政治経済をサクッと復習!「自然権」と「参政権」の成立[人権宣言・制限選挙]

今回のテーマ

今回は近代国家において重要な権利である、自然権としての人権の成立について歴史をたどりながら解説していきます。

すべての人に等しく存在することから、自然権として保障されるこの人権、どのような形で成立していったのかを理解することが大切です。

イギリスからはじまる人権思想

人権宣言の誕生の前に、まずは人権思想の始まりから見ていきます。

イギリスのマグナ=カルタ(1215)と呼ばれる成文では、これまでの絶対王政からイギリス王の権利制限をかけるという画期的なものでした。この頃からイギリスでは立憲君主制の萌芽を見ることができると言われています。

その後、権利請願(1628)権利章典(1689)で更に個人の権利が認められるようになりました。しかし、これらの権利はあくまで自然権に基づく人権ではなく、イギリス人が持つ権利をただ明らかにしただけのものでした。

これらの権利は主に法が王を縛ること、そして議会に多くの権限を認めることといった内容で、また対象も今のように全ての人民ではなく政治の舞台に立てる貴族をはじめとする上流階級向けのものです。

では、実際の自然権に基づく人権宣言はどこで誕生したのでしょうか。

3つの人権宣言

18世紀末におこった市民革命の中で、この自然権に基づく人権宣言が行われました。

アメリカの独立過程で誕生したバージニア権利章典(1776・6月)アメリカ独立宣言(1776・7月)、そしてその後起きたフランス革命でなされたフランス人権宣言(1789)で初めて人権を生来の自然権として宣言されました。

そもそも自然権とはなにか、という問にはアメリカ独立宣言が明確な答えを示しています。

われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、創造主によって一定の譲ることのできない権利を与えられ、そのなかには生命、自由および幸福追求の権利が含まれていることを信ずる」と述べられているように、人はみな生まれながらにして自然権を有していること、そしてその中身について言及しています。

創造主という言葉が出ているところは、キリスト教の文化圏であることを伺わせますがこの原理は全世界で共通のものであることは間違いありません。

また、その後制定されたフランス人権宣言では「あらゆる政治的団結の目的は、人の消滅することのない自然権を保全することである。これらの権利は自由・所有権・安全および圧政への抵抗である」(第2条)とあります。

ここで分かるように、自然権はどんな状況であっても消滅せず、人はみな等しく持つ権利だとみなされていたことがわかります。

保障された人権

この時代に保障された人権は主に以下の通りとなっています。大きな

精神の自由 言論・信教の自由を保障するもの。権力への自由な批判や宗教的な自由。
人身の自由 不当な逮捕、拘束を禁止するもの。国家権力、軍隊や警察による弾圧を防止
経済の自由 財産権(あるいは所有権)の不可侵、不当な搾取を抑制。不当な税制に対してもこの権利が対応。

これらの特徴として、すべて国家からの不当な干渉を阻止するということが挙げられます。

当時は絶対王政期であったことから国家への不信感が強く、強すぎる国家という枠組みをいかに抑制していくか、ここが大きな焦点となりました。

この「国家からの自由」を憲法などで保障しようとするこの自由権を18世紀的人権という呼び方をすることもあります。

ここで注意してほしいポイントがいくつかあります。

ここで扱った人権はあくまで「国家の有無を問わず、人であれば等しく持っている権利」です。

たとえば次の項で扱う参政権やあるいは請願権といった、国家の存在がベースにある権利はこの自然権の保障という項目にはあたりません。

自然権はあくまでも国家からの自由であり、国家に求めるタイプの自由ではないことは、くれぐれも注意しておきましょう。

国家に求める自由・参政権

参政権選挙権・被選挙権といった国民が政治に参加する権利のことを指します。

現在の日本では選挙権・被選挙権ともに公民権停止の処分を受けていない一定上の年齢の人であれば確実に持っているものですが、18世紀はまだ全ての人にこの選挙権・被選挙権がありませんでした。

当時の選挙制度は財産・性別によってそれらの権利が制限される制限選挙という形をとっていました。

具体的な例を挙げると、戦前日本では納税額と性別による選挙制限を加えていました。これは日本特有のものではなく、当時はこれが一般的な形でした。

財産と教養がある、有産階級の男子のみに参政権が与えられていたこの時代ですが、産業革命を期に貧富の格差が拡大していった中で労働者が権利を獲得しようとする動きが始まりました。

チャーティスト運動(1837~1848ごろ)といった、労働者が自らの人権を守るために普通選挙権を求める運動が起こるにつれて、1848年のフランス・スイスでの男子への普通選挙権成立後、多くの国でも男子への普通選挙権が成立していきました。

日本では1925年に普通選挙法が成立したことで男子への普通選挙権が確立しました。

しかし、女子への選挙権は多くの国で1900年代に入らないと成立することはありませんでした。日本では1945年、戦後になるまで成立しなかったように、男子に比べて女子の普通選挙権が認められるまでの時間は多くかかりました。

今回のまとめ

すべての人が持つ自然権の成立と、国に対して求めていく参政権の成立の過程について見ていきました。

次回は同じく国に求める権利である社会権の成立について解説していきます。

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参考

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慶應義塾大学の中村駿作です。 塾講師として2年間、主に国語と社会科を担当しています。特に現代文と政治経済科目には自信があるので、記事もそういった科目を中心に取り扱っていこうと思います。勉強方法が分からないという声も多い国語や、あまり重要視されないお陰で勉強し辛い倫理・政治経済といった科目の理解を深められるような解説を心がけます。また、中学受験と高校受験のどちらも経験しているため、そのときの知識や経験を元にした解説も行えたらと考えています。普段は趣味でスポーツ、とくに海外サッカーとF1を見ています。ヨーロッパやアメリカの昼間に行われているお陰で、日本で見ようとすると夜ふかししなければいけないのが身体に毒ですが、それでもやめられないです。その他、空いた時間に小説を書くことやトレーディングカードゲームをプレイすることも趣味の一つです。