遺跡とは過去の人間の活動の跡が残されていることが確認できる場所などを指します。古墳とは、弥生時代の末の3世紀後半から約400年の間に造られた土を高く盛り上げた墳丘をもつ墓のことをさします。今回は代表的な古墳について紹介していきたいと思います。
古墳の中には、遺骸がある石室を中心として、宗教的、呪術的な意味合いを持つ副葬品も多く埋葬されています。副葬品の中には、祭祀の道具や、埴輪や農具などがあります。埴輪は、大きく分けて円筒埴輪と、人物や動物をかたどった形象埴輪に分けられます。
代表的な古墳について見ていく前に、古墳の種類についてみていきましょう。
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前方後円墳
もっとも代表的な古墳です。古墳時代を通して広く造られました。円形と方形をくっつけたような形をしており、上空から見ると鍵穴のような形をしているのが特徴です。有力な豪族や天皇の墓が多いです。
帆立貝式古墳
前方後円墳に近い形をしていますが、円丘の一方についた方形が小さく、帆立貝に似た形状が特徴です。
円墳
平面形が円形の古墳。日本の古墳の中での特に数が多く、中・小規模のものが多いです。
方墳
平面形が方形の墳丘をもつ古墳。円墳と同じく日本で多い古墳の形状です。
では次に、日本の主な古墳についてみていきます。
百舌鳥古墳群
堺市の北部に位置する古墳群。かつては100基以上あったと言われていますが、現存するのは44基。多くが巨大な前方後円墳であり、4、5世紀〜6世紀半ごろに力を持っていた大王の墓として造営されたと考えられています。
大仙陵古墳(大阪府)前方後円墳
(堺市ホームページ)
仁徳天皇稜とも。仁徳天皇[i]は、『古事記[ii]』、『日本書紀[iii]』によると、第16代天皇と伝えられています。父は応神天皇[iv]。大仙陵古墳は、仁徳天皇の墓だと言われていますが、実際には誰の墳墓であるかわかっていません。長さ486メートル、幅307メートルと、日本最大の大きさを誇ります。
- 履中天皇陵古墳
- いたすけ古墳
- 御廟山古墳
- ニサンザイ古墳
- 反正天皇陵古墳
ほか
箸墓古墳(奈良県)前方後円墳
初期ヤマト政権発祥の地とされる纒向遺跡の中心的遺跡。遺跡の形状や出土品から初期の古墳であると考えられています。邪馬台国の卑弥呼[v]の墓ではないかという推測も出ていますが、誰の墳墓なのかはわかっていません。
キトラ古墳(奈良県)円墳
7世紀末~8世紀初頭頃に造られたと考えられ、石室の壁面に絵や文様が描かれている壁画古墳(装飾古墳)です。壁画には、四神、十二支、天文図、日月があります。四神は天の四方を司る神獣でそれぞれ方角に対応しており、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武となっています。
高松塚古墳(奈良県)
7世紀末~8世紀初頭の壁画古墳。キトラ古墳と同じく、四神が描かれているほか、女子群像、男子群像が描かれ、高句麗や唐の影響が伺えます。
【注】
- [i] 生没年不詳。5世紀前半の天皇。名は大鷦鷯尊 (おおささぎのみこと) ,応神天皇の皇子。『宋書』倭国伝の倭の五王の一人讃または珍に比定される。人民の苦しみを見て,租税を免除し民生安定をはかったという話が記紀に伝えられている。大阪府堺市にある世界最大の大山(大仙陵)古墳は,仁徳天皇の陵墓と伝えられる。(旺文社『日本史事典』)
- [ii] 奈良時代,現存する日本最古の歴史書。712年成立。3巻。天武天皇の命により稗田阿礼 (ひえだのあれ) が暗誦,これを元明天皇の詔により太安万侶 (おおのやすまろ) が撰録したもの。『帝紀』『旧辞』を検討し,その正説を定めるという編集の根本方針により,神代から推古天皇までを内容とし,天皇の支配による国家の建設という意図により構成されている。(旺文社『日本史事典』)
- [iii] 奈良時代の歴史書。六国史の第1番目。もと『日本紀』といい,平安初期から『日本書紀』と称した。本文30巻,付録系図1巻(現存せず)。舎人 (とねり) 親王・太安万侶 (おおのやすまろ) らが編集にあたった。編纂の始期は不明であるが,720年完成。漢文編年体で,神代から持統天皇に至る天皇中心の国家の成立の歴史を記述しているが,特に神代巻にはかなりの作為や潤色がみられる。古代史研究の重要史料。(旺文社『日本史事典』)
- [iv] 生没年不詳。仲哀 (ちゆうあい) 天皇第4皇子。母は神功 (じんぐう) 皇后。『宋書』倭国伝にみえる倭の五王の一人,讃 (さん) がこの天皇であるとする説もある。在位は400年前後で大和政権の全盛期で,巨大な陵墓は天皇(大王)権力の強大さを示している。その治世には朝鮮から楽浪・帯方遺民の阿直岐 (あちき) ・弓月君 (ゆづきのきみ) ・王仁 (わに) ・阿知使主 (あちのおみ) らが渡来し,養蚕・織物・灌漑・治水技術,漢字・学問などを伝えたといわれる。(旺文社『日本史事典』)
- [v] 生没年不詳。3世紀前半,『魏志』倭人伝に記された邪馬台国 (やまたいこく) の女王。2世紀後半,男王統治の倭国に大乱がおこり,王に立てられた卑弥呼は,この内乱をしずめ30余国を統属した。呪術的宗教の巫女で夫をもたず,男弟の補佐でシャーマニズムの神権政治を行った。239年魏に朝貢し,親魏倭王の称号をうけた。3世紀中ごろ没し,径100余歩の墓に葬られ,奴婢 (ぬひ) 100余人を殉葬したという。(旺文社『日本史事典』)