統一王朝時代のインドとその文化[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

今回は、古代インドの文明を解説します。インドは世界で最も古くから文明を築いてきた地として知られ、統治体制や宗教、美術といった様々な面で独自の発展を遂げてきました。また、ヨーロッパとアジア諸国の中間に位置するという地理的特徴を持ち、東西の国々との相互的な影響が見られることも古代インド世界の形成において重要な点です。

古代インドは厳しい階級社会であり、人々には明確な身分の上下関係が組み込まれていました。さらに彼らは職業や血統による排他的な集団意識の元にありましたが、こうしたインドの伝統的な社会の在り方は現在まで脈々と受け継がれています。このようなインド世界の諸制度は、古代インドで生まれ、発展した宗教観によるところが大きいとも考えられ、古代インド文明を学ぶにあたって宗教や哲学といった人々の考え方を正確に整理しておくことが学習の鍵となるでしょう。

統一王朝時代のインドとその文化

統一王朝インド

アーリヤ人によって形成されたヴェーダ時代の部族社会が崩れてから、インド社会は小国の分裂状態になった。これを再統一し、混乱状態からの脱却がなされたのは前4世紀後半のことである。まず、小王国分裂時代に最も有力であったマガダ国を倒しインドのほぼ全域を治めたのがマウリヤ朝であった。その後7世紀ごろまで、マウリヤ朝に続いて、クシャーナ朝サータヴァ―ハナ朝グプタ朝ヴァルダナ朝と時代が下るごとに次々と統一王朝が入れ替わり、この時期に古代インドの高度な文明が頂点を極めた。

マウリヤ朝 ◎首都:パータリプトラ (前317~前180年頃)

  • マウリヤ朝の創始 前317年頃、マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタ王がインダス川からガンジス川にいたる広大な地域を初めて統一した。当時ガンジス川流域は強国であるマガダ国ナンダ朝によって支配され、西方からはギリシア勢力が迫っていたが、チャンドラグプタによってこれらは一掃され、ガンジス川流域のパータリプトラに首都が置かれた。後に、マウリヤ朝は西北インドからガンジス川流域、デカン高原全域を占める巨大な統一王朝となった。 チャンドラグプタの治世には、ギリシアからメガステネスがパータリプトラに派遣されたが、彼は帰国後に『インド誌』を記した。
  • マウリヤ朝の最盛期 マウリヤ朝は第3代アショーカ王の時代に全盛期を迎えた。彼の治世の特徴は、武力よりもダルマ(法、守るべき社会倫理)に基づく統治が行われたことである。また、彼自身仏教に帰依し、仏塔の建立第三回仏教結集、布教の促進などを積極的に行った。特にアショーカ王時代に造られた石柱碑、サーンチーの仏塔(ストゥーパ)はよく知られている。 この時期には部派仏教である上座部仏教が成立し、これはアショーカ王の息子マヒンダによってスリランカに伝えられ、後の南伝の拠点となった。

〔マウリヤ朝地図〕 (世界の歴史まっぷ)

マウリヤ朝はアショーカ王の死後衰退し、北方の様々な民族の侵入を受けながらインド世界は次の統一王朝建国へ向かっていく。

クシャーナ朝 ◎首都:プルシャプラ (45~240年頃)

  • クシャーナ朝の成立 マウリヤ朝崩壊後の西北インドを支配したのがクシャーナ朝である。クシャーナ朝は、1世紀ごろにバクトリア地方から進出してきたイラン系クシャーン人によって建てられたもので、130年ごろに即位したカニシカ王の時代に最盛期となった。カニシカ王の治世で王朝は最大版図となり、首都はガンダーラ地方のプルシャプラに置かれたが、そこではガンダーラ美術が隆盛し、ヘレニズム文化の影響を受けたギリシア風の菩薩像などが作られた。 クシャーナ朝は西アジアや中央アジア、ヨーロッパとインドの間に位置するため、他地域との交易が盛んに行われ、ローマからは大量のがもたらされた。

〔ガンダーラ美術〕 (世界の歴史まっぷより)

  • 大乗仏教の保護 紀元前後に生まれた大乗仏教は従来の仏教とは異なり、「出家せずに修行を行う」意義を説く菩薩信仰のことであるが、それまでの仏教が重視してきた厳格な修行と自己の悟りを否定し、衆生救済を重視するという特徴がある。 その中で人々は、多くの人を救うことができる自分たちの信仰を「大乗」と呼んだのに対し、それまでの仏教を、軽蔑を込めて「小乗」と呼んだ。 大乗仏教は主に中国・朝鮮・日本へ伝わったことから北伝仏教と呼ばれる。一方で、小乗仏教の部派の一つである上座部仏教スリランカや東南アジアの国々に伝えられたため南伝仏教と呼ばれる。 クシャーナ朝では、大乗仏教が保護されていたが、とりわけ空の思想を唱えた竜樹ナーガールジュナはその後の仏教思想に大きな影響を与えたとされている。

 クシャーナ朝は東西地域との交流で経済的にも文化的にも栄えたが、240年頃にササン朝ペルシアにより滅亡した。

サータヴァ―ハナ朝 ◎首都:プラティーシュターナ (前1~3世紀)

