中学受験・社会 押さえておきたい戦後の国際関係

中学受験の社会、歴史の学習をするうえで、「戦争の時代」についての理解がとても重要です。特に、近代から現代にかけての国際戦争については、戦争が始まるきっかけ、戦争中のできごと、そして戦争が終わった後の国際関係(戦後処理、と呼ばれることが多いです)を一連の流れとしてしっかり理解しておくことが必要です。

特に、第二次世界大戦については関係した国が多く、戦後処理の中で結ばれた条約もたくさんあります。一つひとつについての知識ももちろん大切ですが、バラバラに覚えていると、前後関係について混乱が生じます。模試や入試問題は、その混乱しやすい部分を狙って出題されることが多いです。特に並べ替え問題などでよく出題され、受験生が苦手とするところですので、しっかり整理して正確に関係性を理解しておきましょう。

先日、終戦記念日がありましたが、今回は第二次世界大戦に関わる重要な知識を整理します。日本がどのように独立を回復し、国際社会に復帰していったかしっかり理解しておきましょう。

国際社会復帰のポイントとなる条約・宣言など

日本が国際的に復帰する大きなきっかけになったのは、1951年のサンフランシスコ平和条約の締結です。これを機に日本は独立を回復し、国際社会に復帰することになります。まずは、この条約を中心として、日本が国際社会に復帰するポイントとなった条約や宣言についてまとめておきましょう。重要なのは、これらの条約や宣言がいつ、どのように締結されたかという「流れ」です。年号とセットで覚えておきましょう。

ポイント①サンフランシスコ平和条約(講和条約)

1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約により、占領下にあった日本は独立を回復します。このときの日本の全権大使(代表)は、吉田茂(現在の麻生財務大臣の祖父にあたる人です)です。この条約は、48カ国と締結されました。

戦勝国の一つ、中国は講和会議には招かれませんでした。中華人民共和国を招くか、中華民国(台湾)を招くかで、アメリカとソ連、イギリスがもめたため、結局どちらも招かないことにしたのです。

また、ソ連・チェコスロバキア・ポーランドは講和会議に参加したものの、調印はしませんでした。インド・ビルマ(今のミャンマー)・ユーゴスラビアは招かれましたが、講和会議には参加しませんでした。署名もしていません。これらの国々と日本は、個別に平和条約を結んでいくことになるのです。

ポイント②日米安全保障条約

サンフランシスコ平和条約と同じ1951年、日米安全保障条約が締結されました。アメリカ軍が日本に駐留する法的な根拠となっている重要な条約です。「安保」として、最近も反対運動が起こったりしていますから、時事問題などでも出題される可能性があるので、年号、条約の名前、内容、なぜ締結されたのかという背景事情がだいたいどんなものか、理解しておきましょう。

平和条約によって日本が独立すると、それまで占領していたアメリカ軍は日本に駐留できないことになります。しかしそうなると、日本側としては防衛面で不安が残り、アメリカ側からすれば、冷戦(アメリカを代表と資本主義勢力とソ連を代表とする社会主義勢力の対立)の最中でしたから、ソ連や中国対策として、日本に軍隊を駐留させたかったのです。このような双方の思惑があったため、日米安全保障条約は結ばれた、というわけです。「なぜ」このような条約を結んだのか、その事情を理解するのは少し難しいかもしれませんが、基本的に、条約というものはそれぞれの国に思惑があって結ばれるもの、という仕組みを理解しておけば良いでしょう。

ポイント③日ソ共同宣言

ソ連との関係では、1956年の日ソ共同宣言によって国交が回復されました。ここで注意しなければならないのは、これは「宣言」であって、「平和条約」ではないということです。なぜかというと、北方領土(択捉島、国後島、歯舞諸島、色丹島)問題が解決されていないからです。この点は、北方領土問題に関連する問題で問われる可能性がありますので、日本とソ連の間には領土問題が存在するため、平和条約という形にならなかったということを押さえておきましょう。

ポイント④国際連合に加盟

日ソ共同宣言と同じ1956年に、日本は国際連合に加盟しました。加盟を申請し始めたのは1952年で、それ以来申請を続けていたのですが、ソ連など社会主義諸国の反対によってなかなか実現しなかったのです。しかし、ポイント③の日ソ共同宣言によって、全会一致の承認を得られるようになり、日本の国際連合加盟が実現したのです。ここでも、冷戦の影響があったことを覚えておきましょう。

ポイント①~④の4つのできごとは、戦後史においてとても重要なできごとです。①~④の「流れ」を理解するのがポイントです。この流れに沿って日本は本格的に国際社会に復帰します。この4つはセットにして、年号とともにしっかり整理して覚えておきましょう。

