絶対王政とは?スペイン王国の絶対王政と植民地政策[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

ここでは「絶対王政とは何か?」を学びます。今回は、スペイン王国としての統一の歴史、そしてスペインにおける絶対王政の確立に着目しつつ、カルロス1世、フェリペ2世の治世について要点をまとめました!
スペインの歴史を学ぶのと同時に、同時期のイスラーム王朝の変遷についても復習しておきましょう。

絶対王政とは?スペイン王国の絶対王政と植民地政策

イタリア戦争

フランスのヴァロワ家と神聖ローマ帝国・スペインのハプスブルク家によるイタリアの覇権争い。

<イタリア戦争の復習>

  1. 背景
    • ルネサンスによってイタリアの諸都市が力を持ってきていた。
    • ヨーロッパ世界の政治に多大な影響を及ぼすキリスト教の総本山がある。
  2. きっかけ
    • フランスがナポリ王位の継承権を主張してイタリアに侵攻した。
  3. 流れ
    • シャルル8世→ルイ12世→フランソワ1世の治世でイタリアの覇権を狙う。
      ※シャルル8世の治世で起こったイタリア戦争、フランソワ1世の治世で起こったイタリア戦争と分けて考えられていることもある。
    • フランスがミラノ公国(イタリア)を得る。
    • 1521神聖ローマ皇帝・カール5世がイタリアに侵攻してイタリア戦争開戦
      ※神聖ローマ帝国皇帝カール5世=スペイン王カルロス1世
    • 神聖ローマ帝国 VS フランス →神聖ローマ帝国の勝利
    • 教皇とフランスが手を結ぶ。
    • 神聖ローマ帝国に首都・ローマを奪われる。
    • フランス+イギリス&オスマン帝国など(神聖ローマ帝国とスペインが強国になることを避けたい国)
            VS
      神聖ローマ帝国・スペイン
      →クレピーの和約(1544年) 神聖ローマ帝国・スペインに有利
  4. 終結
    • フランス王フランソワ1世死去
    • 1559年 カトー=カンブレジ条約
      スペイン王フェリペ2世と次のフランス王アンリ2世の間で条約が結ばれる

絶対王政

絶対王政とは?

絶対王政
市民に階級が生まれるも(→市民階層(ブルジョワ)の出現)、政治を行うほどの権力をもったものがいないことを背景に国王が専制的な政治を行うこと

※絶対王政が受け入れられたのはなぜ? ⇒王権神授説の存在
王権神授説:「神によって王として国を治める権利を与えられた」とする王権の正当化が行われた。

※絶対王政下の特徴

  • 官僚制度の整備…イギリスではジェントリ(郷紳)と呼ばれる階層の人々が登用された。
  • 常備軍の設置

絶対王政の経済・社会政策

<絶対王政の国の経済的特徴>

  • 重商主義:官僚制度、常備軍の維持費の捻出のため。金・銀の貯蓄を重視する。
    ※当時の特徴
    • 重金主義:金銀の確保
    • 貿易差額主義:輸出を増やし輸入を減らし、国内にお金を留める方法

      →このためには植民地の獲得が重要な問題であった。
      →世界中で植民地獲得戦争などが起こった。(重商主義戦争
  • 社会政策の採用
    • 救貧法(イギリス):救貧税を徴収し、働けない貧しい人を支援した。しかし、働ける浮浪者などは犯罪者として罰せられた。

スペイン絶対王政の確立

スペイン王国の誕生と絶対王政

<スペイン王国=アラゴン王国カスティリャ王国>
スペイン王国はアラゴン王国のフェルナンド5世とカスティリャ王国のイサベル1世の婚姻により統一されたカトリックの国。

  1. 統一の背景
    イスラームの勢力(ナスル朝)によるイベリア半島侵攻、グラナダなどの地域の占領
  2. 統一の流れ
    1492年 レコンキスタ国土回復運動)完成
    ⇒ナスル朝の首都・グラナダ陥落
    ※レコンキスタ中にカスティリャ王国からポルトガル独立
    ※独立したポルトガルは13世紀にはレコンキスタを完成させていた。
    ※コロンブスがスペインの支援を得てアメリカ大陸に到達したのも同年の出来事であることも注意。

     

