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私たちは幸せなの??
よく縄文人と現代人はどっちのほうが幸せなのかという命題が出されます。
普通に考えたら、私たちのほうが絶対に幸せだって思いますよね。私たちの身の回りには食べるものもあるし、娯楽もたくさんあふれているし、交通だって整っているし、何一つ不便だと思うことなんてありません。
でも、本当にみなさんは幸せですか。意外なことですが、こんなに進歩して発展しているにもかかわらず、「私は全然幸せじゃない」「もっと幸せになりたい」と思っている現代人ってたくさんいるのですね。
人間というのは悲しいもので何かが満たされればまた何かが欲しくなり、その欲望というものは尽きることがないのですね。
だから何かを得れば得るほど、「もっとほしい。もっとほしい」となって、永遠に幸福になれず、むしろ不幸な思いをずっとしているなんてことがよくあるのです。
そういう点で考えると、縄文人というのは毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際の日々で、その日一日を生きていられることそれだけが彼らにとっての幸せだったはずです。モノも恵まれてあるわけではないし、この先ずっと長生きできるという保証もない。
それでも「その日一日を一生懸命に無我夢中で生きる」ということが幸せなことなのだということを縄文人の人たちは無意識的に理解していたのかもしれません。そういった意味では縄文人は現代人よりも幸せだったのかもしれません。
今回縄文人の生活を学んでいく中で、現代人が幸せに生きるヒントを探してみましょう。
縄文時代はどんな時代??
今からおよそ1万年余り前に、氷河時代が終わり現代に通ずる完新世の時代に成ると、地球の気候がいっきに温暖になり、海面の上昇が進み、日本列島が今の朝鮮半島や中国などがある大陸から切り離され、現在のような日本の地形や自然環境になったところから縄文時代はスタートしました。
地球が温暖になったことによってそれまでの旧石器時代の自然環境とは大きく異なる環境に変化しました。
例えば植物は、それまでの亜寒帯性の針葉樹林などに代わって、東日本の方面にはブナやナラといった落葉広葉樹林が、西日本の方面ではカシやシイなどの照葉樹林が一面に広がるようになりました。
また生息する動物の変化も起こります。旧石器時代までは、マンモスやヘラジカなどの大型動物が多く生息していました。
しかし完新世になり縄文時代に成ると、そうした大型動物は一斉に絶滅し、代わって比較的動きの速いニホンシカやイノシシといった中小動物が生息するようになりました。こうした変化は当然人々の生活にも大きな変化をもたらすことになるわけです。
そうして新しく人々の間で縄文文化が成立しました。ちなみに縄文文化の始まりは最近の放射性炭素14Cによる年代測定法では、今から約1万3000年前にさかのぼるといわれていました。
ちなみに、放射性炭素14Cによる年代測定法とは何かを説明しておきます。
放射性炭素14Cは二酸化炭素として常に空気中に存在していて動植物はこれを体内に吸収しています。生きているときは吸収と分解が両方行われるのですが、死ぬと分解だけが進行するようになります。
このことを利用して、炭素14Cがどれくらい減少しているかを測定することによって年代を測定するのが、放射性炭素14Cによる年代測定法という年代測定法です。
しかし、近年は年輪年代測定などのより確実な方法によっての研究が進み、縄文時代は1万6000年前に始まったと考えられるようになっています。
縄文時代文化の特徴は大きく分けると5つあります。
一つ目は、旧石器時代までの打製石器に加えて磨製石器を使うようになったこと。これは新石器時代の到来ですね。まさに縄文時代というのは完新世突入の時代でもあり、新石器時代でもあるのです。
二つ目が、縄文土器の使用です。この土器の出現が、縄文時代が縄文時代と言われるゆえんです。
三つ目が、漁労の発達です。氷河時代が終わり、海進が起こった結果発達しました。
四つ目が、交易の開始です。これも海進の結果もたらされたものですね。そして最後の5つ目が、霊の存在の認識です。
磨製石器と縄文人の生活
石器は縄文時代の初めころはまだ打製石器が使われていたが、だんだん磨製石器も使われるようになりました。縄文人の生計の立て方は、基本的には旧石器時代と変わらず狩猟と採取生活でした。
しかし、大型動物が絶滅しニホンシカやイノシシなどの中小動物が誕生したことでその狩猟の方法が変わっていき、また採取できる植物にも変化がありました。それに伴って、道具の進化も起こったのです。
狩猟では、旧石器時代は主に槍を使って狩猟を行っていましたが、動きの速い中小動物を捕まえるために弓矢を使った狩猟が一般的になります。
矢の先端に石鏃という石器を装着して獲物を射止めるのです。落とし穴を使って動物を捕まえることもあったそうです。
捕まえた動物の皮は石匙という石器ではぎとりました。採取のほうでは、クリ・クルミ・トチ・ドングリなどの木の実やヤマイモなどを採っていました。採取してきた木の実などは石皿やすり石ですりつぶしてクッキーなどにして食べていたそうです。
また、一部ではコメ・ムギ・アワ・ヒエなどの栽培もおこなわれていたみたいです。遺跡から土堀用の打製の石鍬が遺跡から発見されています。
ただ、縄文時代はまだ本格的に農業の段階には入っていません。世界の歴史を見てみるとだいたい磨製石器を使い始めて新石器時代になると、農耕や牧畜などの食料生産段階に入ります。
ここが日本と世界の歴史の違うところで、日本は磨製石器が伝わり新石器時代に突入しても、狩猟と採取を基本とする食料採取段階の経済を行っていました。
それはさておき、それでも日本では縄文時代の晩期ごろから稲作が始まっていたのではないかという研究がなされています。これは、福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡から明らかになっています。
縄文土器が時代を決める??
