淑徳与野中学校社会2021年度過去問解説【中学受験】〜情報伝達の歴史〜

今回は2021年度の淑徳与野中学校の社会の過去問を一部修正して社会の問題の解き方、歴史問題の解き方、情報伝達の歴史について説明していきたいと思います。 

問題

次の文章を読み、以下の問に答えなさい。 

歴史の中で、情報の伝達は非常に大きな役割を果たしてきました。情報をいち早く、正確に伝えられれば、コミュニケーションを円滑にすることはもちろん、政治戦略・経済戦略においても有利にはたらくからです。

はじめの頃は狼煙や太鼓の音などの合図を使っていましたが、文字が誕生すると、人は手紙を用いて情報をやり取りするようになりました。(1)日本の歴史における手紙のやり取りは、中国の歴史書の中にその記録を見ることができます。手紙は、海を越えてコミュニケーションをとる上での、重要な手段でした。日明貿易を開始した(2)室町幕府3代将軍足利義満と、明の皇帝との手紙のやり取りも、当時の様子を読み取る資料として有名です。

もちろん国内でも、古来より多くの手紙のやり取りが行われてきました。過去の人物が残した手紙は、今もなお、私たちに新たな発見をもたらしてくれます。2019年には、16世紀末に書かれたとされる書状が発見されました。そこには(3)伏見城がつくられた時の○○○○の人となりが描かれていました。今後も、手紙が見つかることによって、私たちは新たな歴史的発見を目撃できるかもしれません。

江戸時代末期の開国による西洋技術の流入、文明開化を経て、人々の情報伝達も大きく発展します。手紙のやり取りでは郵便制度が整えられたほか、遠隔地との情報の交換は、だんだんと時差のないものへと変化していきました。電気を使った伝達方法です。日本でも、1870年、東京・横浜間で電信が始まりました。海底にもケーブルが敷かれ、国際的な電信も可能になりました。さらに、19世紀末には電波を用いた無線電信も発明され、日本でも広く利用されました。特に、(4)日露戦争では、戦艦に無線機が搭載され、作戦遂行のため、戦略上重要な役割を果たしました。

(5)同時期に発明されたのが、電話です。電信・電話の発明は、コミュニケーションに画期的な進歩をもたらしました。

20世紀末には、人々の繋がり方に新たな革命が起きました。インターネットの登場です。今までの遠隔地とのコミュニケーションは一対一が主流でしたが、インターネットは、複数の人との繋がりリアルタイムでのやり取りを円滑にしました。情報発信技術は日々進歩し、今では文字や音声だけでなく、写真や映像も、一瞬で世界中に発信することができるようになりました。目まぐるしく変わるこの情報伝達手段を正しく理解し、上手に活用することで、私たちの生活はより便利で、多様なものになっていくでしょう。

問1

下線部(1)について、7世紀初めには、聖徳太子(厩戸皇子)も、小野妹子に手紙を持たせ、中国に派遣しました。この時の中国の王朝は何ですか。漢字1文字で答えなさい。

  • 【解答】

小野妹子に渡り、初の遣隋使となりました。隋は581年、北周の宰相、楊堅が建国した中国の王朝です。619年、唐の李淵に滅ぼされました。 

問2

下線部(2)について、足利義満は様々な政策を行い、幕府の権威を確立させました。足利義満について説明した文章として適当でないものを1つ選び、ア〜エの記号で答えなさい。

  • ア、京都室町に、幕府の名称の由来となった花の御所を営みました。
  • イ、将軍を辞したのち、平清盛以来の武家出身の太政大臣となりました。
  • ウ、東山山荘を営み、禅宗の影響を強く受けた文化を展開しました。
  • エ、明に使節を送り、皇帝から「日本国王」の称号を与えられました。
  • 【解答】ウ
    選択肢ウの違っている点について説明します。
    • ウ、東山山荘を営み、禅宗の影響を強く受けた文化を展開しました。
      足利義満は京都の北山に山荘を持っていたため、東山山荘ではありません。また、足利義満の時代は伝統的公家文化と武家文化の融合し、日明貿易により中国の文化も入っていました。東山の別荘に住み、禅宗の影響を受けた文化が展開されたのは8代将軍足利義政の時代です。

      他の選択肢についても解説していきます。

      • イ、将軍を辞したのち、平清盛以来の武家出身の太政大臣となりました。⇨太政大臣律令制における太政官の最高の官であり、律令が定められて以降貴族中心の社会であった奈良・平安時代において公家が太政大臣の役職についていました。武士として初めて太政大臣の役職に就いたのは平清盛です。その後、武士として太政大臣の職に就いたのは徳川家康徳川秀忠(江戸時代)です。
      • エ、明に使節を送り、皇帝から「日本国王」の称号を与えられました。
        との貿易は倭寇による略奪や密貿易を抑えるため、国家主体の勘合符を用いた勘合貿易が行われていました。

問3

下線部(3)について、伏見城は、○○○○が晩年を過ごし、桃山文化の名称の由来になった城です。○○○○にあてはまる人物はだれですか。漢字4字で答えなさい。 

  • 【解答】豊臣秀吉

朝鮮出兵開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとして建築を始めたのが伏見城(または伏見桃山城)です。 

問4

下線部(4)について、日露戦争を説明した文章として適当なものを1つ選び、ア〜エの記号で答えなさい。 

  • ア、この戦争は、盧溝橋事件をきっかけに始まりました。戦争は長引き、日本では戦争遂行のための国民精神総動員運動が行われました。
  • イ、この戦争は、サラエボ事件をきっかけに始まりました。日本は二十一カ条の要求をつきつけるなど、中国に対しての進出を強めました。
  • ウ、この戦争で、日本は旅順・大連の支配権などを獲得し、樺太の南半分を割譲されました。
  • エ、この戦争で、日本は遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得しましたが、のち三国干渉を受け、遼東半島は返還しました。
  • 【解答】ウ
    それぞれ他の選択肢が何の説明なのか解説していきます。
    • ア、この戦争は、盧溝橋事件をきっかけに始まりました。戦争は長引き、日本では戦争遂行のための国民精神総動員運動が行われました。⇨日中戦争の内容です。
    • イ、この戦争は、サラエボ事件をきっかけに始まりました。日本は二十一カ条の要求をつきつけるなど、中国に対しての進出を強めました。⇨第二次世界大戦の内容です。
    • エ、この戦争で、日本は遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得しましたが、のち三国干渉を受け、遼東半島は返還しました。⇨日清戦争の内容です。 

問5

下線部(5)について、冷戦期に発生したキューバ危機をきっかけに、1963年、アメリカとソ連の両首脳をつなぐ直通回線(ホットライン)が設置されました。これは、敵対国同士の首脳のつながりが強まり、平和への意識が高まった出来事として話題となりました。この時のアメリカ大統領は誰ですか。次の文章を参考にして、答えなさい。 

この人物は、歴代2位の若さで大統領に就任しました。人種差別の撤廃をめざし、多くの国民からの支持を集めましたが、在籍中に暗殺されました。その名前は、現在、ニューヨークの空港の名称にも使われています。

  • 【解答】(ジョン・F・)ケネディ

在任中に暗殺されたアメリカ大統領は4人。最初に暗殺された大統領はエイブラハム・リンカーン(1865年)、1881年にジェームズ・ガーフィールド、1901年にウィリアム・マッキンリー。そして、1963年11月22日にダラス市内をパレード中に銃撃され、死亡したジョン・F・ケネディです。 

[註]

アイキャッチ画像 日本郵政

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