イスラーム文明と各地のイスラーム化[たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート]

 前回は「イスラーム帝国」の分裂からマムルークの登場、トルコ系イスラーム王朝の樹立を中心に、各地でのイスラーム王朝の発展と変遷を辿りました。今回は、このようにして築かれてきたイスラーム王朝のアフリカ・インド・東南アジアにおけるさらなる拡大・イスラーム化をテーマに重要なポイントを確認していきたいと思います。Part1、2の内容を思い出しながら、他の地域ではどんな風にしてイスラーム教が広がっていったのかを学びましょう。

イスラーム世界の形成と発展
Part1 イスラーム世界の形成とアッバース朝
1.イスラーム教の誕生
2.ウマイヤ朝の樹立
3.アッバース朝による「イスラーム帝国」の形成
4.アッバース朝の終焉とイスラーム帝国の分裂
Part2 トルコ系イスラーム王朝の樹立
1. 東方イスラーム世界の発展
2. シリア・エジプトの王朝
3. 北アフリカ・イベリア半島のイスラーム王朝
Part3 イスラーム文明と各地のイスラーム化

.イスラーム世界の拡大
.イスラーム文明
.確認問題

 

Part3 イスラーム文明と各地のイスラーム化

イスラーム世界の拡大

インドのイスラーム化

<イスラーム勢力のインド進出>

イスラーム勢力による初めてのインド進出は711年ウマイヤ朝時代だった。彼らはムハンマド=イブン=カッシームの下、インダス川下流域を征服し、インドへの軍事的・政治的進出を始めた。10世紀後半には、アフガニスタンのガズナ朝(トルコ系 977~1187年)のマフムードや、ガズナ朝を滅ぼして樹立したゴール朝(イラン系? 1148頃~1215年)のムハンマドなどがカイバル峠を越えてインドに侵入した。

〔マフムード〕

対するインドのヒンドゥー勢力、ラージプートは分裂抗争状態にあったため、イスラーム勢力に対抗するだけの力を持ち得なかった。そんな中、13世紀以降にはインドでのイスラームの永続的な支配と、本格的な政権樹立がなされるようになっていった。

<デリー=スルタン朝(1206~1526年)の樹立>

  • 奴隷王朝(1206~1526年)
  • ハルジー朝(1290~1320年)
  • トゥグルク朝(1320~1413年)
  • サイイド朝(1414~1451年)
  • ロディ―朝(1451~1526年)

インドで初めて興ったイスラーム政権は奴隷王朝と呼ばれている。これは、ゴール朝に仕えて北インドの統治を行っていたマムルーク軍人のアイバク(位1206~1210)がデリーに創始した政権であるが、アイバクをはじめ、奴隷出身の高官が多かったことから奴隷王朝と呼ばれた。奴隷王朝の樹立以来、デリーには立て続けにイスラーム政権が興るようになったが、それら5つの王朝を総称してデリー=スルタン朝と呼ぶ。中でも、ハルジー朝で行われた地租の金納化などの経済改革はムガル帝国の統治にまで受け継がれたことで知られている。デリー=スルタン朝はトゥグルク朝の第2代スルタンの時代に最大領域を治めた。

〔ラージプート(イメージ)〕

<イスラーム勢力とインド社会>

  • インド旧来の制度を維持した支配体制
     支配を拡げようとするイスラーム教勢力に対し、インド社会の多くはヒンドゥー教徒であった。両者は信仰の違いにより文化や習慣などが全く異なり、当初のインド進出においてはイスラーム勢力による抑圧的な支配が行われた。しかし、永続的な支配のためにはインド社会従来の行政機構や徴税の仕組み、信仰を認め、適応してゆくことが必要だった。そのため、ヒンドゥー教徒たちはイスラーム支配下にありながら、カースト制に基づく自分たちのインド社会を維持することができた。
  • インド=イスラーム文化の形成
     イスラーム教とヒンドゥー教の両者は性格が大きく異なる部分もあるが、一方で、イスラーム教神秘主義者(スーフィー)たちの信仰と実践はインド旧来の信仰の形であるバクティヨーガと親和性の高いものであった。そのため、スーフィーたちの布教はカースト下層民の間で広まり、次第にイスラーム的・イラン的な文化とインド旧来の文化が融合するようになったこうして生まれたのがインド=イスラーム文化であるが、この融合文化は、後にムガル帝国で大いに栄えることになる。

