今回は2020年度の筑波大学の社会、人文学部の国語の過去問を一部修正して古典問題の解き方を解説していきたいと思います。
問題
次の文章は、『源氏物語』手習巻の一節で、入水を企てて失敗した浮舟が、娘を亡くした尼君に引き取られて暮らすさまを描いた場面である。これを読んで後の問に答えよ。
九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。年ごろいと心細き身に、恋しき人の上も思ひやまざりしを、かくあらぬ人ともおぼえたまはぬ慰めを得たれば(ア)観音の御験うれしとて、返り申しだちて詣でたまふなりけり。
(a)「いざたまへ。人やは知らむとする。同じ仏なれど、さやうの所に行ひたるなむ験ありてよき例多かる」と言ひて。そそのかしたつれど、昔、母君、乳母などの、かやうに言ひ知らせつつ、たびたび詣でさせしを、(イ)かひなきにこそあめれ、命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじき目を見るはいと心憂き中にも、知らぬ人に具して、さる道の歩きをしたらんよと(ウ)そら恐ろしくおぼゆ。
(b)心ごはきさまには言ひもなさで、「心地のいとあしうのみはべれば、さやうならん道のほどにもいかがなど、つつましうなむ」とのたまふ。もの怖ぢは、さもしたまふべき人ぞかしと思ひて、(エ)しひてもいざなはず。
はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二本の杉
と手習にまじりたるを、尼君見つけて、「二本は、またもあひきこえんと思ひたまふ人あるべし」と戯れ言を言ひあてたるに、(c)胸つぶれて面赤らめたまへるも、いと愛敬づきうつくしげなり。
(注)二本の杉=初瀬川(ふる川)のあたりにあるという杉。
『源氏物語』とは?
作者は紫式部。54帖からなり、光源氏が栄華を極め、衰退していく様を第一部、第二部に渡って描き、第三部では舞台を京の都から宇治に移し、光源氏の子である薫を中心に描いています。今回問題になっている手習巻は第三部の内容になります。
第三部−宇治の物語について−
第三部の主な内容と登場人物について紹介します。
登場人物
- 薫…光源氏と女三の宮の子と表向きはされているが、本当は女三の宮と柏木の間にできた不義の子です。薫は自分の出生の秘密を知り、苦悩します。
- 匂宮…光源氏の娘である明石の中宮と今上帝の間の子であり、光源氏の孫にあたります。
- 大君…八の宮(光源氏の弟君にあたる)の娘。宇治の邸宅で暮らす。八の宮は出家を考え薫に後見を頼もうと考えていた矢先に亡くなります。八の宮の遺言をめぐって大君と薫はすれ違い、薫の求婚を拒んでします。
- 中の君…八の宮の娘。匂宮と結婚するも、匂宮がその後夕霧と結婚したことによりその立場に不安を感じ始めます。
- 浮舟…八の宮と愛人の間にできた子。大君、中の君とは異母姉妹にあたります。匂宮と薫の間で葛藤し、宇治川に身を投げるも救出された寺に身を隠します。
内容
自身の出生からどこか翳りがある薫と、薫とライバルでありよき友人でもある匂宮。対照的な2人の半生と、宇治の姉妹をめぐる物語が展開される。因果応報といった仏教色も感じられ、第一部、第二部とは異なり、スピンオフのような毛色があるのが第三部です。
問1
波線部分(ア)「観音の御験うれし」、(イ)「かひなきにこそあめれ」、(ウ)「そら恐ろしくおぼゆ」、(エ)「しひてもいざなはず」は、それぞれ誰の心情・動作か、「浮舟」「尼君」のどちらか選んで答えよ。
【解答】
(ア)尼君
(イ)浮舟
(ウ)浮舟
(エ)尼君
(ア)の段落の冒頭に「この尼君」とあり、その後も尼君の話が展開されているので答えは尼君の心情になります。
(イ)の前の「昔、母君、乳母などの」と書かれている場所から尼君から浮舟の心情に変わります。引き続き浮舟の心情が展開されているため(ウ)も浮舟になります。
(エ)の前に「「心地のいとあしう〜(中略)つつましうなむ」とのたまふ」とあり、「のたまう」と敬語が使われていることからこの会話文の主体は浮舟だとわかります。尼君の会話文の後には敬語は使われていません。また、その後に「さもしたまふべき人ぞかしと思ひて」と「さもしたまふべき人」とその人に対し敬語を使っていることから「さもしたまふべき人ぞかし」と思っている人は尼君だとわかります。
問2
傍線部分(a)「いざたまへ。人やは知らむとする」を現代語訳せよ。
【解答】
さあ、一緒にいらっしゃい。あなたのことを人が知ったりするでしょうか、しませんよ。
【係助詞】「やは」をしっかり反語「…(だろう)か、いや、…ない。」で訳すことがポイントです。
問3
傍線部分(b)「心ごはきさまには言ひもなさで」は、誰の、どのような心情をあらわしているか、説明せよ。
【解答】
浮舟の、尼君に強情だと思われる言い方にならないように気を付けて、初瀬詣の誘いを無難に断ろうとする心情。
傍線部(b)の後ろの会話文を見ると「「心地のいとあしう〜(中略)つつましうなむ」とのたまふ」とあり、「のたまふ」という尊敬語が使われています。よって会話の主体は浮舟であり、傍線部分の主体も浮舟であることがわかります。
「心ごはし」は「強情だ。気が強い。」という意味の形容詞です。「心ごはきさま」(強情なようす)にならないように浮舟が言おうとした内容が「心地のいとあしうのみはべれば、さやうならん道のほどにもいかがなど、つつましうなむ」(気分がとても悪くてなりませんので、そのような参詣もどのようなものかと、憚られます)となります。初瀬詣に行くことに対し、体調が悪いと断ろうとしていると推測できます。
問4
傍線部分(c)「胸つぶれて面赤めたまへる」は、「はかなくて」の歌を目にした尼君の言葉に対する浮舟の様子であるが、どうしてこのような反応となったのか、説明せよ。
【解答】
浮舟が「二本」と詠んだのは再会したい男性がいるからなのだろうと、尼君に冗談めかして言われ、言い当てられたように感じたから。
和歌の内容を見てみましょう。
「はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二本の杉」
(はかなくてこの世につらい思いをしている我が身ではあの二本の杉のある古川を訪ねていくことも出来ません)
⇨我が身のはかなさを嘆く浮舟が訪ねて行く事も出来ないと言った二本の杉というのは、浮舟の思いを寄せていた2人の男性、すなわち薫と匂宮のことをさします。
そのような和歌に対し、尼君は浮舟に「二本は、またもあひきこえんと思ひたまふ人あるべし」(二本は、また会いたいと思っていらっしゃる人がいるということでしょう)と言います。会いたい人、そのような男性がいることを指摘されたことに対し、浮舟は「胸つぶれて面赤めたまへる」(胸がつぶれて、顔を赤なさった)のです。
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