17世紀ヨーロッパの危機と主権国家体制の確立[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

ここでは、不作・疫病・人口減少、政治的危機に直面していた17世紀ヨーロッパに焦点を当てて解説します。特に、近代的な主権国家体制を確立する契機となった重要な出来事である「三十年戦争」に関しては要チェックです。他にも、海外進出を進める16世紀イギリスの様子、そして同時期のフランスにおいてイタリア戦争後、力を付けたユグノーが起こした宗教内乱についても解説しています。

17世紀ヨーロッパの危機と主権国家体制の確立

イギリスの海外進出

テューダ―朝下の海外進出は、国王がジェントリ(地主)から協力を得て行う統治体制の下進められた。

1530年 宗教改革
16世紀後半 スペインとの対立
※15世紀以降、囲い込み(エンクロージャー)が始まる。
トマスモアの言葉「人を食う羊」(『ユートピア』より)
この言葉は貧富の差を風刺したもので、人が飢えている横で羊が人よりも良い生活を送っていることを表している。このような言葉ができるほどに羊毛産業は国民的な産業となった。
1600年 東インド会社設立 ※エリザベス女王の治世

国内産業があったことから、中継貿易に大きく依存していたオランダより優位に立っていたといえる。

※イギリスの海外進出支援

  • カボット父子の北アメリカ探検…ヘンリ7世、ヘンリ8世の治世
  • フロビッシャー(英)らの探検航海…エリザベス女王 ※私掠船に乗っていたことがある
  • ドレークの世界周航達成 ※私掠船に乗っていたことがある

以上を見ると、海軍が十分に整備されていなかった当時、私掠行為が海外進出に大きな影響を及ぼしていたことがわかる。

フランスの宗教内乱と絶対王政

百年戦争の結果、イギリス領がフランス国内からほとんどなくなった後、約2世紀にわたり神聖ローマ帝国やスペインとイタリアの覇権をめぐりイタリア戦争を繰り広げる。
フランスでは、イタリア戦争により国内のユグノー(カルヴァン派)が力を増した。

<ユグノー戦争>

  1. 背景
    1560年、シャルル9世即位。彼は幼い王であったため、母親のカトリーヌ=ド=メディシス(メディチ家の出身)が摂政になったが、同じカトリックの貴族(ギーズ公)をこれを警戒し、ユグノーに寛容な姿勢をとった。
  2. きっかけ
    1562年、ギーズ公フランソワによるユグノーの虐殺が起こりユグノー戦争勃発(30年ほど続く)
  3. サンバルテルミの虐殺
    この新教と旧教の戦いの和解策として、1572年、当時新教側に近かったブルボン家アンリとシャルル9世の妹の結婚式がパリで行われる。
    しかし、その結婚式から約1週間後の8月24日(祝日 サンバルテルミ)、パリの街に二人を祝福しに集まっていたユグノーが虐殺された。さらにその虐殺行為は各地に広がり、パリで約2000人、他地域では数千人が虐殺されることとなった(サンバルテルミの虐殺)。
    その結果、新教旧教間の戦いは続行された。
  4. 終期
    当時カトリック側を率いていたギーズ公アンリ、シャルル9世の後を継いだアンリ3世(シャルル9世の弟)が相次いで暗殺されたことで、ブルボン家のアンリが、アンリ4世として即位した。(ブルボン朝の始まり。※シャルル9世らはヴァロワ朝)
  5. 終結
    1598年、ナントの王令(ナントの勅令)発布。ユグノーらに大幅な信仰の自由を認める。

※ポイント①:ユグノー側だったブルボン家アンリ、カトリックに改宗
国内の新教旧教の対立が解決したからといって戦いが終わったわけではありませんでした。
スペインに応援された旧教派がアンリ4世の即位を認めず戦いを起こしたからです。この外国勢力の干渉に対してアンリ4世は、旧教であるカトリックに改宗、そして自ら首都パリに赴き、全国を平定するという対応を取りました。それは、自らが改宗することでフランスという国家の在り方を維持し、ユグノーに自由を認めることができるというものでした。

1610年 アンリ4世がカトリック教徒によって暗殺される。
1610年 ルイ13世(アンリ4世の長男)即位 ※宰相はリシュリュー<ルイ13世とリシュリューのもとで起きたこと>

