日本人なら知っておきたい文学作品!平安時代を代表する歌物語『大和物語』

大和物語』は、歌語り(宮廷や歌合の場で歌にまつわるエピソード)を173段(流布本[i]によって違いあり)にわたって集めた歌物語です。陽成[ii]~醍醐[iii]朝(876〜930年)の時期に詠まれた295首が含まれ、僧侶や貴族、賤しい(貧しい)人々など様々な詠み手が取り上げられています。作者は未詳ですが、在原滋春[iv]や花山天皇[v]が作者ではないかという推説もあります。また、『大和物語』の“大和”が何を由来とするのかも分かっていません。

『大和物語』より以前に成立したとされる『伊勢物語[vi]』は在原業平[vii]をモデルとする“昔男”という主人公がいましたが、『大和物語』は特定の一人が主人公ということはなく、様々な人の歌とエピソードが集約された形になっています成立時期は951年(天暦5年)から966年(康保3年)頃とされていますが、その頃に大筋が成立したとされ、以降『拾遺和歌集[viii]』が成立した1005年(寛弘2年)頃までに加筆が加えられ、現代に伝わる形になったと考えられています。

現在に伝わっている本を「伝本」と呼びますが、『大和物語』の伝本には大きく二つの系統があります。一つは二条家本系統といい、1261年(弘長元年)写の藤原為家[ix]筆本が最善とされています。従来広く流布している定家本(藤原定家[x]の手による写本)も二条家本とされています。もう一つの系統は六条家本といい、九州大学図書館蔵勝命本(藤原為家筆本と同時期の写とされる)、近世初期写とされる御巫本・鈴鹿本などがこの系統にあたります。しかし、勝命本と御巫本・鈴鹿本は同じ系統とされていますが、多くの異同が見られます。

次に『大和物語』の内容について見ていきたいと思います。
先ほど述べたように、『大和物語』には特定の主人公がいません。それだけでなく、一貫したテーマもありません。その内容は大きく前半と後半に分かれます。前半は宮廷貴族の歌を中心にその歌が詠まれたエピソードが書かれています。その中には平城天皇[xi]や宇多天皇[xii]など、『大和物語』が成立された時代よりはやや前の時代も描かれています。後半は古歌[xiii]にまつわる伝承などをまとめた説話集に近い形になっており、その後の説話集に影響を与えたと考えられる説もあります。後半に書かれる伝承の多くは典型的な説話の類型になっています。

いくつか説話とその伝承にまつわる和歌を紹介していきたいと思います。
※説話は『改訂新版・世界大百科事典』、和歌は『新編 日本古典文学全集』より参照。

  • 二人の男のはげしい求愛に応じかねて入水する女とその女のあとを追ってともに水死する男たちのことを語る生田川説話

「住みわびぬ我が身投げてん津の国の生田の川は名のみなりけり」

  • 権門の北の方となった女が貧しい蘆刈の男に零落しているかつての夫と再会する蘆刈説話

「君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住み憂き」

  • ほかの女に心を奪われた夫が一途に自分の身を案じて歌を独詠する妻の姿を見て愛を回復する立田山説話

「風吹けばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとり越ゆらむ」

兵庫県神戸市を流れる生田川を舞台とする生田川説話は『日本書紀』にも記載があるほか、『大和物語』においてこの説話と共に詠まれた和歌は『万葉集』にも記載があります。また、生田川説話を元に描いた森鴎外[xiv]の小説、『生田川』も有名です。
蘆刈説話は摂津国(現在の大阪府の北西部と兵庫県南東部あたり)の伝承であるため、難波の地名が和歌にも入っています。生田川説話が森鴎外に採り上げられたように、蘆刈説話を基にして書かれた谷崎潤一郎[xv]による小説『蘆刈』も有名です。立田山説話は大和国(現在の奈良県あたり)の伝承であり、立田山説話で詠まれる和歌は『古今和歌集』、『伊勢物語』にも記載されています。

〔森鴎外〕

以上に説明したように、『大和物語では』各地に伝わる伝承や他の文献、『万葉集』、『古今和歌集』などの和歌集をはじめ、『伊勢物語』、『日本書紀』までもが参考にされていることが分かります。

また、『伊勢物語』や『古今和歌集』が編纂・成立した後に、『大和物語』や『後撰和歌集』がおおよそ同じ時期に編纂・成立しています。『後撰和歌集』は『古今和歌集』と比べ、物語要素が強くなっていると言われており、和歌に対し、物語性、特に純愛や悲恋の物語として脚色する傾向が強くなったと考えられています。また、『後撰和歌集』のような勅選和歌集以外の私家集[xvi]においても、物語色が強くなる傾向にあるとも考えられています。そういった傾向は、後の散文[xvii]の『源氏物語』をはじめとした物語の流行に繋がると文学史的には考えられています。

では最後に、『大和物語』について簡単な問題を出したいと思います。
(わからなかった問題はしっかりと復習しておこう!)

  1. 『大和物語』のジャンルは何ですか。
  2. 『大和物語』は『伊勢物語』より前に成立しましたか。
  3. 伝承などがまとめられているのは『大和物語』の前半ですか、後半ですか。
  4. この記事で紹介した『大和物語』にある説話を一つ答えなさい。
  5. 『大和物語』と近い時期に編纂、成立した勅撰和歌集は何ですか。

→次回は蜻蛉日記について解説します!

