日本人なら知っておきたい文学作品!無住の作による鎌倉時代の説話集『沙石集』

 『沙石集』は鎌倉時代に成立した説話集です。編者は無住(無住一円/無住道暁)です。内容は本地垂迹説話諸仏霊験説話因果応報説話遁世往生説話など仏教説話集らしい説話をはじめ、滑稽譚や艶笑譚なども内包しています。特徴としては地方の説話が集められていることと、噺本[i]の源流ともみれる笑話が集められていることがあげられます。

まずは編者の無住についてみていきましょう。無住は鎌倉時代の僧です。道暁、一円、大円国師とも言います。鎌倉幕府の幕臣梶原氏[ii]の裔に生まれたとされています。少年時代、鎌倉をはじめ下野(現:栃木県)、常陸(現:茨城県)など関東地方を転々とした後、常陸で出家し、28歳で遁世[iii]します。その後上野(現:群馬県)、大和(奈良県)、鎌倉などで禅宗[iv]法相宗[v]律宗[vi]をはじめとした顕密諸宗[vii]を学びます。37歳の1262年(弘長2年)以降尾張国木賀崎(現:愛知県)の長母寺の住職となります。晩年『沙石集』を編纂した。他の著作に『雑談集[viii]』があります。

次にどのような内容が描かれているのか、説話の種類をそれぞれ説明していきます。 

本地垂迹説話菩薩本地とし、衆生救済のための垂迹とする説。すなわち、神は仏が人を救うために姿を変えて世に現れたとする神仏習合の元となった思想です。平安時代から神仏習合がすすめられてきましたが、明治時代になり神仏分離の思想が広がり衰退しました。

諸仏霊験説話…霊験とは、神仏に祈請したり、経典を読誦したりすることによって得られる人智を超えた不思議な現象、体験、効験のことを言います。よって諸仏霊験説話とは様々な仏の霊験譚をまとめたものになります。

因果応報説話因果応報とは仏教語であり、善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすという意味です。

遁世往生説話遁世仏道に入ること、隠遁・隠居することをさします。また往生極楽浄土にいって生まれ変わることをさします。

【注】

  • [i]江戸時代の庶民文芸の一種で,短い笑話を集めた本。咄本とも書き,軽口(かるくち)本ともいう。江戸時代を通じて1000余種も刊行され,数万にのぼる笑話が紹介された。江戸時代の前期は京坂を中心に,後期は江戸を中心に流行。噺本は笑話が主体であるが,咄の末尾に〈落ち〉(サゲ)をつけるところに特色がある。1772年(安永1)に刊行された木室卯雲(きむろぼううん)の《鹿の子(かのこ)餅》が噺本史を前後期にわける分岐点に立つ。(平凡社『世界大百科事典』) 
  • [ii] 鎌倉景政,あるいは鎌倉権大夫景通を祖とする桓武平氏鎌倉氏の一族で,鎌倉への入口にあたる相模国鎌倉郡梶原郷を本拠とした在地武士。大庭氏,長尾氏などとは同族にあたる。系図により多少の異同があるが,景通の子景久が梶原に住んで梶原太郎と称したのに始まるといわれる。源頼朝を石橋山で救ったことで著名な梶原景時は,景久の孫景清の子とも,景政の孫景長の子とも伝え,彼とその子息景季が頼朝に従って平氏追討に活躍したことで,鎌倉幕府内に一族の地位を築いた。(平凡社『世界大百科事典』)
  • [iii] 世間を逃れること。世を捨てること。〈とんぜ〉ともいう。遁世した人のことを,〈とんせいしゃ〉〈とんぜいじゃ〉といい,中世には多くの遁世者が現れ,宗教者としてだけでなく,文学,芸能の面でも活動した。仏教のたてまえからすれば,出家して寺院に入ることは,遁世することであった。しかし,仏教を高度な外来文化を総合するものとして受容した日本では,寺院と僧侶は国家や貴族社会からさまざまな規制を加えられたために,寺院は第二の世俗というに近く,出家することは遁世にならなかった。(平凡社『世界大百科事典』)
  • [iv]坐禅によって仏道をきわめようとする仏教の宗派。一般に五家すなわち臨済・潙仰(いぎょう)・曹洞・雲門・法眼の五宗と、臨済より分かれた楊岐(ようぎ)・黄龍の二派を加えた七宗を総称する。日本に伝わったものは臨済宗、曹洞宗の二宗と黄龍派の末流である黄檗宗の三宗派で、臨済宗は栄西が入宋(一一六八)して伝え、曹洞宗は、道元が入宋(一二二三‐二七)して伝え、黄檗宗は承応三年(一六五四)に明の隠元が渡来して伝えた。菩提達磨を始祖とし、教外別伝・不立文字(ふりゅうもんじ)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を基本思想とし、坐禅によって自己の本性を洞見して成仏するとなすもの。仏心宗。達磨宗。禅。(『日本国語大辞典』)
  • [v] (「ほっそうじゅう」とも) 仏教の一宗派。奈良時代を通じて最も盛んであった、いわゆる南都六宗の一つ。解深密(げじんみつ)経・瑜伽(ゆが)論などをもとに、万有は唯識、すなわち心のはたらきによって表わされた仮の存在にすぎず、識以外の実在はないとし、万法の諸相(法相)を分析的、分類的に説くもの。この学は玄奘によりインドから唐にもたらされ、弟子の慈恩大師窺基より一宗をなしたが、日本へは白雉四年(六五三)入唐した元興寺の道昭以後、伝えられた。行基・良弁など多くの学匠を生み、また他宗の学徒も多くこれを学んだ。現在は興福寺・薬師寺(法隆寺は一八八三年聖徳宗として独立)を大本山に七〇余の末寺をもつのみである。法相大乗。唯識宗。ほうそうしゅう。(『日本国語大辞典』)
  • [vi] 南都六宗の一つ。戒律を重んじた学派。唐僧鑑真 (がんじん) が754年に来日して東大寺に戒壇院を建て,さらに唐招提寺を創建して本格的に確立した。平安時代には密教の流行でふるわず,鎌倉時代に俊芿 (しゆんじよう) ・叡尊 (えいそん) らが出て復興につとめた。(旺文社『日本史事典』)
  • [vii] 顕教と密教のこと。仏教のうち密教以外のものは顕教。密教は秘密に説かれた深遠な教えの意で日本では平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。
  • [viii] 鎌倉後期の仏教説話集。一〇巻。無住著。嘉元二年(一三〇四)起筆、同三年成立。寛永二一年(一六四四)刊。発心遁世譚・霊験譚・寓話などをまじえながら、仏教の教理を説いたもの。随想・自伝などの部分が多く、「沙石集」「聖財集」とあわせて無住を探る上で重要。説話集の中でもっとも自照性がつよい作品の一つ。(『日本国語大辞典』) 

最後に『沙石集』について、簡単な問題を出したいと思います。

  1. 『沙石集』の編者は誰ですか。
  2. 『沙石集』の文学的ジャンルは何ですか。
  3. 『沙石集』は何時代に成立しましたか。
  4. 『沙石集』の特徴を一つ答えなさい。

【解答】 

  1. 無住(無住一円/無住道暁)
  2. 説話集
  3. 鎌倉時代
  4. 地方の説話が集められていること、噺本の源流とも見える笑い話が集められていること

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参考文献

平凡社『世界大百科事典』
小学館『日本国語大辞典』
旺文社『日本史事典』