マウリヤ朝滅亡後、クシャーナ朝が北方インドを治めていたころ、デカン地方を支配していた王朝がサータヴァ―ハナ朝であった。

〔サータヴァ―ハナ朝〕 (世界の歴史まっぷより)

この王朝の最大版図はインド亜大陸全域にわたり、西はアラビア海、東はベンガル湾に接していたため海上交易で栄えた。古くから海上交易の航路として地中海からインド洋を通りアジアへとつながる「海の道が開けており、この時代もインド中央部のサータヴァ―ハナ朝や南部のチョーラ朝パーンディヤ朝などの王朝は「海の道」を通じたローマとの交易が盛んであった。南インドでは大量のローマ貨幣が発掘されてきたが、海上交易ではこれと引き換えに胡椒や綿布などがローマへ売られたとされている。この時期のインド洋交易についてはギリシア人によって編まれたエリュトゥラー海案内記に詳しく記述されている。

グプタ朝 ◎首都:パータリプトラ (320~550年頃)

グプタ朝は、クシャーナ朝滅亡後の北部インドに興った統一王朝であり、4世紀にチャンドラグプタ1世によって建てられ、パータリプトラに首都が置かれた。

〔グプタ朝〕 (世界の歴史まっぷより)

<チャンドラグプタ2世の治世>

グプタ朝は第3代チャンドラグプタ2世(超日王)の時代に北部インド全域を占める最大版図となった。

  • 分権的統治体制  支配地域は直轄地・間接統治・属領などに分かれていた。
  • 法顕の訪印  東晋の僧である法顕がグプタ朝を訪問し、サンスクリット経典を中国に持ち帰った。仏国記を著す。
  • ナーランダ―僧院の創設  5世紀に設立し、12世紀にイスラーム勢力によって破壊されるまで仏教教学の中心として栄えた。
  • バラモンの尊重とサンスクリット語の宮廷内公用語化
  • インド古典文明の黄金期を形成

<グプタ朝の文化>

  • ヒンドゥー教の定着 民間信仰や慣習の中から次第に定着し、現在まで伝わるインド独自の宗教として確立した。ヴァルナ制の下で人々が守るべき宗教的、道徳的義務や規範を示したヒンドゥー教の法典『マヌ法典』もこの時期に完成した。当初は仏教ジャイナ教と共存する形をとっていたが、次第に歌や踊りを伴ったバクティ運動と呼ばれる宗教運動の拡大に伴って排他的な性格を持つようになり、他の宗教は衰退し、ヒンドゥー教が優位になっていった。
  • サンスクリット語の二大叙事詩『マハーバーラタラーマーヤナが完成。
  • 宮廷詩人カーリダーサによる『シャクンタラー』の完成。
  • ゼロの概念  後にイスラーム世界に伝えられて自然科学の発展に役立った。
  • アジャンター石窟寺院の建立  19世紀にイギリス人によって発見されたこの寺院内には、純インド的な美術様式であるグプタ様式で描かれた仏教壁画が数多く残されている。このグプタ様式はギリシア的であったガンダーラ様式にとって代わり、古代インド文明の代表様式となった。

 

<グプタ朝の衰退>

グプタ朝は5世紀に遊牧民エフタルの侵入によって衰退し、6世紀半ばに滅亡した。その後の北インドはハルシャ王(戒日王)によって統一され、ヴァルダナ朝(首都:カナウジ)が建てられたが間もなく滅亡し、古代インドの統一王朝時代は終わりを告げた。8世紀以降のインド世界は諸王朝分裂状態となる。

グプタ朝滅亡後には、二人の仏教僧が中国からインドに訪れた。からインドへやってきた玄奘は、仏教を保護していたハルシャ王に歓待され、ナーランダ―僧院で学び、帰国後に後の『西遊記』の元となる旅行記大唐西域記を著した。7世紀後半には、同じく唐の仏教僧であった義浄が海路でインドに訪れ、南海寄帰内法伝を著した。

確認問題

  1. ヴェーダは何教の聖典であるか。
  2. インダス文明の都市遺跡を2つ答えなさい。
  3. アショーカ王の息子マヒンダが仏教の布教を行ったのはどこか。
  4. クシャーナ朝は何の侵攻により滅亡したか。
  5. グプタ朝の時代に完成した二大叙事詩を答えよ。
  6. ヴァルダナ朝の首都はどこか。
  7. 7世紀に海路でインドを訪れた仏教僧はだれか。
  8. マウリヤ朝はガンジス川流域の何国を滅ぼしたか。
  9. 1世紀頃にギリシア人によって記された「海の道」を通じた古代の海上交易についての書物は何か。
  10. 大乗仏教を大成し、空の思想を唱えて『中論』を著した人物は誰か。

…………………… (解答)

  1. バラモン教
  2. モエンジョ=ダーロ、ハラッパ―
  3. スリランカ
  4. ササン朝
  5. マハーバーラタ、ラーマーヤナ
  6. カナウジ
  7. 義浄
  8. マガダ国
  9. エリュトゥラー海案内記
  10. 竜樹(ナーガールジュナ)

→続きはこちら 東南アジア文明とは?

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参考資料

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 世界の歴史まっぷ
    • 最終閲覧日2020/2/28

 

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。