前回の最後で、近代になった結果、様々な問題が生じたというお話をしました。今回は、具体的に「近代」の問題とはなんだったのか、というお話をしようと思います。
環境問題
近代になった結果生じた問題として一番大きいのは、やはり環境問題ではないでしょうか。これは長らく言われていて、最近でもスターバックスコーヒーやマクドナルドがプラスチック製ストローを廃止する、ということで話題になりました。
では、そもそも環境問題とはなぜ起こるようになったのでしょうか?
それは、人間が「自然を対象化」したからです。
古来、人間は自然に手を加え、自然を利用して生きてきました。農耕に利用したり、林業に利用したり、漁業に利用したりと様々です。しかし、近代以降、その規模と速さが急速に増していきます。自分自身から切り離して目の前に置いた(対象化)自然は、当然、人間によって手を加えられることになるのですが、人間も実はその自然の一生物であることには変わりありません。自然に手を加えるというのは、自然の一部である自分自身にも手を加えるということです。こうして、自然の改変が、人間自身にも影響を及ぼすに至ったのです。
「近代」の諸問題
「理性」や「科学」により人間の勝利を示したかのように見えた「近代」ですが、実はさまざまな問題を孕んでいたことがわかったのは、二十世紀になってからのことです。
「科学」は人々に幸福をもたらし、苦しい労働から解放し、病苦から救い、便利さをもたらしたように見えました。しかし、科学技術の発展により生まれた武器・核兵器や、それらが使われた二つの大戦、また、地球上の生命の絶滅の可能性は、科学が作り出した逆説でした。
つまり、人の幸福を実現してくれるはずの科学が人を不幸に陥れるよう作用したという事です。また、公害問題やクローン問題、オゾン層破壊等、挙げればきりがありません。
「医学」についてはどうでしょうか。確かに、「医学」の発展は人間を病気や怪我から救ってくれるようになりました。しかし同時に、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)のような薬剤耐性菌の出現という問題もあります。ここには本質的な「医学」の矛盾があらわれています。病気を治すはずの病院が原因となって、病気が広まっていくということです。これも逆説的ですね。
ほかにも、「栄養の摂りすぎによる肥満」や「移動手段の発達による運動不足」などはどうでしょうか。「近代」の問題は幅広い範囲に及びます。
「大衆」の問題や「マスメディア」の問題など、個人が確立した近代以降だからこそ生じる問題も多々あるのですが、それはまた別の機会に触れることとします。
ポストモダン
「科学」を基幹とする「近代合理主義」は人々に新時代の到来を感じさせ、いわゆる先進国の人々には物質的豊かさとして多大な恩恵をもたらしました。しかし一方で、それは、ここまで見てきたようなさまざまな問題を生じさせています。
そこで、これまで人々が信頼し、絶対しさえしていた「合理主義」の時代としての「近代」を相対化し、乗り越えようとする思想傾向が生じました。これは一般に「ポストモダン」と呼ばれています。
ポストモダンについても、いつか触れることができたらその機会に。