『宇津保物語』は、円融朝(969~984)から一条朝(986~1011)初期の10世期末前後に成立したとされる日本最古の長編物語です。『宇津保物語』以前に成立した物語、『竹取物語』は中編小説にあたります。『竹取物語』以後に歌物語である『伊勢物語』『大和物語』が成立し、『宇津保物語』以後に『源氏物語』が成立しています。『宇津保物語』の特徴としては、「『竹取物語』の伝奇的な要素を継承しつつ、『源氏物語』に繋がる写実的な要素も見受けられること」が挙げられています。作者は源順[i]と考えられていますが、未詳です。源順は鎌倉時代に存した人物であるため、成立時期を考えると疑問に思うかもしれませんが、古典文学は元となる形が出来上がった後人の手によって集約されたり、伝本として伝わっていく中で様々な要素が付け加えられたりして、最終的に現在の形として残っていることが往々にしてあります。『宇津保物語』についても「俊蔭」、「藤原の君」、「嵯峨院」の3巻が先に述べた成立時期ごろに『宇津保物語』の原型として出来上がっていたのではないかと考えられることが多いです。
次に具体的な内容についてみていきたいと思います。
『宇津保物語』は全20巻からなり、2編6部構成になっています。『宇津保物語』の“うつほ”とは巻1「俊蔭」の中で俊蔭の娘とその子仲忠が俊蔭の死後零落し、山にある杉の木の洞(うつほ)に住んだことが由来です。母子が住んでいたのは現在の京都市の北山近辺だとされています。
『宇津保物語』のあらすじは以下のようなものになっています。
清原俊蔭は王族出の秀才で若年にして遣唐使一行に加わり、渡唐の途上、波斯(はし)国に漂着、阿修羅に出会い秘曲と霊琴を授けられて帰国し、それを娘に伝授する。俊蔭の死後、家は零落。娘は藤原兼雅との間に設けた仲忠を伴って山中に入り、大樹の洞で雨露をしのぎ、仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぐ。やがて兼雅と再会し、京へ戻る。そのころ、左大臣源正頼の美しい娘あて宮は都人の憧れの的となり、仲忠のほか多くの人が求婚するが、結局東宮妃に迎えられる。(第1部〈俊蔭〉~〈沖つ白浪(田鶴の村鳥)〉)
東宮が即位すると、藤壺女御となったあて宮腹の皇子と兼雅女の梨壺女御腹の皇子との間に激しい立太子争いが起こるが、帝の意向によって藤壺の勝利に終わる。しかし、この間の藤壺の心労は並々ではなかった。(第2部〈国譲〉)
仲忠は祖父俊蔭の旧邸跡に新築した豪邸の楼上に籠って娘の犬宮に琴を伝授し、母の俊蔭女もそれに加わる。八月十五夜には嵯峨・朱雀の両院も行幸し、3人の霊琴合奏ににわかに霰が降り星が騒ぎ天地も揺れとどろいた。両院もいたく嘉賞された。(第3部〈楼の上〉)
(『改訂新版・世界大百科事典』より参照)
前半は古典的な求婚譚を主軸とした話が展開され、次に政争へと展開していきます。そして全体を通して“秘琴伝授”というテーマが語られています。あまり馴染みのない言葉かもしれませんが、平安時代の王朝文学において「楽器」は非常に重要な役割を担っています。和歌の才とともに楽器の才があることが風流とされ、親から子へ伝えていくことが多く、名の知れた楽器の名家もいました。男性は主に笛、琵琶[ii]、琴[iii]が多く、女性は箏[iv]を演奏することが主流でした。『宇津保物語』に影響を受け、楽器の伝授を描いた有名な作品に『源氏物語』があります。
それぞれの巻の具体的な内容は以下の通りです。
- 前編
- 第1部
俊蔭、藤原の君、嵯峨院 3巻
内容:秘琴伝授、あて宮の求婚譚、継子出家物語 - 第2部
嵯峨院、梅の花笠、吹上(上下)、祭の使、菊の宴、あて宮 7巻
内容:あて宮求婚譚、凉・仲忠による秘琴物語 - 第3部
初秋、田鶴の村鳥 2巻
内容:俊蔭女の秘琴弾奏、あて宮入内とその後
- 第1部
- 後編
- 第1部
蔵開(上中下) 3巻
内容:仲忠一家の繁栄 - 第2部
国譲(上中下) 3巻
内容:東宮妃となったあて宮所生の皇子と梨壺女御腹の皇子との立太子をめぐる政争 - 第3部
楼の上(上下)
内容:琴の一族の繁栄
- 第1部