    〔アルハンブラ宮殿(グラナダ)〕

    1493年 教皇子午線の設定
    1494年 トルデシャリス条約を結び、教皇子午線を引き直す。
    教皇子午線:
    大西洋上で引かれた境界線。この線を境にアメリカ以西をスペイン、それより東側をポルトガルとする。
    トルデシャリス条約によりアメリカ大陸に線が引き直されたことで南アメリカの一部地域(ブラジル)がポルトガル領ということになった。
  3. スペイン国内の問題
    スペインもイタリア同様、力を持った都市の集合体のようなものであった。
    (アラゴン、カスティリャ、カタルーニャ、バレンシアなど)
    • 1516年 カルロス1世(ハプスブルク家)即位
      トレドを筆頭に都市単位での反対運動が起こる。例)1520年 コムネ―ロスの反乱
      →カルロス1世が反乱、議会など反発する勢力を抑えることに成功する。
      スペインの絶対王政時代の始まり
  4. カルロス1世の治世
    • ヨーロッパ大陸に広大な領土を持つ。 例)ネーデルラント・ブルゴーニュ公領
    • プロテスタント勢力の排除
    • イタリア戦争の勃発
      ※退位にあたって…
      神聖ローマ帝国皇帝位→弟・フェルディナント1世
      スペイン王国皇帝位→息子・フェリペ2世に譲る。
  5. フェリペ2世の治世 「太陽の沈まない(没することのない)国」
    • イタリア戦争の終結(1559年 カトー=カンブレジ条約
    • 異端とされるものの排除(外国の書物の輸入、出版への制限をおこなう)
    • 1571レパント沖の海戦→ヨーロッパ世界の脅威・オスマン帝国に勝利する。
    • 1580年 イベリア半島統一(ポルトガル王家の血統が途絶えたため)
    • ネーデルラントで独立運動が始まる。
    • ポトシ(ペルー)やサカテカス(メキシコ)などからの銀産出量の減少
    • 異端排除により追放したムスリムが担っていた毛織物工業が担い手の減少により衰退
    • 1588年 アルマダ(無敵船隊:レパント沖の海戦でも活躍した当時のヨーロッパで最強の海軍)がイギリスとの戦いで敗れる。

〔フェリペ2世〕

〔スペイン地図〕

※補足①:1640年イギリスの援助でポルトガル(ブラガンサ朝)独立。

※補足②:ハプスブルク家とスペイン王家の関係
スペイン王国初代国王キャサリンとフェルナンドの間に生まれたファナ王女が、神聖ローマ帝国皇帝だったマクシミリアン1世の息子と結婚し生まれたのがカルロス1世でした。
ちなみに、カルロス1世の母・ファナ王女の姉妹はあのヘンリ8世の最初の妻であり、ヨーロッパ世界で初めて離婚された女性・キャサリンです。つまり、カルロス1世とメアリ1世はいとこ同士なのです。そう考えると、フェリペ2世は父親のいとこと結婚いていたことになりますね!
ヨーロッパ王家はほとんどが親戚ということもあり、少しややこしいですね。

スペイン帝国の成り立ち

<スペインの植民地管理>

  • レパルティミエント制:先住民をスペイン人経営者に振り分ける方法
    →人口の減少(伝染病や過酷な労働などが原因)
  • エンコミエンダ制:
    スペイン人経営者(エンコメンデーロ)に先住民のキリスト教への改宗と保護をさせることを目的とするはずだったが、その実、彼らに先住民から税を取る権利や労働をさせる権利を与えたものだった。
    ラス=サカスドミニコ会の修道士)によって反対運動がスペイン本土で巻き起こる。
    →人口のさらなる減少(伝染病や過酷な労働が原因)
  • アシエント:
    カルロス1世によって1517年に作られた制度。黒人奴隷を年間4000人植民地に供給するもので、アシエント自体はその黒人奴隷を自らの経営する土地にもらい受ける権利である。
    ※先住民に優しいラス=サカスだが、黒人奴隷を推奨したのも彼である。
    ※この当時、スペインでアメリカとの貿易を一手に担っていたのはカスティリャにあるセビリャという街。

→続きはこちら オランダ独立運動と英仏の絶対王政

おすすめ記事

参照

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、 山川出版社、 2018年
  • 浜島書店編集部 編著『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2014年
  • MUSEO DEL PRADO HP 最終閲覧日2020年6月7日
  • UNESCO HP 最終閲覧日  2020年6月19日
  • いらすとや HP 最終閲覧日2020年6月19日

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大分舞鶴高校を卒業し1浪して東京女子大学へ進学。 浪人時は高校時代に憧れた東京への進学をモチベーションに、世界史・国語・英語の学習に励み、その結果、センター試験にて世界史満点の快挙を成し遂げる。 現在、大学では産業心理学を専攻し、社会人の社内の人間関係やストレス・鬱発症者の職場復帰プランケアの研究を行っており、卒業後はマスメディア業界への就職を予定。趣味は、幼少期の豊富な習い事経験から、声楽・バレエ・ピアノ・生花と多彩。