げてドンソン文化の形成につながったとされている。銅鼓と呼ばれる片面太鼓はドンソン文化を象徴する青銅器であり、現在でも昔と変わらず祭りの時に使用されている。
〔銅鼓〕
また、同じころにベトナム中部ではサーフィン文化という別の鉄器文化が築かれていた。こうした地域から出土した遺物によって、紀元前から南シナ海全体で交流がなされていたことが分かっている。紀元後にはさらに中国やインドとの交流が盛んになり、各地で様々な国が勃興して行くこととなる。
それでは、それぞれの地域でどのような国が興ったのか、その要点を確認しましょう。
カンボジア
<扶南>(1世紀末~7世紀)
- 王都:ヴィヤダプラ
- 紀元前2世紀の漢によるベトナム侵攻、ローマ皇帝使節のベトナム訪問といった他国との関わりの中で1世紀頃に建国された。
- メコン川下流から中流域にかけて広がり、2~6世紀に隆盛。
- タイ湾沿岸の外港オケオからは後漢の鏡やヒンドゥー像、ローマ金貨などが出土し、そこから海上交易による他国との交流が盛んであったことがわかる。
- インド文化を積極的に受容した。
<カンボジア(真臘)>(6世紀末~19世紀頃)
- 6世紀末、クメール人によってメコン川中流域に建国。7世紀初めには扶南を統合。
- 一時国は二分するが、9世紀に再統合され、ジャヤヴァルマン2世がアンコール朝を創設。15世紀まで存続する。
- スールヤヴァルマン2世がヒンドゥー寺院アンコール=ワットを建立。
- ジャヤヴァルマン7世は、12~13世紀にかけてアンコール=トムという宗教都城を建設し、カンボジアは最盛期となる。
〔アンコール=トム〕
ベトナム
<チャンパー>(2世紀頃~17世紀)
- 漢の支配からの独立を目指していたチャム人によってベトナム南部に建国され、南シナ海の交易で栄えた。
- 中国では当初林邑と呼ばれたが、その後環王、宋代以降は占城と表記された。チャンパーという国名は、3世紀より加速したインド化により自称するようになったサンスクリット語の呼び方である。
- 15世紀の黎朝による攻撃で首都が陥落すると、一気に勢力が弱まり、17世紀にはベトナムの広南阮氏の征服によって完全に滅亡した。
<紅河デルタ地域の王朝>
- 黎朝
北部ベトナムの沿岸部に位置する紅河デルタ地方は前2世紀頃から中国王朝の支配下にあり、漢の時代には交趾郡が設けられた。徴姉妹の反乱を始めとする、こうした中国王朝の支配に対する地元勢力の反発は次第に強まっていったが、10世紀に中国の支配を打ち破り、新たに開かれたのが黎朝である。
- 李朝
11世紀になると黎朝は李公蘊によって李朝に取って代わられたが、その後すぐに彼は大越(ダイベト)という国号を制定した。李朝の時代には、宋に対して大越の独立を認めさせ、チャンパーへの侵入や国内の制度を整えるなどの政策を行うことで安定した政権を維持した。
- 陳朝
陳朝は1225年、李朝に代わって紅河デルタ地方の覇権を握った。3度にわたる元からの侵攻を受けながらも、陳朝の王族である陳興道の抵抗などを経て撃退に成功した。この時代に大越国は人口が増加し、さらなる発展を遂げることとなった。
〔東南アジア地図〕
タイ(シャム)
<ドヴァ―ラヴァティー王国>(7~11世紀頃)
- チャオプラヤ川下流域に興り、交易で栄えた。
- 上座部仏教が信奉された。
<スコータイ朝>(13~15世紀)
- 13世紀にタイ北部で成立。
- 上座部仏教が信奉された
- 第3代ラーマカムヘンの時代に版図を広げた
ミャンマー(ビルマ)
<ピュー人の繁栄>(3~9世紀)
- イラワディ川中・下流域で隆盛。
- 隣国であるドヴァ―ラヴァティー王国や南詔との交流。
<パガン朝>(11世紀~13世紀)
- 11世紀頃からイラワディ川中流域で台頭したビルマ人の国家。
- インド・スリランカとの交流が盛んであり、上座部仏教が国教とされた。
- 13世紀末に元によって滅亡。
その他の地域
マレー半島やスマトラ島、ジャワ島といった島嶼部では7世紀頃に初めて王国が興ったが、こうした地域には、現在のインドネシア共和国となるまでにいくつもの王朝が現れた。
<シュリーヴィジャヤ王国>(7~14世紀)
- パレンバンを拠点とし、東西交易によって繁栄した港市国家。
- 9世紀末頃にはマレー半島とスマトラ島のほぼ全域とジャワ西部を占める強大な国家となった。
- 中国名で室利仏逝と表記される。
- 大乗仏教が信仰され、文化的にはインドと近いものであった。
<シャイレンドラ朝>(8~9世紀)
- ジャワ中部に興り、8世紀後半に最盛期を迎えた。
- 仏教国であり、大乗仏教の寺院であるボロブドゥール寺院が有名。現在は世界遺産となっている。
- 9世紀半ばにジャワから追放されたのち、シュリーヴィジャヤ王国に合流し、シャイレンドラ=シュリーヴィジャヤ帝国となった。この帝国は一般に三仏斉という中国名で呼ばれる。
〔ボロブドゥール寺院〕
<古マタラム王朝>(8~13世紀)
- ジャワ中部に興り、9世紀半ばにシャイレンドラ朝をジャワから追放した。
- 10世紀初めには拠点をジャワ東部に移し、クディリ朝と呼ばれるようになった。それ以降、この地域ではクディリ朝、シンガサリ朝、マジャパヒト王国の順に隆盛した。
確認問題
- 7世紀にスマトラ島に興ったシュリーヴィジャヤ王国は中国ではどのように記されたか。
- 11世紀に成立したイラワディ川中流域のビルマ人の統一王朝はなにか。
- ドンソン文化を代表する青銅器は何か。
- 陳朝は3度元の侵攻を受けるが、ある人の活躍によりこれを撃退した。ある人とはだれか。
- 扶南の外港の遺跡からは後漢の鏡やローマ金貨などが見つかったが、それはどこの都市か。
- アンコール朝ではヒンドゥー寺院としてアンコール=ワットが建立された。建立したのは誰か。
- シャイレンドラ朝の時代に建立され、現在は世界遺産となっている仏教の寺院の名前は何か。
- ベトナム南部に建国されたチャンパーは中国ではどのように表記されたか。
- シュリーヴィジャヤ王国は何という都市を拠点に栄えた港市国家であったか。
- パガン朝で国教とされた宗教は何か。
………………………
(解答)
- 室利仏逝
- パガン朝
- 銅鼓
- 陳興道(チャン=フンダオ)
- オケオ
- スールヤヴァルマン2世
- ボロブドゥール寺院
- 林邑
- パレンバン
- 上座部仏教
→続きはこちら 古代中国文明の誕生と春秋戦国時代
おすすめ記事
参考資料
- 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
- 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
- 世界の歴史まっぷ
- 最終閲覧日2020/3/13
- いらすとや
- 最終閲覧日2019/12/20
- 東京国立博物館HP
- 最終閲覧日2020/3/15
- 地球の歩き方HP
- 最終閲覧日2020/3/15
- 外務省HP
- 最終閲覧日2020/3/15
こんにちは。
私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。