今回の記事では,日本の文化史について解説していくシリーズの第3本目として,明治時代から戦後までの歴史についての解説を実施していきます。現代に近い時代の文化も受験では当然登場するので対策は必須です。第1本目・第2本目で扱った内容についても同様のことが言えますが,自分の生活と一番縁のあるところから注目していくと覚えやすいでしょう。
明治時代
それではまず明治時代から取り扱っていきます。前回の記事でも明治時代を扱いましたが,そちらが外国の文化を取り入れようとする明治維新の頃の話だったのに対し,ここで扱うのは明治維新以降の国づくりや戦争を通して発達してきた文化や科学のあり方について解説していきます。
まずは科学について見ていきましょう。江戸時代にも蘭学の普及によって,解体新書などの形で科学が日本の中に信用していきました。しかし明治時代にはそれ以上の世界的業績を成し遂げる人が続出します。特に重要なのが医学の分野です。1人目に注目するのは北里柴三郎です。北里柴三郎は当時多くの人を死に追いやっていた破傷風という病気の予防と治療の方法を開発するなどの功績をあげ,日本の細菌学の父と呼ばれています。2人目に注目するのは1000円札でお馴染みの野口英世です。彼が研究したのは黄熱病という危険な感染症を研究しており,道半ばで亡くなってしまうものの,その研究成果によってワクチンの開発が進められました。このほか赤痢という病気の原因になっていた赤痢菌を発見した志賀潔の名前も覚えておくといいでしょう。
そしても次に見ていくのが文学の世界です。明治時代には様々な思想に基づく作品が数多く生み出されます。はじめに主流になったのが,宗教や道徳にとらわれずに現実を描く写実主義です。代表的な作家としては,小説神髄という作品で小説を芸術として確立しようとした坪内逍遥と,文章における言葉遣いを話し言葉に近づけるということを初めて試みた浮雲を代表作とする二葉亭四迷が挙げられます。そして,この次に流行ったものがロマン主義です。ロマン主義とは個性や自我といったものを重視し感情的な表現を特徴とする主義のことで,おもな作家としてはたけくらべを執筆した樋口一葉と,みだれ髪を執筆した与謝野晶子が挙げられます。与謝野晶子については,国語の教科書にも掲載されやすい君死にたもうことなかれの方が有名かもしれません。そして最後に取り上げるのが自然主義です。自然主義は写実主義を受け継ぎ,社会の現実をありのままに描こうとする作風のことです。代表的な作家としては,破戒という作品で有名な島崎藤村と一握の砂という作品で有名な石川啄木が挙げられます。以上の3つの主義の他,優れた短歌をいくつも生み出した正岡子規や,吾輩は猫であるなどで知られている夏目漱石,舞姫などで知られている森鴎外などは覚えておきたいところです。
そして最後に見ていくのが芸術の成長です。芸術と言ってもその中身は多岐に渡りますが,特に音楽の世界における荒城の月・花などの作曲をおこなった瀧廉太郎や,美術の世界において日本画の復興に努めた岡倉天心とアメリカ人のフェノロサの2人組は頭に入れておきたいところです。
大正時代
続いて大正時代の文化について見ていきましょう。大正時代は日本が第一次世界大戦を通して好景気になったり,他方後半には関東大震災の発生で社会が混乱に陥ったりしました。そんな大正文化の特色は大衆文化の発展にあります。この時代には都市の労働者やサラリーマンといった市民層が形成され,そんな市民層を中心とした文化が栄えていきました。
まずは注目しておきたいのはメディアの発展です。1つ目に見ていくのは新聞です。特に大阪朝日新聞・大阪毎日新聞・讀賣新聞の3紙が伸びていき,三大紙と呼ばれるようになりました。2つ目に見ていくのは出版です。中央公論などのような総合雑誌や,キングといった大衆雑誌が創刊され,講談社・小学館といった有名な出版社もこの時期に出来ました。3つ目に見ていくのはラジオです。1925年にラジオ放送が始まると,時代の動きが庶民に伝えられるようになるだけでなく,そこで流行りの歌が生まれたりもしました。
次に文学の世界を見ていきましょう。明治時代に広がりを見せた文学は,大正時代でも発展していきます。主な派閥は3つで,1つ目は自然主義に反抗し理想主義を貫いた白樺派です。この白樺派とは白樺という雑誌を中心に起こった主義であるため,このように呼ばれます。代表的な作家としては,お目出たき人々を執筆した武者小路実篤,暗夜行路を執筆した志賀直哉が挙げられます。2つ目は構想を入念に考えて人間の理性を重視する新思潮派です。この新思潮派には羅生門で有名な芥川龍之介などが含まれています。そして3つ目はプロレタリア文学です。この作風は労働者の直面する厳しい現実を描くものであり,蟹工船という作品を手がけた小林多喜二が主な作家として挙げられます。