  1. 国王に反発する勢力(反発している貴族やユグノー)の抑制と王権の強化
  2. アンタンダンと呼ばれる役人を地方に派遣
  3. 1614年を最後に三部会と呼ばれる王権抑制機関である身分制議会を開かなくなる
  4. 神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)の力を削ぐために三十年戦争に新教側として参戦
1643年 ルイ14世即位 ※宰相はマザラン<ルイ14世とマザランのもとで起きたこと>

  • フロイドの乱 
    マザランに反発する貴族らが重税に反発する民衆とともに起こした乱。その勢いは、ルイ14世がマザランとともに一時首都パリから退くほどであった。

※ポイント②:ルイ14世
ルイ14世は太陽王とも呼ばれ、ブルボン朝が最も栄えた時期の王として有名ですが、なんとバレエダンサーとしても有名だったそうです。

17世紀の危機と三十年戦争

大航海時代の幕開きにより目覚ましい経済成長を遂げた16世紀から一転、17世紀のヨーロッパは各地で波乱続きでした。

例えば、寒さが続き作物があまり育たず(凶作)、加えて不況、そして疫病の蔓延、人口も伸び悩んでいました。
その結果、17世紀の半ばには経済だけでなく、政治面や社会面に至るまで問題が発生しました(「17世紀の全般的危機」)。それが、イギリスのピューリタン革命、フランスのフロイドの乱、そして、ドイツの三十年戦争です。

今回はこれらの戦争や反乱の中でも特に大規模であったドイツの三十年戦争に注目します。

三十年戦争(1618年~1648年)

  1. 背景
    • ドイツの主権国家体制の確立の遅れ
      当時の神聖ローマ帝国は大小様々な領邦の集合体であったため、国として統率が十分に取れていたとは言えない状態であった。
  2. きっかけ
    • ベーメンの貴族らの反乱
      カトリックを強制的に信仰させようとするベーメン王に対して、ベーメンの新教派の貴族らが新教派のファルツ選帝侯フリードリヒを中心に立ち上がった。
      ※ベーメン…オーストリアが治める領地の一つ。ボヘミア。
      ※当時のベーメン王…フェルディナンド
  3. 初期
    ベーメン王フェルディナンドが神聖ローマ帝国皇帝フェルディナンド2世として即位。
    ⇒神聖ローマ帝国皇帝旧教派 VS 新教派諸侯の構図が生まれる。
  4. 中期
    • デンマーク国王クリスチャン4世(新教側)、ドイツ侵攻(1625年)
    • 傭兵隊長ヴァレンシュタイン(神聖ローマ帝国皇帝、旧教側)の活躍
    • スウェーデン国王グスタフ=アドルフ参戦(新教側、バルト海の覇権争いをしていた)
    • リュッツェンの戦い(1632年)
      グスタフ=アドルフ(ここで戦死)がヴァレンシュタインの侵攻を止める。
    • フランス国王ルイ13世参戦(新教側)
  5. 終結 1648 ウエストファリア条約

〔グスタフ=アドルフ〕

最後の宗教戦争としての三十年戦争

新教と旧教の戦争という点をみれば宗教戦争であるが、フランスが新教側で参戦したことからわかるように、三十年戦争は純粋な宗教対立だったとは言えない。しかし、アウクスブルクの(宗教)和議を再確認し、この宗教和議をルター派だけでなくカルヴァン派にも適応した点では宗教戦争としての役割を担っていたといえるだろう。

<ウェストファリア条約>

  • スイスオランダが国際的に独立を認められる。
  • カルヴァン派を公認とする(アウクスブルクの和議では公認ではなかった)。
  • フランスにアルザスロレーヌの一部地域を割譲する。
  • スウェーデンに西ポンメルンなどのバルト海沿岸地域を割譲する。

※ウェストファリア条約は別名「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とも言われる。

〔バルト海地図〕

三十年戦争後のドイツ

ウエストファリア条約はヨーロッパの大半の国が参加した会議で締結された。これは、ヨーロッパで主権国家体制が確立されたということだ。一方で、神聖ローマ帝国は国としての力を失った。帝国を構成していた諸侯それぞれに主権が与えられたことで、皇帝の力もハプスブルク家の力も衰退したのである。

