古代ギリシア世界の形成とポリスの成立[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

受験生のみなさんの中には一問一答や用語集を使って勉強をしている人も多いと思います。確かに一問一答は点数に直結しやすく、受験生必須のアイテムではあります。しかし、中にはただ単語を繰り返し覚えるだけで苦痛に感じる人や、覚えてもすぐに忘れてしまうという人もいるのではないでしょうか?

そんな人こそ、もう一度“流れ”を理解しなおすことが必要なのです!

ここでは、点と点が線となるように、基礎的なことからやや踏み込んだことまで、「なぜそうなったのか?」が分かりやすいようにまとめました。

最後の練習問題で満点を取れるように頑張りましょう!!

 

古代ギリシア世界の形成とポリスの成立

地中海世界とは?

ヨーロッパの内陸部は、果樹栽培や牧畜に適した土地である一方、地中海性気候に属し、大河や大きな平野が少ないので、交通や水運に向かないという土地でもある。そうした土地の性質により、ヨーロッパでは古くから地中海を主要な交通路とした地中海沿岸部で文明が栄えていた。古代地中海世界においては主にギリシア人と古代イタリア人がその中心となって文明を築いていたが、ギリシア人による文明の発展は紀元前3000年ごろに東地中海周辺でエーゲ文明を築いたところから始まった。

エーゲ文明

エーゲ文明はヨーロッパ初の青銅器文明であり、紀元前3000年頃に発生し、紀元前1200年頃までエーゲ海周辺で栄えた。その前半がクレタ文明、後半がミケーネ文明である。

クレタ文明

  • 時期:紀元前2000年頃~紀元前1400年頃
  • 中心:クノッソス(クレタ島)
  • 人種:不明
  • 特徴: クレタ文明は東地中海貿易で栄えた。クノッソスに代表される宮殿建築迷宮が有名。こうした宮殿は城壁を持たず、クレタ島には“明るく開放的で平和な民族”が暮らしていたと考えられている。クレタ島では、クレタ絵文字や線文字Aが使用されていたが未だ解読はされていない。アカイア人の侵入により滅亡。1900年にイギリス人エヴァンズによって発掘された。 ※ミノス文明とも呼ばれる。

ミケーネ文明

  • 時期:紀元前1600年頃~紀元前1200年頃
  • 中心:ミケーネティリンス(ギリシア本土)、トロイア(小アジア)
  • 人種:アカイア人
  • 特徴: ミケーネ文明は戦闘的で、王が専制的権力を持っていたとされている。獅子門で有名な城塞は彼らの軍事的関心の強さを示している。紀元前15世紀にクレタ島に侵入し、その勢力は小アジアのトロイアにまで及んだ。文字は線文字Aから学んで作られた線文字Bを使用していたが、これはイギリス人のヴェントリスらによって解読された。 この文明は貢納王政の行き詰まりや、「海の民」やドーリア人など外部勢力の影響などにより紀元前12世紀ごろに滅亡したが、ミケーネ文明・トロイア文明はともに19世紀にドイツ人のシュリーマンによって発掘された。 ミケーネ文明滅亡後、ギリシア世界は青銅器文明から鉄器文明へと移行した。そんな中、ギリシア世界の人々は新たな定住地を求め来往し、混乱した時代となってた。紀元前12世紀頃~紀元前8世紀頃までの資料はあまり残っておらず、この時代は暗黒時代と呼ばれる。

ポリスの成立

ポリスとは?

紀元前9世紀ごろになると、人々はクレーロスと呼ばれる私有地を持つようになり、人々の間に貧富の差及び階級差が生まれるようになる。紀元前8世紀には、貴族たちが中心となり防衛のため、いくつかの集落が連合して集住(シノイキスモス)するようになり、都市が形成された。この都市のことをポリスと呼ぶ。人々は都市に定住するようになり、400年余り続いた暗黒時代は終わりを告げた。

ポリスの住民の間には市民奴隷の階級差があり、市民の中でも貴族平民の区別があったが、多くのポリスは少数の貴族による貴族政ポリスであった。

植民活動とポリスの文化

ポリスでは人々は国家の祭祀の場であるアクロポリス(城山)を中心に都市を展開し、アゴラという公共広場で会議や交易を行って生活していた。人口が増えると、ビザンティオン、ネアポリス、マッサリア、ニカイアといった地中海沿岸部に民市を建設するようになり、交易はより活発化した。

各地に作られたポリスは統一国家となることはなく、古代ギリシア世界は小国分立状態を保ったが、文化的にはギリシア人は同一民族としての強い意識を持ち、彼らは自分たちギリシア人をヘレネス(その土地はヘラスという)、異民族をバルバロイと呼んで区別した。文化的には、共通の言語神話デルフォイのアポロン神の神託オリンピアの祭典などによりギリシア人としての同胞意識を強め、ポリス同士で宗教同盟を結ぶこともあった。

アテネとスパルタ

ギリシア人により地中海、黒海沿岸に数多くのポリスが作られたが、その中でも特に大きな勢力を持ったのがアテネスパルタである。

  • アテネ
    • 形成:集住による
    • 人種:イオニア系
    • 身分制度: 人口の3分の1が奴隷であり、彼らは家内奴隷・農業奴隷として働いたり、ラウレイオン銀山での奴隷労働に従事させられていた。また、メトイコイという在留外国人も奴隷同様、市民権が与えられていなかった。
    • 特徴: 開放的で学問や芸術面の発展が目覚ましい。アテネは、最初は貴族政をとっていたが、のちに数々の改革を経て民主政が確立した
  • スパルタ
    • 形成:征服による
    • 人種:ドーリア人
    • 身分制度: 少数のドーリア系市民が、ヘイロータイと呼ばれる非ドーリア系の被征服者を農業奴隷として扱った。また、商工業に従事するペリオイコイと呼ばれる不完全市民も、ヘイロータイ同様スパルタ市民に対し隷属する身分であった。
    • 特徴: リュクルゴスの制より鎖国体制をとり、厳しい軍国主義を敷いた。

コラム:アテネの名所

パルテノン神殿

代表的なギリシア古代建築の一つであるパルテノン神殿ですが、これが建っているのが当時のアクロポリス(城山)にあたる場所です。ドーリア式の柱とエンタシスという技法が特徴的なこの神殿は今やアテネの象徴となっていますが、元々は女神アテナ像を祀るために作られたとされています。

紀元前438年に建てられたこの神殿は17世紀に戦争の際の火薬庫として利用され、壊滅的な被害を受けましたが、19世紀の復元を経て、現在も大勢の観光客に愛されています。

〔パルテノン神殿〕

アテネ競技場(オリンピック・スタジアム)

アテネ競技場は1896年の第1回近代オリンピックがアテネで行われた際の会場ですが、この競技場は紀元前331年に作られた古代ギリシア時代のオリンピアの祭典の競技場の復元です。

古代のオリンピアは1スタディオン(約191m)を走る短距離走から始まったとされており、のちにボクシングや戦車競走なども種目に加えられました。オリンピアの祭典は宗教的に大きな意義のあるものだったので、戦争中であっても必ず戦争を中断して参加しなくてはならないというルールがありました。

この「聖なる休戦」という制度は、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことを目的とする現代のオリンピックとも通ずるように思えます。

 

→続きはこちら アテネ民主政への歩み

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参考資料

 

 

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。