さて、縄文時代が縄文時代といわれるゆえんは、なんといっても縄文土器です。
縄文時代は縄文土器の形の変化によって時代区分がなされています。全部で6区分です。リズムよく覚えてみましょう。
「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」です。
もう一回行きますよ。「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」の6期に分かれます。
だいたい草創期が16000年前~、早期が11000年前~、前期が7200年前~、中期が5500年前~、後期が4700年前~、晩期が3400年前~、と言われています。
これらのそれぞれの時期の縄文土器には特徴があります。下の図1の縄文土器たちを見比べてみてください。
草創期の縄文土器は底が方形の平底や円形の丸底になっているという特徴があります。早期になると底が尖っていて深い形の土器になり、前期には平底の深鉢がつくられるようになりました。
そして最もみなさんがなじみ深い縄目模様の美しく壮大な形の土器は中期に誕生します。この時期が、一番縄文文化が栄えていた時期なのかもしれません。そして後期や晩期になってくると、その形よりも機能を重視するようになり、土瓶のように注ぎ口がついた注口土器や、食物を盛るための高坏土器など、用途に応じた土器がつくられるようになりました。
縄文晩期の土器としては青森県の亀ヶ岡遺跡から発見された亀ヶ岡式土器が有名です。
これらの縄文土器は、細長い粘土のひもをらせん状に積み上げて縄目文様をつくり、形を整え、それを500~800度の低い温度の火で焼いてつくりました。
そのため、縄文土器は非常に質がもろく、厚手で、色は黒褐色という特徴があります。土器は食物の調理や貯蔵に用いられるのが一般的でした。
(図1. 『詳説日本史』(山川出版社)p8より引用)
魚を釣って食べるぞ!!
氷河時代が終わり、海面が上昇したことが魚をつかまえる漁労を発達させるきっかけとなりました。これは、縄文人が住んでいた住居の周りに、かれらが食べたと思われる貝の殻や魚の骨が捨てられている貝塚が発見されたことからわかっています。
主な貝塚として、千葉県にある加曽利貝塚と東京都大田区にある大森貝塚を覚えておきましょう。
大森貝塚は、1877年にエドワード・モースというアメリカ人が東海道本線の電車に乗っているときにその車窓から発見したといわれています。
ものすごい動体視力ですね。現在大森貝塚の周辺に移籍庭園がありそこにモースの銅像が建てられています。
漁労が発達したということは、当然漁労のための道具も発達しています。一つ目は、丸木を焼いてえぐってつくった丸木舟です。これを使って深い海へ魚を捕まえにいっていたのですね。
二つ目は、骨角器です。これはシカやイノシシなどの骨・牙・角などを使って作った釣り針や銛のことです。これを使って魚を釣ったり突いたりしていました。
三つ目は石錘・土錘です。これは魚を網で捕まえるために用いられた石や粘土で作られたおもりです。こうしたものを使って魚を捕まえ食していたのですね。日本人の魚好きの原点はここにあります。
交易の開始!!
船を使って漁労ができるということは、当然、海や川を利用した交易もできるようになります。
当時交易がおこなわれていたことがなぜわかるのかと言いますと、それは本来ある地域でしか産出しないはずのものが様々な場所で広範囲に出土しているからです。
その代表的なものが、黒曜石とひすい(硬玉)です。黒曜石は長野県の和田峠・東京都の神津島・静岡県の天城山・北海道の白滝などの特定の場所でしか産出しないのですが、それで作られた石鏃が広範囲で出土しています。
また新潟県の姫川でとれるひすい(硬玉)も各地で発見されています。このことから、集落間で交易がおこなわれていたことがわかっているのですね。
自然には霊が存在するらしいぞ!
