〜平安時代の歴史と文化〜 院政とは? 院政期の文化とは?

今回は院政について詳しく説明し、おさえるべきポイントを紹介していきます。また、院政期に栄えた文化の特徴も合わせて説明していきます。 

院政とは? 

院政とは、天皇の位を譲位し、上皇となり、上皇のお膝元の院庁を中心に天皇の代わりに政治を行う政治形態のことをさします。 

同じように天皇の代わりに政治を行う政治形態に摂関政治があります。院政では天皇の代わりに上皇と院庁が政治を行いますが、摂関政治では、摂政・関白の役職に就いた人物が天皇の代わりに政治を行っていました。誰が天皇の代わりに政治を行うかが、院政と摂関政治の違いと言えます。 

摂政は成人していない幼い天皇の場合の役職で、関白は成人している天皇の代わりに政治を行う場合の役職という違いもあります。 

初めて院政を行ったのは? 

初めて院政を行ったのは白河上皇でした。ではなぜ白河天皇は院政を行うことができたのでしょうか。詳しくみていきたいと思います。 

まず、後三条天皇が子の白河天皇に譲位し、白河天皇は1072年に即位します。後三条上皇は院庁を設置しますが早くに病気でなくなってしまいます。更に白河天皇が即位した頃は摂関家の力も弱まり、白河天皇の父である後三条天皇は摂関家の外戚のいない天皇でした。その子である白河天皇も摂関家との結びつきはなく、摂関家の意向を気にすることなく政治を行うことができました 

18歳という若さで即位した白河天皇は1086年に子に譲位し、堀河天皇が即位、白河天皇は上皇となりました。即位した堀川天皇はまだ8歳という若さで政治を行える状況ではなく、白河上皇と院庁が中心となって政治を行うようになりましたこれが院政の始まりです。 

つまり、白河天皇が院政を始められた背景にあるのは、摂関家の勢力が弱まり摂関家を外戚に持たない天皇が即位したこと、幼い息子に譲位したことです。上皇として権威をふるった白河上皇は院庁に北面の武士という自警団をおいていました。 

更に、北面の武士に徐々に力をつけ始めていた源氏の武士団などを起用し、その後武士が台頭していくきっかけにも繋がっていきます。

院政期に栄えた文化について 

院政期は武士団の台頭により、武士団同志の争いも数多くおきました。それだけでなく、文化の面に置いても貴族を中心とした平安中期の文化ではなく、文化の面においても武士の影響が色濃く出ています。その一つが『将門記』や『陸奥話記』などの軍記物語です。 

更に文化の担い手は武士だけでなく。庶民にも広がっていきます。その例として今様があります。今様は庶民や遊女などの間で流行った流行歌です。そのような今様に影響を受けた貴族が編んだのが『梁塵秘抄』です。 

他にも日本だけでなく、天竺(インド)や震旦(中国)に伝わる伝記や説話を集めた『今昔物語』や神社の縁起をまとめた絵巻物など貴族だけでなく庶民の様子も窺い知れるようなものが増えたのがこの院政期の文化の特徴です。 

最後に簡単な問題を出したいと思います。 

  • 問1、院政とは天皇の代わりに誰が政治を行いますか。 
  • 問2、はじめて院政を行ったのは誰ですか。 
  • 問3、問2の人物が院政を行うことができた背景を説明しなさい。 
  • 問4、院の警護を行う人々のことを何といいますか。 
  • 問5、院政期の文化では貴族意外に誰が文化の担い手になっていますか。 

解答

  • 問1、上皇と院庁
  • 問2、白河上皇
  • 問3、摂関家との結びつきがなく、若い皇子に譲位したから
  • 問4、北面の武士
  • 問5、武士

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