歴史問題読解〜日本の歴史書・仏教〜[中学受験社会過去問解説シリーズ]

今回は2021年度の豊島岡女子学園中学校の社会の過去問を一部修正して社会の問題の解き方、歴史問題の解き方、日本の歴史書について説明していきたいと思います。 

問題

次の文章を読んで問いに答えなさい。 

昨年は、( ア )が完成してから1300年でした。( ア )は中国にならって編纂された正式な歴史書で、天地の始まりから持統天皇の治世までが記されています。しかし、神話の時代のことが書かれ、初代の神武天皇が即位したのが現在の時代区分では(イ)縄文時代にあたる紀元前660年のこととされるなど、実際の出来事とは思えないことも多く記されています。それは、過去の事実を単に記すのではなく、天皇や朝廷の正当性を示すという意図があって作られたものだからです。( ア )に続いて朝廷では五つの歴史書が作成されましたが、887年の記事を最後に正式な歴史書は途絶えます。 

武家政権の時代になると、幕府でも歴史書が編纂されるようになります。鎌倉時代の『吾妻鏡』は、源頼朝の挙兵から(ウ)北条政村が7代執権に就いていた1266年に将軍宗尊親王が京都に送り還されるまでが記されていますが、幕府の事情によって事実が改められて記述されたところもあります。また、(エ)江戸幕府お抱えの学者である林家によって『本朝通鑑』が作成され、神武天皇から江戸幕府が成立した時の後陽成天皇まで、儒教の考えにもとづいて書かれているとされています。

このほか、個人の手による歴史書にも有名なのがあります。摂関家に生まれながら延暦寺の僧の長である(オ)天台座主となった慈円が著した『愚管抄』は、鎌倉時代の初めに書かれ、道理によって歴史の変化をとらえています。南北朝時代の北畠親房が著した『神皇正統記』は、(カ)南朝の正当性を歴史的に説き明かそうとしています。さらに、江戸時代の学者で政治にも携わった新井白石は、『読史余論』において江戸幕府の成立に至る歴史を叙述し、独自の時代区分を示しています。これらはいずれも、すぐれた歴史観によって書かれたものとして高く評価されています。 

明治時代になると、欧米から多くの学者や技術者が招かれ、近代的な学問・技術がもたらされました。歴史学においても、字で書かれた史料にもとづいて実証的に研究する手法が採り入れられ、これによって、歴史の叙述も飛躍的に発展しました。その一方で、天皇制が強調されることにより、天皇の絶対性とその統治する日本の世界に対する優位性を説く皇国史観という歴史観も生まれ、それが(キ)近代日本の海外進出を正当化する根拠として利用されました。 

歴史書における叙述は、過去の事実を客観的に記すのではなく、特定の意図をもって書かれることもしばしばです。現在の歴史学では、史料を利用するだけでなく、考古学・歴史地理学・文化人類学・民俗学など関係諸学の成果を採り入れた研究が進展しています。これに対し、自分の思い描く歴史を都合よく語っている書物やインナーネット情報が多くみられるのも事実です。何が正しいのか、歴史を批判的に読み解く姿勢が大切です。

問1

空らん( ア )にあてはまる歴史書を、漢字で答えなさい。

【解答】日本書紀 

正式な歴史書というところがヒントになります。正式な歴史書ということは勅撰天皇の命により編纂された)だと推測することができます。日本最古の勅撰歴史書は『日本書紀』です。『古事記』は『日本書紀』より成立は古いですが、勅撰ではなく、歴史書より神話的側面が大きいです。

また、『日本書紀』と『古事記』では収載時代が異なり、持統天皇まで収載していると問題文にあるところからも『日本書紀』であると考えることができるでしょう。 

  収載時代  完成年  記述形式  文体の特徴 
古事記 

神代〜推古天皇

(〜628)

和銅5年 

(712年) 

人物ごと  書き崩した文体 
日本書紀 

神代〜持統天皇 

(〜697) 

養老4年 

(720年) 

年代ごと 

中国に倣った 漢文体 

問2

下線部(イ)の特徴を説明した文として、最も適切なものを次から一つ選び番号で答えなさい。 

1、石を磨いて作った磨製石器や、動物の骨や角で作った骨角器が使われた。
2、牛馬を利用した耕作が行われ、草や木を灰にしたものが肥料とされた。
3、日本列島は大陸と地続きで、ナウマン象やマンモスが渡ってきた。
4、当時の生活の様子が描かれた銅鐸が作られ、祭りに使われた。