その他の国際条約・宣言など

日米安全保障条約の改定

1960年、日米安全保障条約(先ほど出てきたポイント②です)が改定されました。それまでの安保条約は、アメリカにとって都合の良い不平等な条約でした。たとえば、日本はアメリカに基地の場所を提供しますが、アメリカには日本を防衛する義務がなかったのです。また、日本国内の問題にアメリカが干渉できることになっていました。

このような不平等さを解消して、日本とアメリカを対等の関係にしようとしたのが、この年の安保条約改定でした。この改定には反対する声も多く、数万人規模のデモ隊が国会を取り囲む事件にまで発展しました。不平等を解消するための改定なのに、なぜ反対が多かったのでしょう。

理由の一つとして、日本とアメリカの相互防衛義務が追加された、ということが挙げられます。1950年から始まる朝鮮戦争など、当時は東西冷戦による衝突が世界中で頻発していました(代理戦争とよばれることもあります)。そのため、日本国民の中には日本がアメリカが世界で行う戦争に巻き込まれるのではないかと考え、反対する人が多くいたのです。

日韓基本条約

韓国との関係では、日本が日韓併合を行ったりした経緯もあり、なかなか進展がありませんでしたが、1965年に、韓国併合など、過去の日韓のさまざまな条約の失効を確認するとともに、日本は韓国を朝鮮半島唯一の政権と認め、国交を樹立しました。ここにも、東西冷戦が色濃く関係していることを理解しておきましょう。

小笠原諸島、沖縄が日本に復帰

1968年に小笠原諸島が、1972年に沖縄が日本の領土として復帰を果たしました。特に重要なのは沖縄の復帰です。サンフランシスコ平和条約では、沖縄はアメリカの政権下に置かれ、占領状態が続いていたのです。アメリカは、琉球政府を置き、自治を認めていましたが、何かを最終的に決めるためには、アメリカの意思決定を待たなければなりませんでした。たとえば、復帰前は、自動車はアメリカに合わせて右側通行でしたし、本州に渡航するときにはパスポートが必要だったのです。

沖縄に関する史料問題が入試で出題されることはよくあるのですが、以前、自動車が道路の右側を走っている写真が史料として出されたこともあります。返還後の現在も、アメリカ軍基地が沖縄に数多く存在することや、アメリカ兵による事件が後を絶たないなど、課題はさまざま残されています。ニュースなどで、沖縄で起こった事件などにアンテナを貼っておきましょう。

日中国交正常化、日中平和友好条約

中国との関係も重要です。1972年に、日中の国交が正常化しました。当時の田中角栄首相が中国を訪問し、毛沢東や周恩来らと会談し、日中共同声明を発表しました。その内容は、日中の国交正常化を宣言し、中華人民共和国を「中国」として認めるものです。

その後、日中国交正常化記念行事の一環として、中国からパンダが送られました。いわゆる「パンダ外交」と呼ばれます。パンダは、日中友好のシンボルの一つなのです。

また、1978年には日中平和友好条約が結ばれました。その名の通り、日本と中国の平和友好関係を強固なものとし、さらに発展させることを目的としています。

まとめ~暗記しにくい条約たち

国際連合加盟に至るまでの流れは確実に押さえておきたいところです。これは、入試でも必須の知識ですので、早めに定着させるよう意識して年号、背景事情とともに覚えておきましょう

その後の条約や宣言については、各国と個別に結んでいる関係もあり、どうしても知識が断片的になりがちです。ここでも、しっかり覚えるためには、背景事情やその国とのこれまでの関係などについてまず理解しておきましょう。特に韓国や中国との国交樹立については混乱しやすいところです。まず背景事情を理解し、年号と合わせてしっかり覚えましょう。

終戦記念日が過ぎましたが、戦争がなぜ起こったのか、その中で重要な事件やその年号、そして戦後の平和に向けてどのような条約や宣言があったのか、簡単でよいので自分なりの年表を作ってみると良いでしょう。年号・できごとを書き、背景の事情を簡単にまとめておくくらいで大丈夫です。表面上の知識だけでなく、できごとがなぜ起こったのかを考えながら知識を確実に押さえておくことをオススメします。

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一橋大学卒。 中学受験では、女子御三家の一角フェリス女学院に合格した実績を持ち、早稲田アカデミーにて長く教育業界に携わる。 得意科目の国語・社会はもちろん、自身の経験を活かした受験生を持つ保護者の心構えについても人気記事を連発。 現在は、高度な分析を必要とする学校別の対策記事を鋭意執筆中。