アテネ民主政への歩み[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

受験生のみなさんの中には一問一答や用語集を使って勉強をしている人も多いと思います。確かに一問一答は点数に直結しやすく、受験生必須のアイテムではあります。しかし、中にはただ単語を繰り返し覚えるだけで苦痛に感じる人や、覚えてもすぐに忘れてしまうという人もいるのではないでしょうか?

そんな人こそ、もう一度“流れ”を理解しなおすことが必要なのです!

ここでは、点と点が線となるように、基礎的なことからやや踏み込んだことまで、「なぜそうなったのか?」が分かりやすいようにまとめました。

最後の練習問題で満点を取れるように頑張りましょう!!

 

アテネ民主政への歩み

アテネ民主政

アテネ民主政への4つの改革

ポリス成立当初は少数の富裕層である貴族が統治する貴族政ポリスが一般的であったが、徐々に貴族と平民の対立がおこるようになり、各ポリスで民主政への歩みが出始めた。その中でも最も典型的な形で民主化を遂げたのがアテネであった。

<4段階の政治改革>

  • 紀元前7世紀:ドラコンの立法制定 慣習法の成文化→貴族中心社会からの脱却へ
  • 紀元前6世紀初頭:ソロンによる財政改革
    • 財産政治  血統ではなく財産の大小によって市民の参政権を定める。
    • 負債の帳消し債務奴隷の禁止を行う。
  • 紀元前6世紀半ば:ペイシストラトスの僭主政治  貴族から政権を奪い、非合法的に独裁体制を敷き、中小農民層の力を充実させる。
  • 紀元前508年:クレイステネスの改革
    • 4部族制(血縁に基づく)から10部族制(地区(デーモス)に基づく)への改変
    • 僭主の出現を防止する陶片追放(オストラキスモス)の制度を作る。※陶片追放とは:  危険だと思われる人物の名前を陶片(オストラコン)に書いて投票し、投票数が6000票を超えた場合はその人が追放されるという制度。紀元前5世紀末に廃止された。

☆補足:民主政移行の背景

各地のポリスで、少数の貴族が統治する貴族政から民主政へと体制を変えだしたのは、平民が以前より力を持つようになったからです。

では、なぜ平民が台頭するようになったのでしょうか。

その背景には、交易活動の活発化古代ギリシアの軍隊事情が関係しています。ポリスの身分階級は、大きく分けると自由人である市民と、市民に隷属する奴隷に分かれていました。さらに、市民の中でも富裕層は貴族、そうでない人々は平民とされていましたが、ポリス成立当初、国防戦士の中心は貴族でした。それは、ポリスの戦士は武具を自分で買わなくてはいけなかったからです。そうした成り行きで、高価な武具と騎馬を自力で用意することができる富裕層が国の中心となっていったのです。

しかし、植民市の拡大とともにポリス間の交易が盛んになると、農作物を売って儲ける農民が現れ、金属の輸入により武器の値段も安くなり、平民も武具を買うことができるようになったのです。そうして生まれたのが平民による密集隊形の部隊、重装歩兵部隊です。こうして、国防の中心が騎馬で戦う貴族から盾と槍で隊を為して戦う平民へと移っていき、その平民たちが参政権を求めるようになったのです。

 〔ギリシア人(イメージ)〕

ペルシア戦争

当時オリエント地方で大帝国を築いていたアケメネス朝の支配に対して、イオニア地方の植民市ミレトスを中心にギリシア植民市が反乱を起こしたことがきっかけとなり、紀元前500年、反乱を援助したアテネにアケメネス朝が侵入してペルシア戦争が始まった。アケメネス朝の一度目の侵入は暴風雨により失敗に終わり、その後三度にわたる侵入でもギリシア軍に完敗して終わる。

この戦争は、ヘロドトスの主著『歴史』において主題として扱われたことでも知られている。

紀元前490年

マラトンの戦い

 … アテネ軍勝利

紀元前480年

テルモピレーの戦い

 … クセルクセス1世率いるペルシア軍がスパルタを破る。

サラミスの海戦 

 … テミストクレス率いる海軍(三段櫂船)の活躍によりアテネ軍の勝利。

紀元前479年

プラタイアの戦い

 … ギリシア軍の勝利

紀元前477年

デロス同盟結成

 … アテネが中心となり、エーゲ海沿岸のポリスがペルシアの再侵攻に備えて結んだ同盟。

紀元前443年 アテネ民主政の完成

 