【解答】1

それぞれ他の選択肢の時代を説明していきます。 

2、牛馬を利用した耕作が行われ、草や木を灰にしたものが肥料とされた。
⇨牛馬の利用、草木や糞などを肥料にしはじめたのは鎌倉時代からです。農業の生産力があがったことから同じ土地で、一年に2回、違う作物を作る二毛作が始まりました。

3、日本列島は大陸と地続きで、ナウマン象やマンモスが渡ってきた。
⇨ナウマン象やマンモスが生息していたのは氷河期です。ナウマン象やマンモスの分布から日本列島は大陸と陸続きであったと考えられる根拠にもなりました。

4、当時の生活の様子が描かれた銅鐸が作られ、祭りに使われた。
⇨銅鐸が出現したのは弥生時代です。主に銅鐸や銅矛は戰ではなく祭事に使われました

問3

下線部(エ)に関連して、江戸時代の学問について説明した次の文のうち、あやまっているものを一つ選び番号で答えなさい。

1、外国の影響を受けていない日本古来の考え方を明らかにしようとする国学が発展した。
2、鎖国体制をとっていたため、西洋の学問は採り入れられなかった。
3、諸藩は家臣を育成する藩校を創設したり、庶民は寺子屋で読み書きを習ったりした。
4、身分の区別を説く儒学が重視され、そのうちの朱子学が正学とされた。

解答】2 

鎖国体制ではあってもオランダと中国との貿易は続けていました。江戸時代中頃から後期にかけて蘭学が発達しました。代表的なのが杉田玄白、前野良沢らによる『解体新書』の翻訳です。

[杉田玄白]

問4

下線部(オ)について、天台宗と同じころに日本にもたらされた宗派として真言宗がありますが、その教えの内容を説明した文として、正しいものを次から一つ選び記号で答えなさい。

1、阿弥陀仏にすがることにより極楽浄土に往生することができる。
2、座禅に集中することにより悟りに至る。
3、三密の修行をすることにより仏と一体化することができる。
4、南無妙法蓮華経と唱えることにより救われる。

【解答】3 

仏教は大陸から古墳時代に伝来してきました。有名な宗派として平安時代に空海によって開かれた真言宗と最澄によって開かれた天台宗があります。更に鎌倉仏教として民間に広まった様々な宗派があります。鎌倉仏教について、誰がどこではじめてどのような内容なのか表にまとめました。 

宗派 

開祖 

中心寺院 

内容 

浄土宗 

法然 

知恩院 

(京都) 

南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば往生できる 

浄土真宗 

親鸞 

本願寺 

(京都) 

南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば往生できる、悪人正機説(罪深い悪人こそが阿弥陀仏が救済しようとする対象) 

臨済宗 

栄西 

建仁寺 

(京都) 

座禅することによって人間に内在する仏性を自覚し、悟りに達する(自力) 

曹洞宗 

道元 

永平寺 

(福井) 

ひたすらに座禅に打ち込むことで悟りを開く(只管打坐) 

日蓮宗 

日蓮 

久遠寺 

(山梨) 

南無妙法蓮華経という題目を一心に唱えれば仏になれる。 

時宗 

一遍 

清浄光寺 

(神奈川) 

各地を回り札を配り、踊念仏をした 

以上のことをふまえそれぞれの選択肢がどの宗派の説明なのかみていきましょう。 

1、阿弥陀仏にすがることにより極楽浄土に往生することができる。
⇨法然が唱えた南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば往生できるという浄土宗を更に発展させた浄土真宗では南無阿弥陀仏と唱え、阿弥陀仏の救いを求めることを説いた。よって1の説明は浄土真宗になります。

2、座禅に集中することにより悟りに至る。
座禅に打ち込むことを唱えたのは道元の曹洞宗です。

4、南無妙法蓮華経と唱えることにより救われる。
南無妙法蓮華経と唱えるのは日蓮宗です。

問5

下線部(カ)に関連して、天皇の正統性を示す宝物と、戦後の高度経済成長期に人々の豊かさを象徴した家電製品は、同じ用語で総称されましたが、それを何といいますか、答えなさい。 

【解答】三種の神器 

天皇家に代々受け継がれてきた三種の神器は八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉です。

戦後の高度経済成長期に総称された三種の神器は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫でした。庶民の憧れを体現した三種の神器ですが、呼ばれた当時の普及率は低いものでした。

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