【大学受験】過去問題〜古典問題読解・解説〜菅原孝標女『更級日記』

今回は2020年度の立命館大学全学部の国語の過去問を一部修正して古典問題の解き方を解説していきたいと思います。 

『更級日記』

問題を見ていく前に問題で取り扱われている『更級日記』について説明します。作者は菅原孝標女であり、『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母の姪にあたります。『更級日記』は菅原孝標女の夫である橘俊通の死去数年の間に自分の生涯を思い起こして書き綴った日記です。内容は大きく以下の3つに分かれています。 

  1. 上総から京までの旅
  2. 京での生活
  3. 結婚と宮仕

三部にわたって描かれるのは物語に憧れた少女が上総から京都に行き、結婚・宮仕などを経験し、物語のようにはいかない現実を知り、最後は仏道の道に安らぎを求める女性の姿です。 

今回問題となっている場面は、「2、京での生活」にあたります。作者(菅原孝標女)の父・菅原孝標が常陸介となり、作者は京に残ることになります。

問題

次の文章を読んで、問いに答えよ。 

 かやうに、そこはかなきこと思ひつづくる役にて、物詣をわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむとも念ぜられず、このごろの世の人は十七八よりこそ経よみ、行ひもすれ、さること思ひかけられず。からうじて思ひよることは、「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はし奉りて、( A )の女君のやうに、山里に隠し据ゑられて、花・紅葉・月・雪をながめて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを時々待ち見などこそせめ」とばかり思ひつづけ、アあらましごとにもおぼえけり。 

 親となりなば、いみじうやむごとなく我が身もなりなむなど、ただゆくへなきことをうち思ひ過ぐすに、親からうじて遥かに遠きあづまになりて、「年ごろは、いつしか思ふやうに、近き所になりたらば、まづ胸あくばかりかしづきたてて、率下りて、海山の景色も見せ、それをばさるものにて、我が身よりも高うもてなしかしづきて見むとこそ思ひつれ、我も人も宿世のつたなかりければ、ありありてかく遥かなる国になりにたり。幼なかりし時、あづまの国に率下りてだに、心地もいささか悪しければ、これをや、この国に見捨てて、惑はむとすらむと思ふ。人の国の恐ろしきにつけても、我が身一つならば安らかならましを、所せう引き具して、言はまほしきこともえ言はず、せまほしきこともえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心を砕きしに、今はまいて、大人になりにたるを率下りて、我が命も知らず、京のうちにてさすらへむは例のこと、あづまの国、田舎人になりて惑はむ、いみじかるべし。京とても、頼もしう迎へとりてむと思類、親族もなし。さりとて、わづかになりたる国を辞し申すべきにもあらねば、京にとどめて、永き別れにて止みぬべきなり。京にも、さるべき様にもてなしてとどめむとは、思ひ寄ることにもあらず」と、夜昼嘆かるるを聞く心地、花紅葉の思ひもみな忘れて悲しく、いみじく思ひ嘆かるれど、いかがはせむ。 

 七月十三日に下る。五日かねては、見むもなかなかなるべければ、内にも入らず。まいて、その日はたち騒ぎて、時なりぬれば、今とて簾を引き上げて、うち見合はせて涙をほろほろと落して、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれ惑ひて、やがて伏されぬるに、とまる男の送りして帰るに、懐紙に、 

  思ふこと心にかなふ身なりせば( B )の別れを深く知らまし 

とばかり書かれたるをも、え見やらず。ウ事よろしき時こそ腰折れかかりたることも思ひつづけけれ、ともかくも言ふべき方もおぼえぬままに、 

  かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君に別るべしとは 

とや書かれにけむ。 

 いとど人目も見えず、さびしく心細くうちながめつつ、いづこばかりと明け暮れ思ひやる。道のほども知りにしかば、遥かに恋しく心細きことかぎりなし。明くるより暮るるまで、東の山際をながめて過ぐす。 

(『更級日記』による) 

問1

( A )に入れるのに、最も適当なものを、次のなかから選びなさい。

1、空蝉
2、夕顔
3、若紫
4、浮舟
5、住吉

【解答】4、浮舟 

作者は京にやってきて念願だった『源氏物語』を読み耽り、「光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ」という願望を述べています。『更級日記』と『源氏物語』の関連性は非常に問題に出やすいので、菅原孝標女が憧れていた『源氏物語』の登場人物は夕顔・浮舟であることをおさえておきましょう。

以上のことを踏まえた上で( A )の後ろを見ると、「山里に隠し据ゑられて」という部分があります。この部分から( A )に入るのに適切なのは宇治の山里に住んでいた浮舟であると考えられます。

問2

傍線アの「あらましごと」、イの「かしづきたてて」を、それぞれ10字程度で現代語訳せよ。 

【解答】
ア、そうなればよいという夢(11字)
イ、大切に養い育てて(8字) 

あらましごと」を品詞分解するとラ変動詞あり」の未然形反実仮想の助動詞まし」+名詞こと」になります。「あらまし」は〜であって欲しい、〜なって欲しいという願望の意で訳しましょう。「こと」がさすのは「思ひつづけ」ていたことです。思い続けていたことの内容はその前にある光源氏のような殿方と出会い、浮舟のようになりたいという理想や夢です。 