神聖ローマ帝国の領地に注目すると、アルザスがフランス領になり、神聖ローマ帝国から北ドイツ(西ポンメルンなど)の一部地域を得たスウェーデンはバルト帝国を建国した。さらに、スイスとオランダは神聖ローマ帝国からの独立を達成した。

ドイツの大半の地域は長期戦の舞台となったため復興に時間を要した。

東ヨーロッパの新しい動き

<三十年戦争後の東ヨーロッパ>

  • プロイセン王国(1701年~1918年)
    • 建国に至るまで
      • ホーエンツォレルン家ブランデンブルク選帝侯国とプロイセン公国(旧 ドイツ騎士団領)が合併してできた国。ホーエンツォレルン家が世襲し、王位を継いだ。
      • フリードリヒ=ヴィルヘルムによりポーランドの主権下から脱し、独立する。
    • 建国
      • 初代 フリードリヒ1世 
        • 都:ベルリン
        • 特徴:ルター派国家。
          スペイン継承戦争(1701年~1713年)でオーストリに味方したことで讃えられ、国王の称号を使うことを許される。
      • 二代目 フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
        • 特徴:強力な常備軍を創始。別名・軍隊王
          • 再犯農奴制…領主直営地の拡大と農奴の強化のこと。
            エベル側以東で領主直営地を経営していたのはユンカーと呼ばれる地主貴族だった。
          • グーツヘルシャフト農民を領地に縛り付け農奴化して、領地の経営をする制度。
      • 三代目 フリードリヒ2世
        <神聖ローマ帝国皇帝・マリア=テレジアとの覇権争い>

        • オーストリア継承戦争(1740年~1748年)
          神聖ローマ帝国皇帝・マリア=テレジア&イギリス 
          VS
          スペイン&フランス&フリードリヒ2世&バイエルン公
          アーヘンの和約

          • スペイン側の勝利
          • フリードリヒ2世はシュレジエンを得る。
        • 七年戦争(1756年~1763年)
          神聖ローマ帝国(マリア=テレジア)&フランス&ロシア
          VS
          プロイセン(フリードリヒ2世)&イギリス
          ※神聖ローマ帝国側についたロシアは、戦争中(1761年)に即位したピョートル3世がフリードリヒ2世と親交があったため七年戦争から離脱する。
          →フベルトゥスブルク条約

          • プロイセン側の勝利
          • フリードリヒ2世はシュレジエンを確保。
        • 第一回ポーランド分割(1772年)
          オーストリア、ロシア(エカテリーナ2世)とともに行った。
  • モスクワ大公国
    • イヴァン1世:1328年、キプチャク=ハン国からの大公位を得る。
    • イヴァン3世:1480年、キプチャク=ハン国から独立。 都)モスクワ
      ビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚し、ツァーリ(皇帝)の称号を得る。
      宗教)ギリシア正教会
    • イヴァン4世:1547年、ツァーリを正式使用。
      • 内政…ツァーリズム、恐怖政治
      • 対外…コサックの首領・イェルマークが西シベリアを献上する。

→続きはこちら 絶対王政とは?スペイン王国の絶対王政と植民地政策

おすすめ記事

参照

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 八尾師誠監修 川音強著『改めて知る 国ごと,地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版―上巻―』、清水書院、2015年
  • 八尾師誠監修 川音強著『改めて知る 国ごと,地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版―中巻―』、清水書院、2015年
  • 八尾師誠監修 川音強著『改めて知る 国ごと,地域ごとにまとめ直した高校世界史 増補版―下巻―』、清水書院、2015年
  • パリ オペラ座学校 HP 最終閲覧日2020年6月14日
  • musey HP 最終閲覧日2020年6月15日
  • いらすとや HP 最終閲覧日2020年6月15日

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

大分舞鶴高校を卒業し1浪して東京女子大学へ進学。 浪人時は高校時代に憧れた東京への進学をモチベーションに、世界史・国語・英語の学習に励み、その結果、センター試験にて世界史満点の快挙を成し遂げる。 現在、大学では産業心理学を専攻し、社会人の社内の人間関係やストレス・鬱発症者の職場復帰プランケアの研究を行っており、卒業後はマスメディア業界への就職を予定。趣味は、幼少期の豊富な習い事経験から、声楽・バレエ・ピアノ・生花と多彩。