オランダ独立運動と英仏の絶対王政[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

今回はオランダとイギリス、フランスの15~17世紀頃の様子を横断的に見てみたいと思います。オランダ(ネーデルラント)については、その独立と経済発展の経緯の要点を、イギリス・フランスに関しては「絶対王政の確立期」に焦点を当てています。どれも試験で狙われやすい重要な項目ですので、しっかりとチェックしておきましょう!

オランダ独立運動と英仏の絶対王政

覇権国家オランダ

ネーデルラント(=オランダ)

  1. スペイン領時代
    都市アントウェルペンがヨーロッパの経済の中心として栄えた。
    ※他地域は毛織物工業が盛んであった。
    • フェリペ2世の異端排除
      異端審問等などに農村部などが反発し、「乞食党」が結成される。
    • フェリペ2世の恐怖政治(スペイン人の狂暴)
      →フェリペ2世の圧政を受けて、1568年独立運動開始(指導者:オラニエ公ウイリアム
    • 南部10州(親スペイン同盟:アラス同盟)がスペインによって占領され、独立運動から抜ける
    • 残った北部7州(ユトレヒト同盟)は1581年にネーデルラント連邦共和国として独立宣言 ※1609年、独立戦争の休戦
      ウエストファリア条約で独立承認(1684年)
  2. 独立後
    • 都市アムステルダムを中心に経済発展を遂げる。
      (→1609年アムステルダム銀行設立→金融面での支配権の確立→ヨーロッパ経済の中心になる)
    • 1602年 東インド会社設立
    • 東南アジア進出(香辛料を求めて)
    • ニューネーデルラントをアメリカに建設(植民地)
    • グロティウスの活躍(→『海洋自由論』…海洋の自由を説く)

〔オランダ地図〕

イギリス絶対王政の確立と社会

テューダー朝の創始とイギリスの絶対王政

  1. ジェントリの登場
    百年戦争(対フランス)とバラ戦争(王位継承権をめぐる国内戦争)で貴族等が没落したことで、富裕層がジェントリとして力を持ち始めた。ジェントリはイギリスの絶対王政において重要な存在となった。
  2. バラ戦争の勝利後 →ヘンリ7世の即位テューダー朝の始まり=絶対王政全盛期)
  3. ヘンリ7世とヘンリ8世の治世
    • ヘンリ7世
      • 星室庁裁判所の改変 →目的:治安維持
      • ジェントリと貴族(ジェントルマン)があらゆる場面で力を持つようになる。
      • 議会 上院:貴族院(貴族)と下院:庶民院(主にジェントリ)
    • ヘンリ8世
      • 1534年、国王至上法イギリス国教会を作り、首長となる。
        →ローマ教皇と対立
        →ローマ教皇に上納されるはずの十分の一税等、宗教に関する税がイギリス国王のものとなる。
        →さらなる宗教改革を求める人々の存在(ピューリタンの登場)
      • 囲い込みエンクロージャー)が盛んに行われるようになる。
        →アントウェルペンに向けた羊毛の輸出増加が要因
        →結果として国民に不安感が増す

エリザベス1世と植民地帝国への端緒

ヘンリ8世の死後、エドワード6世・メアリ1世が短期的に政治を行い、1558にエリザベス女王が即位する。

<エリザベス1世の治世>

  • 統一法によって不安定だったイギリス国教会を確立する。
  • 貨幣の鋳造(トマス=グレシャムを起用)
  • 1601年、救貧法制定
    背景:
    • 通貨が安定したことでポンド高を招き、主力産業だった羊毛の輸出が減ったこと
    • アントウェルペンが閉鎖したことにより、失業者が増えたこと
  • 1588年、スペインの無敵船隊のアルマダに勝利
  • ウォルター=ローリーは北アメリカの植民地獲得に失敗したが、アイルランドを植民地にすることに成功。
    →北アメリカの植民地獲得はエリザベス女王の次のジェームズ1世の治世で成功。(1607年、ジェームズタウン植民地)
  • ピルグリム=ファーザーズメイフラワー号に乗ってニューイングランドに渡る。
  • 貿易の強化
    レヴァント(地中海)貿易の為の会社の設立
    東インド会社の設立1600
  • 文化面では、シェークスピアが活躍。(イギリス=ルネサンス最盛期)

〔エリザベス1世〕

フランス宗教戦争と絶対王政

百年戦争後のフランス

  • ルターら宗教改革派の影響で福音主義に基づくキリスト教への改革の機運が高まると、フランス王室はこの動きを異端として取り締まるようになった。一方、改革の動きはさらに増した。(ユグノーの登場)

  • ユグノー戦争(1562年)サン=バルテルミの虐殺(1572年)などの宗教対立による争いが勃発。

  • フランス国王アンリ3世暗殺(ヴァロワ朝は終わりブルボン朝が始まる)
    ブルボン家(プロテスタント、つまりユグノー派)のアンリはアンリ4としてブルボン朝を興し、ナントの王令1598年)を発布。
    ※アンリ4世はプロテスタントからカトリックに改宗。

  • 内政が落ち着いたことで王権の力が強まった。

〔フランス地図(ナント)〕

ブルボン朝絶対王政の成立

  • ナントの王令
    カトリックに優位でありながら、同時にプロテスタントも保護しようとするもの。このようにプロテスタントが許容された背景には、フランスのカトリック教会がローマ教皇に対して独立的(=ガリカニズム)だったためである。
  • ナントの王令廃止(1685年)まで
    王令が廃止されるまでの間、宗教的対立が少なくなったことで百年戦争等により冷え込んだ経済も回復し始めた。
  • 中央から役人(アンダンテ:監察官)を派遣→中央集権化
  • 中小貴族らを官吏(役人)や軍人に積極的登用→大貴族が力を持ちすぎないようにした
  • リシュリューによる財政改革と農業保護

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おすすめ記事

参照

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、 山川出版社、 2018年
  • 浜島書店編集部 編著『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2014年
  • いらすとや HP 最終閲覧日2020年6月26日

 

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大分舞鶴高校を卒業し1浪して東京女子大学へ進学。 浪人時は高校時代に憧れた東京への進学をモチベーションに、世界史・国語・英語の学習に励み、その結果、センター試験にて世界史満点の快挙を成し遂げる。 現在、大学では産業心理学を専攻し、社会人の社内の人間関係やストレス・鬱発症者の職場復帰プランケアの研究を行っており、卒業後はマスメディア業界への就職を予定。趣味は、幼少期の豊富な習い事経験から、声楽・バレエ・ピアノ・生花と多彩。