物語全体において描かれる“秘琴伝授”について、更に詳しく見ていきます。
巻1「俊蔭」の冒頭、主人公仲忠の祖父である俊蔭は幼い頃から「いとあやしき子なり。生ひ出でむやうを見む」[v](訳:とても普通ではない子だ、成長していく様を見ていこう)と両親だけでなく、周りからその才能の高さを買われていました。そんな俊蔭は16歳の頃、遣唐使の一員として渡唐するも暴風によって波斯国(イランあたり)の渚に流れ着き、そこで仙人から俊蔭は琴の演奏を伝授されます。このように、やや伝奇的な物語から始まる琴の伝授は俊蔭からその娘(俊蔭女)に伝えられ、その後は主人公である仲忠に伝授されていきます。仲忠への伝授は、零落し山に住んでいた頃に母から子へと伝えられます。 “秘琴伝授”という字の通り、当時楽器伝授は一対一という秘められた環境で行われ、伝授自体にとても重要な意味がありました。仲忠は女一の宮と結婚すると娘である犬宮に伝授し、嵯峨院と朱雀院の御前で秘琴を披露し大団円を迎えて物語が終わります。
先に述べたように、冒頭で俊蔭が異郷に流れ着く描写は『竹取物語』に通じるところもあり、平安時代前期の特徴とも言えます。『竹取物語』においても貴公子の一人である車持皇子が玉の枝を探すために蓬莱山を目指す話(実際には行っていない)が描かれています。そのような伝奇的な性質もありながら、非常に写実的な求婚譚とその後の皇子をめぐる政争も描かれています。このような点が『宇津保物語』の特徴であり、この栄華が『竹取物語』と『源氏物語』の過渡期にあたると言われる由縁でもあります。しかし、全体を通して統一性のない物語になっている点も否めないと言えます。
最後に、『宇津保物語』について簡単な問題を出したいと思います。
(わからなかった問題はしっかりと復習しよう!)
- 『宇津保物語』の“うつほ”の由来は何ですか。
- 『宇津保物語』の前に成立した作品を一つ答えなさい。
- 『宇津保物語』で伝授されている楽器は何ですか。
- 仲忠は誰によって楽器伝授されましたか。
- 仲忠は誰に楽器伝授しましたか。
→次回は落窪物語について解説します!
(註)
- [i] (911~983) 平安中期の学者・歌人。嵯峨源氏。三十六歌仙の一人。梨壺の五人の一人として万葉集の訓釈(古点)ならびに「後撰和歌集」の撰進に参加。漢詩文は「扶桑集」「本朝文粋」などに散見。著「倭名類聚鈔」、家集「源順集」三省堂『大辞林 第三版』
- [ii] 東洋の撥弦はつげん楽器。木製で、水滴形の平たい胴に柄がついており、普通四弦であるが五弦のものもある。ペルシャに起こり、インド・中国を経て、奈良時代に日本に渡来。日本では多く撥ばちを用いる。全長60~106センチメートル。雅楽に用いる楽琵琶、平曲の伴奏の平家琵琶をはじめ、盲僧琵琶(荒神琵琶)・筑前琵琶・薩摩琵琶などの種類がある。四つの緒。びわのこと。三省堂『大辞林 第三版』
- [iii] 中国の弦楽器。琴柱ことじをたてず、七本の弦を張り、一三個の徽き(勘所かんどころ)を目印とし左手で弦を押さえ、右手で弾く。日本には奈良時代に伝来したといわれるが、平安末期には絶え、江戸時代、明の帰化僧心越により再興されたが、現在は衰微。きんのこと。七弦琴。三省堂『大辞林 第三版』
- [iv] 日本・中国のチター属の撥弦はつげん楽器。木製(通常は桐きり)の長い胴の表面に一三弦(中国の現行の箏では二十余弦)を張り、柱じで各弦を調律し、右手指にはめた義爪つめで弾奏する。日本には七世紀に中国から伝来し、本来の雅楽用(楽箏がくそう)のほかに筑紫箏つくしごと、俗箏ぞくそうなど箏曲用の各種が生じた。伝来当初は琴きんと区別して「さう(箏)のこと」と呼んだが、後に単に「こと」と呼ぶに至って用字混同を生じ、「琴」字も代用される。三省堂『大辞林 第三版』
- [v] 『新編 日本古典文学全集』より参照
おすすめ記事
参考文献
- 『新国語要覧』大修館書店
- 『改訂新版・世界大百科事典』平凡社
- 『三省堂 大辞林 第三版』
- 『新編 日本古典文学全集 うつほ物語』小学館
- 『日本大百科全書』
- 京都新聞 文遊回廊 第14回 うつほ物語 俊蔭