かしづきたてて」を品詞分解すると、動詞かしづきたつ」の連用形接続助詞」になります。「かしづきたつ」の意味は大切に養い育てる。心をこめてお世話するとなります。 

問3

( B )に入れるのに、最も適当なものを、次のなかから選びなさい。

1、春
2、夏
3、秋
4、冬
5、朝
6、夕

【解答】3、秋 

問題になっている和歌がある段落の冒頭を見ると「七月十三日」という日付が見当たります。また、いつ贈られたものなのか時間に関する記述がないため、朝・夕は当てはまらないと考えられます。よって七月は旧暦では秋にあたるため、答えはになります。

問4

傍線エの「事よろしき時こそ腰折れかかりたることも思ひつづけれ」の意味として、最も適当なものを、次のなかから選びなさい。 

1、良い関係の時なら、拙い歌の贈答でも失礼でなかったが
2、気楽な事態の時こそ、気休めのことばもうかんだが
3、悪くない状況でこそ、腰折れの老人でも望みはあったが
4、良い事態の時なら、上手でもない慰め言も思い及んだが
5、通常の時であったら、下手な返答くらいは思いついたが

【解答】5 

誰から誰に和歌を送ったのかをまず整理しておきましょう。東国への赴任が決まり、作者をまた田舎に連れて行くのも、京に一人残してもし自分の身に何かあったらと思い悩む作者の父でしたが、作者を京に残し発つことになったのが「七月十三日〜」から始まる段落です。 

作者の父は悲しくてまともに作者と顔も合わすことも出来ず、作者自身も悲しみから見送りにいけませんでした。見送りに行った下男が作者に渡した文に書いてあったのが「思ふこと心にかなふ身なりせば( B )の別れを深く知らまし」の和歌になります。よってこの和歌は作者の父が作者に向け送った和歌になります。

その和歌を作者は「え見やらず」(見ることが出来ない)と書いてあります。更に「事よろしき時こそ腰折れかかりたることも思ひつづけれ」は「こそ〜けれ已然形)」が使われているため、強調逆接確定条件の意味になります。「腰折れ」は「腰折れ文)」の略で下手な文章和歌)を意味します。

悲しみのあまり「事よろしき時」ではなく、下手な返答すら出来ない、つまり通常の時であったら下手な返答くらいは出来たという意味の4が最も適当でしょう。

問4

本文に合うものを、次のなかから二つ選びなさい。

1、作者は、現実を直視せず、物語の世界やその登場人物にあこがれ、世間並みの仏道修行は疎かにしていた。
2、作者は、父が任国に不満で、妻子を伴って赴任するかどうか悩む姿を見て、花紅葉への憧れを断ち切った。
3、作者は、父に同行する気持ちはあるが、しかたなく京に残り、父の旅の労苦を東の山際を見つつ思いやった。
4、作者の父は、娘を京に残しても東国へ伴っても心配な中で、永き別れを覚悟のうえで京に残す道を選んだ。
5、最初の東国での生活は不自由なことが多く、作者の父は単身での赴任なら良かったと常に後悔をしていた。

【解答】1・4 

それぞれの選択肢を見ていきましょう。 

[正解] 

1、作者は、現実を直視せず、物語の世界やその登場人物にあこがれ、世間並みの仏道修行は疎かにしていた。⇨第一段落の内容になります。『源氏物語』への憧れ、更には「このごろの世の人は十七八よりこそ経よみ、行ひもすれ、さること思ひかけられず」とあり、仏道修行などは「思ひかけられず」(思いもよらない)というのです。

4、作者の父は、娘を京に残しても東国へ伴っても心配な中で、永き別れを覚悟のうえで京に残す道を選んだ。⇨作者自身が幼い頃東国で過ごし、田舎の不便さ京への道のりの大変さを父娘共に知っているため、東国へ伴うことに対し心配だと考えています。また、東国への赴任経験があるからこそ、いつ戻って来られるかも分からず、これが永遠の別れになる可能性もあることがわかっています。その内容が第二段落「幼なかりし時〜永き別れにて止みぬべきなり」の部分に描かれています。

[不正解] 

2、作者は、父が任国に不満で、妻子を伴って赴任するかどうか悩む姿を見て、花紅葉への憧れを断ち切った。⇨花紅葉への憧れを断ち切ったのではなく、嘆いている父を見て、作者自身も「花紅葉の思ひもみな忘れて悲しく」(花紅葉の思いも忘れて悲しい)と思っています。 

3、作者は、父に同行する気持ちはあるが、しかたなく京に残り、父の旅の労苦を東の山際を見つつ思いやった。⇨仕方なく京に残ったという表現はされていなく、「いづこばかりと明け暮れ思ひやる」(今はどこであろうかと明けても暮れても思いやる)とあるように父への寂しさ、心細さから父がいるであろう東の山際を眺めていると考えられます。 

5、最初の東国での生活は不自由なことが多く、作者の父は単身での赴任なら良かったと常に後悔をしていた。⇨そのようなことを常に後悔していたのではなく、自分の身に何かあった時に作者が路頭に迷うことを心配しているので当てはまりません。 

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