東南アジアのイスラーム化

  • 全体的にゆっくりと平和なイスラーム化
  • ヒンドゥー教文化や建築、芸術などの現地の文化との融合

<マラッカ王国の成立>

東南アジアでは、スマトラやジャワなどの諸島部を中心にイスラーム化が進んだ。こうした地域では、まず13世紀頃からムスリム商人神秘主義教団による活動が始まり、13世紀末には最初のイスラーム教王国が建てられた。その後、15世紀マラッカ王国(14世紀末~1511年)の王がイスラーム教に改宗したのをきっかけにイスラーム化が大きく進むこととなった。

マレー半島南部からスマトラ島中部を領域とするマラッカ王国は明の鄭和によるインド洋遠征の補給基地となったことで国際交易都市として15世紀前半から大きく発展した。当初のような明との朝貢関係が途絶えてからも、マラッカ王国はイスラーム勢力との強固な結びつきによって国力を維持し、それ以降、東南アジア諸島部ではマラッカ王国を拠点にしてマレー半島、ジャワ、フィリピンへとイスラーム教が広がっていった。

<ジャワ島のイスラーム化>

ジャワ島ではマジャパヒト王国(1293~1527年)の衰退以降、急速なイスラーム化が起こり、16世紀の間に島全体のイスラーム化が終了した。島の中南部にはマタラム王国(16世紀末~1755年)、西部にはバンテン王国(1526頃~1813年)、北端にはアチェ王国(15世紀末~1912年)といった有力なイスラーム教の国家が形成され、これらは17世紀まで香辛料貿易で大いに栄えた。

アフリカのイスラーム化

<西アフリカ>

西アフリカのイスラーム化は、ガーナ王国(7世紀頃~13世紀半ば頃)で始まる。が大量に採れる産地であったガーナには岩塩を持ったムスリム商人が訪れ、彼らは金との交換を行っていた。ガーナ王国自体は非イスラーム国家であったが、都市によってはイスラーム化する所も見られるようになり、1076年ごろのムラービト朝の攻撃によるガーナ王国の衰退とともにさらにイスラーム化が進んだ。

ガーナ王国滅亡後に興ったマリ王国(1240~1473年)、ソンガイ王国(1464~1591年)ではイスラーム教徒によって支配階級が占められ、ニジェール川中流の交易都市トンブクトゥは、内陸アフリカにおけるイスラーム教の学問の中心地として重要な役割を果たし、大いに繁栄を遂げた。

〔マンサ・ムーサ(1280頃~1337年)〕

※「黄金の国」と呼ばれるマリ王国の国王、マンサ・ムーサはメッカ巡礼の道中で金を惜しみなく使い、カイロではそれが原因で金も価格が暴落したとも言われている。

<アフリカ東海岸>

マリンディモンサバザンジバルキルワなどの東海岸に位置する海港都市には、10世紀頃からムスリム商人が住み着くようになり、インド洋交易の拠点として繁栄した。次第にこれらの海岸地帯では現地のバントゥー語とアラビア語が組み合わさったスワヒリ語が共通語として用いられるようになり、独自のスワヒリ文化が築かれた。

イスラーム文明

イスラーム文明は、古代オリエント・ヘレニズムなどの古くから地域に根付いていた文明に、アラブ人がもたらしたイスラーム教の文化が融合した文明であるが、イスラーム教を核とし、民族による差別を行わない世界宗教としての普遍性を持つために多様な地域・人種に受け入れられてきた。その結果、イラン=イスラーム文化トルコ=イスラーム文化インド=イスラーム文化などの各地域特有の土着文化と融合した様々な文化が形成された。

イスラーム文明の特徴は高度な学術水準を保ち、ウラマーと呼ばれる学者・知識人を中心に法学を始めとする諸学問や文学、建築、工芸分野などが大いに発展したことである。そのため、中世ヨーロッパ世界とイスラーム世界は宗教的には対立関係にあったものの、古代ギリシアからイスラーム世界に引き継がれた高度な文明はヨーロッパにも取り入れられ、12世紀ルネサンスを開花させるなど、ヨーロッパ文明の発展にも重要な役割を果たした。