こうして、狩猟・採取生活、漁労生活、交易といった生活を送るようになるわけですが、しかしこの時代に生きる人たちは、やはり自然の影響に左右される部分が多いですし、それを合理的に判断することもできませんでした。
いつ天候が悪くなるとか、天災が起こるのかとか、食べ物を得ることができなくなるか、とか、今でこそある程度科学の知識で説明することができるようになりましたが、当時は当然そんな知識など存在しません。
だから、人々は自然を畏怖するようになり、自然物には様々な霊魂が存在すると考えてこれを崇拝するようになります。これがアニミズムというものです。
ラテン語の「アニマ(気息・霊魂)という言葉に由来しています。現代の日本の「アニメ」という言葉もキャラクターに霊魂を宿らせるといった意味合いでアニミズムに由来しているのかもしれません。
そして、縄文時代の人々はこうした霊魂を抑え鎮めるために、霊魂に直接働きかける呪術的な儀式を行うようになるのです。その代表的なものをいくつか紹介していきます。
一つ目が、屈葬です。これは死んだ人を埋葬するときに手足を折り曲げて埋める方法です。これは死者が復活して生きている人たちに災いをもたらすことを恐れて行われていたといわれています。
二つ目は、土偶です。土でできた人形なのですが、魔よけや繁栄を祈るために作られたお守りのようなものだったのだろうと考えられています。
また土偶は特に女性の形をしたものが多く、妊娠や出産といった生殖や豊穣を祈ってつくられた母神像のようなものだったのだろうとも考えられています。
さらに、土偶の多くは頭や手や足などが意図的に破損されて発見される場合も多く、これは人間の病や怪我のつらさを、土偶に身代わりになってもらって治癒するという意味合いもあったのかもしれないとも考えられています。
三つ目は、抜歯です。これは門歯や犬歯を意図的に抜くという儀式で、成人になった証の通過儀礼として行われていたのではないかと考えられています。
四つ目は、石棒です。これは男性の生殖器を象ったものと考えられており生殖を崇拝するためにつくられたのではないかと考えられています。このように縄文人の生活の中にはアニミズムの思想が強く根付いていました。
縄文人の生活まとめ
このように縄文人たちは、狩猟・漁労・採取を生活の基盤とし、アニミズム信仰で自然と一体化して生きようという価値観で生きていました。
そして縄文人は旧石器時代の人々よりも食料を獲得する方法が多様化したことで、ある程度生活が安定し、定住的な生活を始めるようになります。
そうして作られた住居が竪穴住居です。地面を掘ってその上に屋根をかけ内部に炉を設けた構造になっています。だいたい住居の大きさから考えて一つの竪穴住居には5~10名ぐらいが集団で過ごしていたのだろうと考えられています。
みんなで協力して、狩猟・採取・漁労を行い、そして家に帰ってきてそれぞれが獲得した食料を見せ合ってみんなで喜び合って、そしてそれらをみんなで囲んでお祝いしあって、楽しんで、そんな光景が思い浮かんできます。
今日一日頑張ったことをみんなで讃え合って、自然に感謝して、また明日を必死に全力で生きる。縄文時代の人たちはきっと幸せだったことでしょう。
きっと悩みと言っても、「明日は食料獲得できるかな」「どうやったら食料得られるかな」ということだけを考えて必死に生きていたことでしょう。きっとこれが生きることの原点なのではないかなと私は思います。
今の人たちみたいに「人に嫌われたらどうしよう」とか「将来お金稼げなかったらどうしよう」とか「名声を上げたい」「地位が欲しい」とかそんなちっぽけなことではきっと悩んでいなかったことでしょう。
そういった意味では現代人よりも「今を生きていた」という意味で縄文人は幸せだったのかもしれません。
縄文時代の遺跡
最期に、縄文時代の遺跡をいくつか挙げて縄文時代のお話は終わりにしたいと思います。
北のほうから順に、
- 北海道:美々遺跡
- 青森県:亀ヶ岡式土器で有名な亀ヶ岡遺跡、縄文時代の大集落遺跡である三内丸山遺跡、石棒や土偶が発見された八戸市の是川遺跡など
- 秋田県:円形に石を並べた環状列石の遺構(墓地)が残る大湯遺跡
- 宮城県:里浜遺跡
- 岐阜県:西田遺跡
- 山形県:押出遺跡
- 石川県:真脇遺跡
- 福井県:鳥浜貝塚
- 東京都:大田区の大森貝塚
- 千葉県:加曽利貝塚
- 神奈川県:横須賀市の平坂貝塚
- 長野県:尖石遺跡
- 愛知県:吉胡貝塚
- 大阪府:国府遺跡
- 岡山県:津雲貝塚
- 愛媛県:上黒岩岩蔭遺跡
- 長崎県:泉福寺洞穴
- 鹿児島県:栫ノ原遺跡
などがあります。
北は北海道から鹿児島まで縄文文化が浸透していたことがうかがえますね。
さて、この縄文文化がどのようにして弥生文化に移行していくのか、次はその様子を見ていきたいと思います。
続きはこちらから!
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参考
- 安藤達朗『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』,東洋経済新報社,2016, p23-p29
- 『詳説 日本史B』山川出版社,2017 ,p7-p11
- 向井啓二『体系的・網羅的 一冊で学ぶ日本の歴史』,ベレ出版,p24-29
- いらすとや