よく、「現代文の勉強は何をやったらよいかわからない」という声をききます。
現代文では、英語や数学と違い、覚えることが少ない、もしくは覚えることがないと思っている方もいるかもしれません。
ですが、それは誤りです。現代文は、実は覚えること(知識事項)が存在します。
こういったことを学校ではあまり扱わないため、「現代文はセンスだ」「現代文を勉強しても仕方がない」と思ってしまい、ついには「現代文の勉強は必要ない」と思いこんでしまうのです。
今回の記事から何回かに渡って、現代文の基礎知識を紹介していこうと思います。多くは哲学的な事項になるため、みなさんには馴染みの薄いものかもしれません。ですが、知っておくだけで有利な知識ばかりです。現代文の土台固めだと思って、しっかり理解していきましょう。
初回である今回は、「 近代 」の概略を扱います。
いま、我々が生きている時代は「現代」です。過去の時代区分(分け方)についてはいろいろな考え方がありますが、現代文で大切になってくるのが「近代」です。今回の記事では「近代」とはどういう時代なのかを考えていきます。
「 近代 」の誕生
「近代」とは、歴史的には「古代」「中世」に続く時代です。多くの場合、十四世紀から十六世紀のルネッサンスや、十八・十九世紀の産業革命・市民革命から起きたと考えられます。
つまり、ルネッサンスや産業革命によって、キリスト教的呪縛から解き放たれ、「個人」という概念のもとに、解放された市民による時代=「近代」が出現したと言えます。
「 近代 」の特徴
「近代」の特徴は「人間中心主義」です。中世においては、世界の中心は「神(創造主)」でした。キリスト教的価値観が非常に強く、人間は神に作られた存在である、と考えられていました。
ですが、近代では、神(創造主)に代わり「人間」が中心になります。
中世のキリスト教を中心とした西洋社会では、唯一の創造主が他のすべて(人間も含まれます)を作ったと考えられていたのですが、近代ではその「神」の位置に「人間」が置かれます。必然、ほかのすべては「人間」の下に置かれることとなります。
キリスト教的価値観を破壊し、神の位置に人間を据えるというのは、「神」を否定することです。ニーチェの「神は死んだ」という言葉や、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が世に出てきたのもこの時期です。人間は自由な存在になって、超越的な存在、「神」の呪縛から解放された、と考えることができます。
ここでひとつ問題が生じます。「神」の位置に人間を据えるということは、人間がその他の事物の上に立つということです。人間は、自然や動物などを傲慢に支配できると考えるようになってしまったのです。
このことが後々さまざまな問題を人間にもたらすことになります。
日本の「 近代 化」
「近代化」とは、中世的な人間関係や封建的社会関係、産業の手工業状態などを能率化して、機械化し改革(イノベーション)することですが、中進国や後進国にとっては、「近代化」は「西洋化」とほぼ同義でした。西洋が世界の中でいち早く「近代化」を成し遂げたからです(産業革命が始まったのもイギリスですね)。
日本で明治維新が起こった1868年には、すでに西洋諸国は近代に突入していました。日本の近代化も、「西洋化」と同義だったと言えるでしょう。
まとめ……の前に
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まとめ
今回の記事では近代の概略を扱いました。次回は近代の思想について話したいと思います。「個人」や「神」、「人間」などの定義をしっかり押さえるようにしてください。