(註)
  • [i] 同一の原本から出たいくつかの書物のうち、最も広く行き渡った本。通行本。三省堂『大辞林 第三版』
  • [ii] (868~949) 第五七代天皇(在位876~884)。名は貞明さだあきら。清和天皇第一皇子。九歳で即位。関白藤原基経によって廃位させられた。三省堂『大辞林 第三版』
  • [iii] (885~930) 第六〇代天皇(在位897~930)。名は敦仁あつぎみ。宇多天皇の第一皇子。菅原道真を右大臣に登用、延喜の治と称される天皇親政を行なった。この間、「古今集」「延喜格式」が編纂へんさんされた。三省堂『大辞林 第三版』
  • [iv] 平安前期の歌人。業平の第二子。在次君と呼ばれる。「大和物語」の作者とする説がある。歌は古今集などにみえる。生没年未詳。三省堂『大辞林 第三版』
  • [v] (968~1008) 第六五代天皇(在位984~986)。名は師貞もろさだ。冷泉天皇の皇子。荘園整理など親政に努めたが藤原兼家のために退位させられ、一条天皇に譲位して花山寺に出家した。和歌をよくし、「拾遺和歌集」はその親撰かという。三省堂『大辞林 第三版』
  • [vi] 歌物語。一巻。作者未詳。現在のような形になったのは、平安中期か。百二十余の短い章段からなり、在原業平ありわらのなりひららしい人物の恋愛を中心とした一代記の構成をとる。源氏物語・古今集とともに、後代への影響がきわめて大きい。在五が物語。在中将。在五中将の日記。三省堂『大辞林 第三版』
  • [vii] (825~880) 平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。在五中将・在中将と称される。阿保親王の第五子。歌風は情熱的で、古今集仮名序に「心あまりて言葉たらず」と評された。「伊勢物語」の主人公とされる。色好みの典型として伝説化され、美女小野小町に対する美男の代表として後世の演劇・文芸類でもてはやされた。家集「業平集」三省堂『大辞林 第三版』
  • [viii] 第三番目の勅撰和歌集。二〇巻。撰者は花山法皇説が有力。1006年前後の成立。約一三五〇首。藤原公任きんとうの「拾遺抄」を増補してできたとみられる。三代集・八代集の一。拾遺集。三省堂『大辞林 第三版』
  • [ix] (1198~1275) 鎌倉前期の歌人。定家の子。「続後撰和歌集」「続古今和歌集」(共撰)の撰者。阿仏尼を後妻とした。歌論書「詠歌一体」。「新勅撰和歌集」以下の勅撰集に三三二首入集。家集「為家集」三省堂『大辞林 第三版』
  • [x] 〔名は「さだいえ」とも〕 (1162~1241) 平安末期・鎌倉初期の歌人・歌学者。俊成の子。京極中納言と称さる。法号、明静みようじよう。「新古今和歌集」(共撰)、「新勅撰和歌集」を撰した。華麗妖艶な歌風で新古今調を代表し、一時代を画した。歌論書「近代秀歌」「毎月抄」、撰集「小倉百人一首」、日記「明月記」、家集「拾遺愚草」など。また、「顕註密勘」など古典の校勘にも功績を残し、「松浦宮物語」の作者ともいわれる。「千載和歌集」以下の勅撰集に四三九首入集。その書は「定家流」と呼ばれ、尊重された。三省堂『大辞林 第三版』
  • [xi] (774~824) 第五一代天皇(在位806~809)。桓武天皇第一皇子。名は安殿あて、奈良の帝みかどとも。在位中官制の改革を行なった。病によって譲位。のち、重祚ちようそを企てる薬子くすこの変が起きた。詩文が「凌雲集」「古今集」に収められている。三省堂『大辞林 第三版』
  • [xii] (867~931) 第五九代天皇(在位887~897)。光孝天皇の皇子。名は定省さだみ。親政を行おうとしたが、関白藤原基経に阻まれた(阿衡あこう事件)。基経の死後は菅原道真を起用して摂関政治の弊害を改めるのに努めた(寛平の治)。のち、出家して寛平法皇・亭子院ていじのいんと称した。子の醍醐天皇に与えた「寛平御遺誡」、日記「宇多天皇御記」がある。三省堂『大辞林 第三版』
  • [xiii] 古い歌。古人の詠歌。古人のよんだ歌。古い時代の歌。ふるい歌。こか。『精選版 日本国語大辞典』
  • [xiv] [1862~1922]小説家・評論家・翻訳家・軍医。島根の生まれ。本名、林太郎。別号、観潮楼主人など。森茉莉の父。陸軍軍医としてドイツに留学。軍医として昇進する一方、翻訳・評論・創作・文芸誌刊行などの多彩な文学活動を展開。晩年、帝室博物館長。翻訳「於母影(おもかげ)」「即興詩人」「ファウスト」、小説「舞姫」「青年」「雁」「ヰタ‐セクスアリス」「阿部一族」「高瀬舟」「渋江抽斎」。小学館『大辞泉』
  • [xv] (1886~1965) 小説家。東京生まれ。東大中退。第二次「新思潮」同人。美や性に溺れる官能世界を描く唯美的な作家として文壇に登場。関西移住後、古典的日本的美意識を深め数々の名作を生んだ。代表作「刺青」「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「春琴抄」「細雪」「鍵」、現代語訳「源氏物語」など。三省堂『大辞林 第三版』
  • [xvi] 個人の歌集。主に江戸時代以前のものをいう。自撰・他撰ともにあり、形態も部類・編年・雑纂とさまざま。家の集。家集。三省堂『大辞林 第三版』
  • [xvii] 韻律・字数・句法などに制限のない通常の文章をいう。小説・随筆・日記・論文・手紙などに用いられる文章。 ⇔ 韻文 三省堂『大辞林 第三版』

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