イブン=バットゥータ(1878年に描かれた挿絵)

※モロッコ出身のイブン=バットゥータは約25年間の東方への旅の経験を、口頭筆記によって『旅行記』(『三大陸周遊記』)にまとめた。本書からは14世紀前半のイスラーム世界に関するおおむね正確な情報を知ることができる。

<補足:イスラーム文明の発展を支えたものとは?>

  • 紙の生産技術
     イスラーム教徒は751年タラス河畔の戦いの際に製紙法を学んだとされているが、これは後漢時代に蔡倫によって改良され、で普及していた方法である。紙は、それまで西洋で用いられていたパピルス羊皮紙に比べて安価かつ軽量で字句の改変が難しいという特徴を持つため、書面上の記録・伝承が以前より容易になり、イスラーム文明の発展に役立った。8世紀半ばにはすでにサマルカンドに製紙工場が造られ、紙の生産・流通が行われており、13世紀頃にはこの製紙技術がヨーロッパに伝えられた。
  • 神秘主義(スーフィズム)
     イスラーム教の広がりとともに10世紀ごろから盛んになった信仰の形態。神秘主義者(スーフィー:「粗末な羊毛を纏った者」という意味)たちは、それまでのような形式的で外面的な信仰に飽き足らず、神への愛と独自の修行を通じて自我を消し去り、神との一体化を得ることを求めた。12世紀には、神との一体化を達成したとされる聖者を中心に多くの神秘主義教団が形成されるようになり、教団員は知識や規則よりも感覚的な神の体験を重視する思想を持って、アフリカやインド、中国、東南アジアへと赴き、イスラーム教の信仰を広めた。このように、イスラーム教の拡大に大いに貢献した神秘主義者たちはイスラーム文明の発展に欠かせない存在であったと考えられている。

確認問題

  1. ムハンマドの義父であった初代カリフの名を答えよ。
  2. ウマイヤ朝時代には、征服地の非アラブ人に地租と人頭税が課された。それぞれ何と呼ばれるか。
  3. ナスル朝の都グラナダに建てられた宮殿の名前は何か。
  4. アイユーブ朝は、シーア派/スンナ派どちらの王朝か。
  5. 1071年、セルジューク朝がビザンツ帝国や破った戦いは何か。
  6. ベルベル人の王朝であるムラービト朝の都はどこか。
  7. 13世紀初頭~16世紀初頭にかけてインドのデリーに樹立した5つのイスラーム王朝をまとめて何と呼ぶか。
  8. 神への愛と独自の修行を通じて自我を消し去り、神との一体化を得ることを求める信仰形態および思想を何というか。
  9. 9世紀頃からイスラーム王朝において奴隷として購入され、軍人としてカリフに仕えたトルコ人は何と呼ばれるか。
  10. 972年にファーティマ朝がセルジューク朝に対抗して首都カイロに建設した研究機関は何と呼ばれるか。

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(解答)

  1. アブー=バクル
  2. ハラ―ジュ、ジズヤ
  3. アルハンブラ宮殿
  4. スンナ派
  5. マンジケルトの戦い
  6. マラケシュ
  7. デリー=スルタン朝
  8. 神秘主義(スーフィズム)
  9. マムルーク
  10. アズハル学院

→続きはこちら 中世ヨーロッパ世界の形成

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参考資料

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • 世界の歴史まっぷ
    • 最終閲覧日2020/7/20

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こんにちは。 私は現役大学生ライターとして中高生向けの学習関係の記事を書いています。大学では美術史を専攻し、主に20世紀前半の絵画を研究の対象としており、休みの日は美術展に行くことが好きです。趣味は古い洋楽を聴くことです。中学高校時代は中高一貫の女子校に通い、部活と勉強尽くしの6年間を送りました。中学入学当初は学年でも真ん中より少し上程度の学力でしたが、中学2年生の夏から勉強に真剣に向き合うようになり、そこから自分の勉強法を見直し、試行錯誤を重ねる中で勉強が好きになりました。そうした経験も踏まえ、効率的な勉強の仕方やモチベーションの保ち方などをみなさんにお伝えできると思います。また、記事ではテストに出る内容だけでなく知識として知っていると面白い内容もコラムとして載せています。みなさんが楽しく学習する手助けとなれれば幸いです。