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「いかに聴衆を取り込めるか」ということ
私は、学生として過ごす中で、様々な講演の機会に恵まれた。それは授業であったり、学校で開かれた講演会であったり、予備校の講義であったりした。
中学、高校では、キリスト教主義の学校に通っており、毎朝の礼拝で先生や生徒から自分自身の話を聴いたり、また私が皆の前で話したりした。学校に牧師を招いて説教を受けたこともある。
これまでの私は、人よりも話を聴く機会が多かったように感じる。様々な人の話を聴いてきた中で感じたのは、上手な説明とはまず相手に聴いてもらえていることが大前提であり、「いかに聴衆を取り込めるか」が、話を聞いてもらうことの鍵となるということである。
今回はそのように感じた事例を紹介したい。
ビリギャル・小林さやかさんとの出会い
私にとって印象的だった講演は、映画『ビリギャル』のモデルとなった小林さやかさんの講演である。
彼女のことは説明するまでもないと思うが念のため説明しておくと、成績ビリのギャルだったが慶応義塾大学に現役合格した偉業を成し遂げた人物である。
彼女の講演がどのようなものであったか説明していく。
一貫したタメ口での進行
彼女の講演は一貫してタメ口で行われた。ギャル特有の語尾や語り口であった。元とはいえ彼女もギャルである。
敬語で単調に進んでいき、眠たくなってしまうような一般的な講演とは違い、彼女のタメ口の講演にはまるで会話しているかのような距離感とリズム感があり、眠くなるどころか聞き入ってしまった。
例えば、「坪田先生と初めて出会った時に、あたしマスカラ2時間塗りたくってまつ毛作ってたの。そしたら坪田先生ね、『そのまつ毛すごいね』って突っ込んでくれて、よくぞ突っ込んでくれた!と思ったら次の一言、『ひじきみたい』だよ???ひどくない???」といったような語り口である。
このように聴衆に語りかけるように、そしてタメ口で話すことで距離を詰め、まるで会話しているかのような感覚を与えている。
脈略のあるエピソードトーク
小林さやかさんの講演は一見関連性のない無駄話のようでいて、エピソードのひとつひとつに脈略があった。
例えば、先ほどのまつ毛の後、「でもそんな風に勉強と関係ないところから入ってくれて話しやすかった」とビリギャルのストーリーで最重要人物ともいえる坪田先生の出会いと彼の為人を語った。
あくまでビリギャルの講演会は受験を考える人向けに開かれており、まつ毛をひじきだと言われたという話は、聴衆はあまり求めておらず、無駄話と言えるだろう。
しかし、彼女はこのエピソードを無駄話としてではなく、坪田先生が話しやすい存在であったこととその例として用いている。
またその時の語り口であったり、オチの付け方や間がまるで会話しているかのようで、つい聴き入ってしまった。
予想される反論にはあらかじめ反論
そして、彼女の講演は、来るであろう反論や意見を言われる前に先に述べている。
例えば、「『逆転合格って割とよくある話』とか、『中学受験してるし実は地頭良いんでしょ』とかよく言われるけど、私だけが特別だとは思っていない。でも私は努力したし、人それぞれの受験があるからあくまで私の体験を話しているだけ。」と語っていた。
私自身も彼女の講演を聴くまでは、逆転合格とは言うものの、彼女は実は地頭が良いのではないかと思っていた。しかし、私のような疑問を持つ人は他にもいて、そこに自ら触れ、その上で自分の意見を述べることで主張を強めている。
このように、小林さやかさんはタメ口で会話しているかのように話し、且つエピソードや論理に一貫性があり聴衆を取り巻く能力に長けている。
彼女の講演を聴いた時、以上の点から説明が上手であると感じた。
「感話」という経験
私自身が人前で話す経験というのは、これといって大きいものこそないものの、クラスの前や学年の前であれば何回かあった。
冒頭でも述べた通り、私は中高6年間キリスト教主義の学校に通っており、毎朝礼拝があった。一般的に礼拝というのは牧師先生の説教があるが、母校の礼拝では「感話」と呼ばれる、生徒や教師が自身の体験を通して感じ考えたことをあらかじめ原稿用紙に書き、皆の前で述べ伝えるというものがあった。
感話は自分のエピソードを中心に進んでいくため、どのような論理でそのエピソードを出すかがかなり重要である。感話は文章力やエピソードの掘り出し方など、ある程度のセンスが求められる。
早朝の礼拝でセンスのない人の感話は睡魔に負けてしまい、正直聴いていられない。一方センスのある感話は、聴衆に寝る人はほとんどおらず話に聴き入っている。
感話を述べるうえで工夫したこと
私は、我ながら感話のセンスはあった方だと自負する。そう感じる理由として、感話を読んだ後、多くの人が感想を伝えに来てくれたということが挙げられる。
私の感話の最中、多くの人が起きて耳を傾けてくれたということである。また、起きて聴いてもらえる内容にするためにいくつかの点を工夫した。
奇抜なテーマ設定
内容を他者に埋もれない奇抜なものにした。元々他者と何かが被ることが嫌いで常に人と違うことをしていたい、人と違っていたいと考える性格であったのもある。
一般的に挙げられる感話のテーマは、「留学の思い出」、「部活の引退」、「最後の合宿」などである。
一方、私の感話のテーマは「左利きの生きにくさ」、「留学を楽しめなかった話」、「夏休みにTwitterを1日7時間触って感じたこと」など、他者とは異なっている。
他の人は自分の思い出や過去を美化してそれとなくまとめる。しかし私は、まず強めなテーマで攻め、他とは違うことを聴衆に感じ取らせる。
ターゲットを絞る
テーマに沿って話していく上で、エピソードのターゲットを聴衆の身近な話題に絞る。
例えば、左利きの生きにくさをテーマにした時はシチュエーションを学校がある平日の1日に絞った。感話を聴いてもらう当日は平日の朝であるため、前日やその日1日を連想しながら話を聴いてもらえると考えたからである。
綺麗事は言わず、あえて正直に
変に綺麗事を言わず、自分の言葉で正直に話すことを意識した。
例えば、Twitterを取り上げた時には、「SNSのやりすぎで成績を落とさないようにしようと思った」というように猫をかぶって模範的な生徒の発言をするのではなく、「SNSに居続けたことで視力など失ったものもあったが、リアルでは出会うことはないような人と話せた」、「炎上の様子をみて社会の縮図を見ることができた気がして興味深かった」、「これからもTwitterを続けていきたい」など、先生方からの好感度などお構いなしに自分の考えを述べた。
少し強い言葉や思想だったとしても、正直に伝えた方が同級生からは共感の声をもらえたと実感している。また先生方も好感は持てなくとも、強気な発言を繰り返す私を良くも悪くも一目置いていたように感じる。
このように、私は奇抜なテーマで人との違いを見せつけつつ、身近な事例やエピソードを挙げることで共感を呼び、その上で自分の考えを話すことで自分の考えや主張を訴えた。
私も上手な説明を求めて無意識に聴衆を取り込もうとしていたのかもしれない。
まとめ
このように、小林さやかさんは、タメ口やエピソードの一貫性などで聴衆を引き付けていて、私も内容の奇抜さと身近なエピソードという彼女とは異なった手法ではあるが、聴衆を取り巻くという意識で説明の質を高めようとしている。
したがって、上手な説明とはまず聴衆に聞いてもらえていることが前提で、且つ聴衆を引き込むような意見主張とエピソードトークによって成り立つと言えるのではないだろうか。
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