〔ペルシア戦争時の地図〕

アテネ民主政の完成

ペルシア戦争でアケメネス朝に対して完全勝利を収めたアテネでは紀元前5世紀半ばに、将軍ペリクレスによって民主政が完成された。この背景には、無産市民を漕ぎ手とした三段櫂船という戦法により、アテネの海軍の力が他の同盟国を抑えるほどに強大であったこと、また、それにより国内での無産市民の発言力が高まったことが挙げられる。

<アテネ民主政の特徴>

  • 市民の政治的平等

ペリクレスの時代には18歳以上の全男性市民に参政権が与えられ、その全体集会として民会が開かれた。9人の執政官(アルコン)や、民衆裁判所の陪審員、五百人評議会の構成員などは民会によって一般市民から抽選で選ばれ、軍事の最高職である将軍も民会の選挙によって選出された。

  • 直接民主政

ギリシア民主政では直接民主政がとられた。一方で、奴隷、女性、在留外国人には参政権が与えられていなかった。

コラム:アリストテレスとポリス

アリストテレスは紀元前4世紀~紀元前3世紀にかけて活躍した古代ギリシアの哲学者で、その自然科学分野における幅広い功績により「万学の祖」とも呼ばれています。彼は著書『政治学』の中で共同体における様々な政治制度について考察しましたが、彼の言葉の中で最も有名なのが、「人間はポリス的動物である」というものです。

<「人間はポリス的動物である」とはどういうことか?>

古来、人々は「自分たちがどうあるべきか」という共通の課題を抱いて一つの共同体を築いてきました。古代ギリシアではポリスとよばれる都市国家が形成されましたが、アリストテレスはポリスについて、そのあるべき姿は「最高善」であると定義しました。

——では、なぜ人間がポリス的であると言えるのか。

〔アリストテレス〕

それは、人間が「善く生きる」ことを最終的な目的としているという点でポリスの性質と共通しているからです。アリストテレスによれば、人間の生は「ただ生きる」と「善く生きる」の二種類に分けられ、前者は生存を目的とした、食べる・飲むといった行為を、後者は幸福追求のための、より高次で有徳な行為を指します。そして、「善く生きる」ことにおいて重要なのが「理性を持つ」ことです。「理性を持つ」ことは、“人間の最も完成された状態”すなわち、善と悪、正義と不正、その他の倫理的価値について認識を持つことを指します。このように、理性を持ち、善く生きることを目的とした人間が、「善」を最終目的とするポリスを築くのは当然の帰結であり、アリストテレスはこの関係性を「人間はポリス的動物である」と表現したのです。

<アリストテレスと先天的奴隷人説>

アリストテレスは先天的奴隷人説を唱え、ポリスの奴隷制を擁護したことでも知られています。先天的奴隷人説とは、「自由人であるか奴隷であるかは生まれながらにして決まっている」という考え方です。アリストテレスにとって両者の違いは「理性的か、非理性的か」でした。理性を持つ人間は政治や芸術、学問といった有徳な活動に時間を費やし、より善い生を目指します。

しかし、理性を持つものがより高次な生を全うするには、その基盤となる生存のための労働(農業や商工業、家事等)が欠かせません。そこで、非理性的で「ただ生きる」だけの人間が、理性的な人間の支配を受けることは最高善を目的とする共同体にとって自然なことである、と彼は考えたのです。この思想を基に、アリストテレスはポリス市民としての条件を「倫理的価値を認識し、これを実践する理性をもつこと」と定義し、市民と奴隷の支配・被支配の関係を正当化しました。

この先天的奴隷人説はのちに、16世紀のヨーロッパ人によるインディオ支配の正当化の論拠とされるなど、大航海時代以降のヨーロッパ中心主義的論争にも影響を与えました。

→続きはこちら アレクサンドロス大王の東方遠征と東西融合政策

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参考文献

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 岩田靖夫『アリストテレスの政治思想』、岩波書店、2010年
  • いらすとや
    • 最終閲覧日2020/2/18

 

 

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。