またこのようなメディアや文学の発展の裏で,西洋から伝わった民主主義の思想も広がりを見せていきました。特に重要なのが,天皇を主権として据え置きつつ政党や議会を中心に政治を行おうとする民本主義を唱えた吉野作造と,天皇は神のようなものではなく内閣や議会と共に政治を行う存在だとする天皇機関説を唱えた美濃部達吉です。このような思想が普及し大正デモクラシーへとつながっていきましたが,1925年に治安維持法が成立すると次第に弾圧されるようになってしまいます。
このほか,音のある白黒映画であるトーキーが流行したり,学生野球が普及したり,ビジネスオフィスやデパートが建築されるなど,どんどん文化の大衆化が進んでいったのがこの大正時代になります。
戦前・戦中
ここからは昭和時代のうち戦前・戦中の時期に注目して文化のあらましを抑えていきましょう。大前提として,日中戦争や太平洋戦争の最中にいるときの日本は戦争に全てのパワーを捧げているため,民衆から文化は取り上げられてしまいます。そのことを表すようなフレーズとしてほしがりません勝つまではというものやぜいたくは敵だというものが挙げられます。1941年には米不足への懸念から配給制が実施され,国民に国が食料や日用品を割りあてて配るようになり,生活はどんどん規制されていきます。
文化の中身も戦争に沿って変化していきます。例えば文学の世界では戦争文学という文字通り戦争を題材とした文学が主流となっていき,日露戦争の様子が桜井忠温によって,日中戦争が火野葦平によって描かれたりしました。絵画の世界でも戦意を高めることと戦争の記録を残すことの両方を目的とした,戦争画家が有名になっていきます。この時代の文化が事細かに中学受験で登場することはまずないですが,人々が苦しめられていたことを意識しておくといいでしょう。
戦後
最後は戦後の文化について解説していきます。以前制度・法律史のシリーズの記事で解説した通り,戦後日本はGHQによって統制され,その指示のもと社会が成長していきました。この戦後という期間については,国民の生活の変化が問われやすいので,3つの時期に区切ってその変化を確認していきましょう。
まず取り上げるのは1950年代中頃,高度経済成長が始まる復興期です。この時代は重化学工業が発展し,技術の革新や石炭から石油へのエネルギー源の移行が進められ,そんな中で高い成長率が続いて国民の収入も増えていきました。人々の生活においては,この1950年代後半という時期には三種の神器と呼ばれる豊かさや憧れの象徴が生まれました。その中身は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫です。後々紹介する3Cと間違えやすいので,気をつけて覚えましょう。
続けて見ていくのは高度経済成長真っ只中の1960年代です。この1960年代は1964年の東海道新幹線の開業および東京オリンピックの開催が代表的ですね。特にこの東京オリンピックはアジアで初めて開催されたものであったり,史上初のテレビの衛星中継が行われたりと,極めて重要なものとなっています。また生活に関しては,三種の神器に代わって3Cとまとめられる家電が普及していきました。その中身はカラーテレビ(Color TV)・クーラー(Cooler)・乗用車(Car)であり,頭文字を取って3Cと呼ばれます。しかしその成長の裏でさまざまな公害被害が出ていたこともセットで覚えておきましょう。
そして最後に着目しておくのが1970年代です。この1970年代という時代では,1973年のオイル・ショックという出来事を機に,経済成長が終わってしまいます。このオイル・ショックによって原油価格が値上がりしてしまうのですが,その値上がりはガソリンなどの石油に関連する製品にとどまらず,物価が大幅に上がっていきます。この物価上昇の原因の1つが買い占めです。オイル・ショックが発生すると政府が紙の節約を呼びかけるようになるのですが,そのことを聞いて国民は紙がなくなってしまうらしいと信じ込んでしまい,特にトイレットペーパーが町中で買い占められてしまいます。この混乱を受け政府は買い占め自粛を発表し,やがて物価高騰は落ち着くのですが,それほど民衆が不安に煽られたのがこの出来事だったのだと理解しておくといいでしょう。
終わりに
本記事ではここまで,大正時代から戦後にかけての歴史に注目し,その中でも文化史に焦点を当てて解説していきました。ここで扱ったのは1970年代までですが,以降の文化史については主に時事問題や公民といった分野で確認していく方が理解しやすいので,この記事ではここで切り上げますが,よろしければ以下のおすすめ記事や参考文献を使いながら更なる対策を進めてみてください。本記事が今後の勉強のお役に立てば幸いです。
(ライター:大舘)